朝のファイルと謎の依頼
いつものようにコーヒーの香りが薄い朝、事務所の扉がぎい、と鈍く開いた。年季の入ったトレンチコートを着た男が、何やら分厚い封筒を持って立っていた。
「登記の相談なんですが……古い土地のことでして」そう言って机に置かれたのは、旧登記簿のコピー。年代物の紙に染みが浮いている。
「今どき手書きの謄本持ち込むって、まるで探偵漫画のはじまりじゃないですか」後ろからぼそっとサトウさんが言った。目が笑っていなかった。
旧登記簿のコピーを持ち込んだ男
男の名は田丸と名乗った。地元の人間ではないが、亡くなった叔父の残した土地の処理に困っているという。
「でもこの住所の土地、地図にも出てこないんですよ。実家の裏手にあった空地が、実はうちの所有だと……」
その話を聞いて、嫌な予感がした。これはただの相続相談では終わらない――直感がそう告げていた。
聞き覚えのない地番
登記簿をめくると、確かに記載された地番があった。だが、それが今の地図には存在しないのだ。
不動産登記情報サービスでもヒットせず、管轄法務局に直接電話をかける羽目になった。
「地番改正の時に抜けた可能性がありますね」と担当者は言ったが、それにしてもおかしい。記録が断絶している。
地図にない土地の記載
地図の境界を注意深く見ると、確かに不自然な空白があった。まるで誰かが意図的に削除したような、妙な違和感。
昔の公図と重ね合わせてみると、そこに細長い敷地が存在していた形跡が浮かび上がった。
「こりゃ、、、地番はあるのに、現実には無い土地ですね。サザエさんで言えば、波平さんがどこかに引っ越してたレベルの違和感です」
閉ざされた地目変更の記録
地目が「雑種地」となっていた記録に、何度も訂正印が押されていた。だが、訂正者の署名が無い。
「これ、昭和五十年って……まだ登記所が紙とハンコで回してた頃ですよ」サトウさんの声も、いつになく沈んでいた。
訂正のたびに、内容が変わっていく。だが、訂正の理由が書かれていない。これは登記簿というより、闇の記録だった。
補正の跡と訂正印
訂正印には司法書士らしき名前のイニシャルがあった。しかし、その名義人の実在は確認できなかった。
念のため司法書士会に問い合わせてみたが、その名前は登録履歴にすら存在しなかった。
誰かが偽名で訂正した――そんな可能性が浮かび上がった瞬間、背筋に嫌な汗が流れた。
隣地の登記簿との奇妙な接続
念のため隣地の登記簿も調べると、驚くべき事実が明らかになった。そこに、この土地の地番が一時的に記載されていたのだ。
だがその後、わずか数日で抹消された記録が残っていた。そんな短期間での処理は、普通では考えられない。
「何かが隠されてる……」そう呟いた私に、サトウさんがぼそっと「やっと気付きましたか」と塩対応を投げた。
持ち主不明の空地に浮かぶ一筆
法務局の調査担当がぽつりと漏らした。「この土地、誰も登記を引き継いでいないんですよ。まるで置き去りにされたみたいに」
そして、所有者不明土地問題の典型的なパターンに見えるが、明らかに誰かの手が加わっていた。
正規の流れでは、こんな短期の名義変動は起こりえない。それは意図的な“登記の細工”だった。
再開発計画と不可解な合筆
市役所で再開発事業の情報を得た。なんと件の土地は、今年度中に整備される予定地に含まれていた。
だが、再開発図面にその土地は載っていない。あたかも「最初から存在しなかったかのように」合筆されていたのだ。
「やれやれ、、、まるでルパン三世が盗んだような消し方だな」私はそう呟いて、机に頬杖をついた。
市の職員からの非公式な情報
古い職員が言った。「あそこ、何十年も手付かずでしたからね。誰かの所有だったなんて、初耳ですよ」
だがその後ろの掲示板には、かつて存在した地番のリストが残されていた。誰かが消し忘れていたようだ。
そこには、確かに田丸の叔父の名が記されていた。「存在しない土地」のはずなのに。
建物図面と不自然な点線
役所で取り寄せた建物図面には、不可解な点線があった。まるでそこに、かつて小屋か倉庫のようなものが建っていたかのように。
隣接する土地との境界線も、ずれていた。測量ミスにしては不自然すぎる。
「登記って、嘘を隠すには便利な道具ですね」サトウさんの言葉が妙に刺さった。
耐震補強では説明できない改築
かつてその土地に住んでいたとされる人物の話を、近隣住民から得た。補強工事ではなく“取り壊し”があったという。
それも夜中に、トラックが出入りしていたそうだ。何かを隠すようにして。
まるでキャッツアイが美術品を持ち去るような、静かな仕事だったと老人は言った。
登記原因証明情報の空白
決定的だったのは、登記原因証明情報が抜けていたことだ。平成のはじめに、空白のまま変更登記がなされていた。
「今なら絶対補正されますよ」私は呟きながら、背筋の寒気を振り払った。
こんな杜撰な記録、いや“記録の改ざん”が、当たり前に行われていた時代だったのかもしれない。
代理人欄のイニシャルだけが手掛かり
唯一の手掛かりは、登記申請者欄にあった“TS”のイニシャルだけだった。
その記載にピンときた私は、ある名簿を取り出した。昔の司法書士名簿に、その名がかすれて載っていたのだ。
その人物は、20年前に失踪届が出されていた。真実はすでに土の下に埋もれているのかもしれない。
結末と閉ざされた記録の真意
依頼人の田丸には、土地の整理を待つよう告げた。法的には処理できるが、心の整理が必要だった。
「記録の影を読む」――司法書士という仕事は、過去の嘘と戦う仕事でもある。
やれやれ、、、紙の上の真実ほど厄介なものはない。私はコーヒーを一口すすった。