雨の中の訪問者
夕方の事務所に、傘もささずにずぶ濡れの女性が飛び込んできた。年の頃は四十代半ば、手に握られていたのは、くしゃくしゃになった住宅地図だった。
「父が残した家があるんです。でも……地図にあるのに、今は誰の名義にもなっていないんです」
そう言って差し出した住所は、聞き覚えのある古い住宅街。地図には、すでに存在しないような家が記されていた。
見知らぬ女性と古びた地図
「いや、これは……登記簿には載っていませんね」と、私は言った。手元の登記情報を確認しても、その家に該当する地番が存在しない。
「そんなはずはないんです。父が死ぬ前、あの家は確かにあったし、鍵だってあるんです」
彼女の手の中には、錆びた古鍵が握られていた。どこかルパン三世のような謎めいた雰囲気を漂わせる鍵だった。
共有名義の不協和音
法務局のデータベースで過去の所有者を洗っていくと、「土地は三人の共有持分」となっていた。しかし建物に関する登記は存在しない。
「これは……建物だけ誰かが除却して、その後に登記されなかったのかもしれませんね」と私は推測した。
サトウさんが、わずかに眉を上げて言った。「でもその共有者の一人、住民票ではもう20年前に亡くなっています」
登記簿の余白が語るもの
登記簿を印刷して改めて目を凝らすと、不自然な空白があった。地番の一部が黒く塗り潰された跡のようにも見える。
「これ、消されたように見えませんか?」と私が言うと、サトウさんはあっさりと「でしょうね」と返す。
やれやれ、、、一筋縄ではいかない案件にまた首を突っ込んでしまったようだ。
相続されたはずの土地
彼女の父が持っていたはずの持分は、法定相続されているはずだった。しかし、相続登記はなぜか一度もされていなかった。
そのことを彼女に告げると、呆然とした表情を見せた。「じゃあ……私には権利がないんですか?」
「登記がなければ権利を証明するのは難しい。でも、過去の資料が残っていれば話は別です」私はそう答えた。
なぜか残る亡父の名義
登記上、父親の名前は依然として共有者の一人として記載されていた。だが、他の二人の名義人はすでに抹消されていた。
「なぜお父さんだけ残っているんでしょうか?」というサトウさんの問いに、私は首をかしげた。
明らかに、誰かがこの名義を意図的に残した痕跡がある。
過去の測量と今の地形
土地家屋調査士の測量記録を調べると、現在の地形と合致しない不自然な区画が浮かび上がった。
特に問題の家があったとされる場所は、道路の一部として舗装されていたのだ。
「あの家……いつの間にか道になっていたんです」女性がそう呟いた。
ずれた境界線に潜む違和感
法務局の資料には、再区画整理が入った形跡があった。だが、詳細図面の一部が抜け落ちている。
「わざと抜かれたのかもしれませんね。共有者の誰かが利益を得るように」とサトウさん。
私はその冷静な指摘に唸りながら、再び登記簿の写しに目を通した。
サトウさんの冷たい推理
「この登記、第三の共有者が名義を外して、自分だけの土地として利用していたんですよ」
「つまり、彼が家を壊して道路にした、と?」と私は訊ねた。
「ええ。道路として整備すれば、他人は疑いません。まるでキャッツアイのトリックみたいですね」
「これは誰かが消したのかも」
サトウさんは、古地図と新地図の重ね合わせをしながら、位置のずれを明確に指摘した。
「ここの4平米分、完全に除外されています。地番すら与えられていないように見えます」
「なるほど、だから誰のものでもないことにしてしまったんですね」私は納得した。
やれやれ、、、雨はまだ止まない
現地調査のために訪れた現場は、今や住宅街の一角の駐車場となっていた。
地面はぬかるみ、革靴は泥に沈む。スーツも雨に濡れて重たい。
「せめて今日は晴れていればな……」と私が呟くと、サトウさんは「気圧のせいで推理力が落ちるんですか?」と塩対応。
ぬかるんだ現地と沈む靴
そのぬかるみに埋もれていたのが、ひとつの金属プレートだった。文字がかすれていたが、明らかに地番が刻まれていた。
「これが、あの消えた持分の証拠になるかもしれません」私はそう言って泥をぬぐった。
女の顔がぱっと明るくなった。「父がここにいた証拠が、ちゃんと残ってた……」
第三の持分者の謎
彼の名は、30年前に共有登記されていた人物。地元では「なんでも屋」として知られていた。
古い議事録には、彼が「道として提供する」と町内会に申し出た記録が残っていた。
だが、その「提供」には正式な登記変更はされていなかった。
昔の分筆図にだけ残る名前
手元の分筆図をよく見ると、うっすらと鉛筆書きでその名前が残っていた。
「この人、全部わかった上でやってましたね。手が込んでます」
サトウさんが静かに言う。確かに、これは相当な知恵と手間がかかった登記マジックだ。
解き明かされる共有の嘘
私は地元の古老に話を聞いた。すると、件の「なんでも屋」は地元の有力者とつながりがあったという。
その有力者のために、「家ごと持分を消す」ようなトリックを使ったのだ。
「でも証拠は揃いました。これで元に戻せます」私は女性にそう伝えた。
全ては地番の一文字の違いから
最終的に判明したのは、地番の「五番一」と「五番壱」が意図的に混在させられていた事実だった。
「これは詐欺じゃなく、虚偽登記の可能性もある」私は苦笑いしながら登記原因証明情報の文案を作り始めた。
やっとこの厄介な謎も終わりが見えてきた。
サトウさんの塩対応エンド
「ありがとうございました」と頭を下げる女性に、私は少し照れてしまった。
その様子を横目に見ながら、サトウさんがぼそりと一言。「最初から地番を見ればよかったのに」
やれやれ、、、最後まで手厳しい助手である。