登記簿に現れた二人目の名前

登記簿に現れた二人目の名前

奇妙な依頼の始まり

「登記簿に、私の知らない名前があるんです」 そう言って訪ねてきたのは、地元でも有名な老舗旅館の若女将だった。彼女の手には、一通の登記事項証明書が握られていた。 一見、普通の不動産登記のように見えたが、所有者欄には彼女の名前の隣に、まったく見覚えのない名義が並んでいた。

古びた家屋と登記簿の違和感

その物件は、彼女の祖父の代から続く木造旅館の母屋。見た目こそくたびれていたが、確かに代々相続されてきた土地だった。 「なにかの間違いでは?」と尋ねると、「そんなわけないでしょ」とピシャリ。 その場でサトウさんが資料を確認し、所有権の移転履歴をたどり始めた。

依頼人の不安げな表情

「祖父が亡くなった時、きちんと相続登記はしたんです。でも、最近金融機関に提出したら、名義が二人分あると言われて……」 その時点で、私の頭の中では「単純ミスだろう」と軽く考えていた。 だが、彼女の不安な目を見て、なんとなく胸騒ぎがした。やれやれ、、、また厄介なことになりそうだ。

二重名義という不可解な事実

法務局から取り寄せた最新の登記事項証明書には、確かに依頼人の名前と並んで、「井手慎一郎」という名義が記されていた。 この名前に、彼女もまったく心当たりがないという。 しかも驚くべきことに、その所有権の登記日付は、祖父の死亡から一年後になっていた。

名義が重なる登記簿の謎

共同所有になった経緯の記録が曖昧だった。原因欄には「遺贈」とだけ書かれていたが、その裏付けとなるはずの遺言書は見つからなかった。 不思議な点はもう一つ。住所欄の番地が微妙に間違っていたのだ。まるで、誰かが似たような登記情報を転用したような、、、。 こうなってくると、ただの誤記では済まされない。

シンドウの憂鬱な昼下がり

夏の午後、うだるような暑さの中、私は事務所で書類とにらめっこしていた。 サザエさん一家のように涼しい縁側で麦茶でも飲みたいところだが、現実は汗まみれの登記簿チェックである。 一方、サトウさんは涼しい顔でパソコンを叩いていた。「こんなの、全部AIで一瞬なのに」とつぶやく声が聞こえた気がした。

調査開始とサトウの冷静な分析

「この井手慎一郎って人物、過去にも何件か似たような登記に関与しています」 サトウさんが調べ上げた資料には、複数の不動産で同様に「遺贈」による所有権が記されていた。 しかもすべてが、所有者が高齢で亡くなった物件ばかりだった。

法務局での手がかり

私は翌朝、法務局の登記官に面会を申し込んだ。登記申請書の写しを確認してもらうと、確かに「井手慎一郎」による単独申請で、遺贈の証明書類も添付されていたという。 「ただね、この申請書、字がやけに上手すぎるんですよ」 登記官の一言が、私の中で何かをかすかに引っかけた。

旧筆跡との奇妙な一致

依頼人の祖父がかつて残した遺言書のコピーが、古い金庫の中から発見された。 その文体、筆跡ともに丁寧で流麗だったが、何よりも特徴的だったのは、クセのある「慎」の字。 驚くべきことに、「井手慎一郎」の申請書の筆跡と酷似していた。

地元の古老の証言

旅館の裏手に住む古老に話を聞くと、意外な証言が得られた。 「井手ってのは、昔ここの番頭やってた男だよ。若旦那に可愛がられてな、、、でも突然いなくなった」 その後、誰にも行き先を告げずに姿を消したという。

かつてあった兄弟の争い

祖父には、認知されていない異母兄弟がいたという噂もあった。 どうやら、その人物が「井手」として再登場し、遺言を模した文書で遺贈を装った可能性がある。 相続放棄や登記の知識がなければ、誰にも気づかれないような巧妙な工作だった。

紛失したはずの書類の行方

その頃、倉庫の奥から一通の封筒が発見された。そこには祖父の本物の遺言書と、井手の古い履歴書が同封されていた。 つまり、祖父は彼に何かしらの「貸し」を返すつもりで、私的に何かを残していたのかもしれない。 だが、それは正式な法的効力をもつものではなかった。

再筆登記の真実

結論としては、井手による申請は不正ではあったが、祖父の意思の一部を反映していた可能性も否定できなかった。 ただし、登記制度上はそれを認めるわけにはいかない。 私は依頼人と協議し、遺贈登記の抹消申請を行うことにした。

うっかりの裏に隠れた意図

「これは故意か、それとも、、、」私は自問した。 しかし、もはや真相を語れる人物はこの世にいない。 それでも、登記簿はその人の“想い”を静かに記録していた。

偽造ではない二重の正当性

法的には無効だが、倫理的には完全に否定できない。 まるで『ルパン三世』が義賊として許されるように、彼の行動にも一抹の同情が残った。 私は静かに登記完了証を机に置き、ため息をついた。

やれやれ、、、真相は紙一重

「でもまぁ、偽造じゃないってだけでも良かったですね」 サトウさんはそう言って、またパソコンに向き直った。 私はというと、麦茶を一口すすって、「やれやれ、、、」と呟いた。

シンドウのひらめきと検証

この一件で、改めて「人の想いと登記制度」の間には大きな隔たりがあると感じた。 書面の裏にある“物語”に気づけるかどうかは、我々司法書士の腕の見せどころだ。 「次はもう少し簡単な案件を頼むよ」と、誰にも聞こえないように念じた。

真の名義人は誰か

結局、法的に有効な名義人は依頼人ひとりであると決着がついた。 だが、登記簿の履歴に残った「井手慎一郎」の名は、永久に消えることはない。 それが彼にとっての供養だったのかもしれない。

法的結論と人間模様の余韻

今回の件は、単なる登記ミスではなかった。そこには人の情と過去が深く関わっていた。 それを正しく扱うことが、我々の役目だ。 帰り際、若女将が一礼し、「祖父も、きっと喜んでると思います」と笑った。

登記簿に刻まれた家族の記憶

登記簿とは、単なるデータの集合ではない。 そこには、住んだ人、託した人、そして失った人の記憶が刻まれている。 私はそう信じている。

サトウのため息と静かな拍手

「結局、情がすべてを曇らせるんですよね」 そう呟くサトウさんの言葉に、私は内心拍手を送った。 今日もまた、彼女に一本取られた気分だった。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓