命令を拒む影

命令を拒む影

事務所に届いた一通の通知書

朝イチで届いた封書は、裁判所からのもので「仮処分命令の正本在中」と朱書きされていた。依頼人の名前を見て、俺は眉をひそめた。確か、登記の相談に一度だけ来た男だったが、その後ぱったり音沙汰がなかった。

「仮処分って、、、何か揉めてたんでしたっけ」サトウさんがいつも通りの無表情で問いかける。俺は封筒の紙質をいじりながら、記憶の底から男の顔を引っ張り出そうとした。

だが、どうにも印象の薄い男で、名前以外ほとんど思い出せなかった。書類の内容を見る限り、かなり切羽詰まった状況らしいが、それならなおさら連絡ぐらい寄越してくれればいいものを、、、やれやれ、、、。

封筒の宛名がにじんでいた理由

封筒を持ち上げて見ると、宛名のインクがにじんでいる。サトウさんが「ああ、これ、雨の日に外で放置されてましたね」とあっさり言う。つまり配達員の問題かと思ったが、俺には別の可能性が頭をよぎった。

この男、意図的に受け取りを遅らせようとしているんじゃないか。仮処分命令は相手に届いて初めて効力を発揮する。届かなければ、その分だけ時間が稼げる。

まるで、某アニメで探偵に手紙を送らずに事件を起こす怪盗みたいな話だ。いや、それどころか自作自演の気配すらある。封筒のにじみは、もしかして自分でやったのではないか、、、。

仮処分命令と男の名前

通知書に記載された内容から、依頼人の名前は「東條祐也」。内容は、不動産の売却をめぐる仮処分命令だった。対象となっているのは、近くの古いアパート。

サトウさんが調査したところ、登記簿には数ヶ月前に名義変更の履歴があり、売却済みとされていた。だがそれはどう考えてもタイミング的におかしい。命令が出る直前に売却が成立していたのなら、まるで仮処分を見越していたようだ。

「、、、タイミングが出来すぎですね」サトウさんの目が冷たい光を放つ。俺も同感だった。東條という男、ただの依頼人では済まされなさそうだ。

依頼人の姿が消えた日

再度連絡を取ろうとするが、電話は不通、メールもエラーで返ってくる。住所を訪ねてみると、すでにもぬけの殻だった。ポストには「転居先不明」の紙が貼られていた。

逃げたな。俺は直感でそう確信した。仮処分命令を無効化するために、受け取りを避けていた。まるで命令そのものを拒絶する影のように。

俺たちは近所の人から話を聞くことにした。鍵のかかった部屋、残された生活用品、そして冷めきった空気が、男の痕跡を確かに示していた。

空になった借家の謎

隣の部屋の住人が語った話によれば、数日前に大きな荷物を夜中に運び出していたらしい。業者ではなく、東條本人が軽トラックで何度か往復していたとのことだった。

誰かに追われていたのか、それとも計画的な逃走だったのか。仮処分命令が出たことを知らないわけがない。彼は、確信犯だった。

それにしても、なぜそこまでして逃げる必要があったのか。仮処分は、単なる手続きに過ぎないはずだ。何か、それ以上の事情が隠されている気がした。

隣人の証言と食べかけのカップ麺

部屋には食べかけのカップ麺が残されていた。熱湯を注いだ直後に慌てて逃げたのか、タイミングがおかしい。東條は、本来は逃げる気などなかったのではないか。

もしかしたら、誰かに逃げるよう強要されたのではないか。そうなると、この仮処分命令の裏には、さらに大きな力が働いていることになる。

サトウさんがカップ麺を見つめながら言った。「この人、自分で逃げたわけじゃない気がしますね」俺もそう思い始めていた。

サトウさんの冷静な推理

登記情報を照合し、関連する法務局の記録を洗ったサトウさんは、ある奇妙な点を見つけた。仮処分が出る前の数日間に、第三者が数件にわたり同様の登記を変更していたのだ。

つまり、誰かが意図的に複数の不動産に関わる仮処分をかすめ取っていた。その過程で、東條も「利用された」だけの可能性がある。

「、、、使い捨てですね」とサトウさんは呟いた。言葉は冷たいが、その奥には人を見抜く力があった。

郵便受けの中にあった奇妙な紙片

もう一度、現地を訪ねた俺たちは、ポストに挟まっていた小さなメモを発見する。「命令は届かない」とだけ書かれた、鉛筆で殴り書きされた文字。

誰が書いたのかは不明だったが、明らかにこの状況を知っている者の手によるものだった。この一文こそ、すべてを物語っていた。

命令は届かず、男は影に消えた。だが、それで終わる話ではない。むしろ、ここからが本当の始まりだった。

不自然な登記記録の訂正申請

さらに調べると、東條の関わった物件に関して、第三者による訂正申請が複数提出されていた。そのどれもが微妙に誤字や日付のずれを含んでおり、あたかも故意に間違わせていたかのようだった。

「これ、完全に情報操作ですよ」とサトウさんは即断した。俺も資料をめくりながら思わず「、、、こりゃあ面倒なことになってきたな」と呟く。

影は、ひとりの男ではなく、組織的な存在かもしれない。俺たちはその入り口に立ってしまった。

シンドウのうっかりとひらめき

俺が資料の山を前にして、ついうっかり紅茶を書類の上にこぼしてしまったのが、すべての転機だった。染みた紙を乾かしていると、裏に隠れた手書きのメモが浮かび上がった。

「××土地管理合同会社」── それは過去に問題になった不正登記の中心人物が関わっていた幽霊会社の名前だった。まさか、こんなところでつながるとは。

やれやれ、、、また俺のうっかりが役に立ったらしい。元野球部のカンも、まんざら捨てたもんじゃない。

昭和の判例が導いた糸口

帰宅後、古い六法全書をめくっていた俺は、昭和時代のある判例に目を留めた。仮処分命令の回避と虚偽登記に関するもので、今回のケースと酷似していた。

そのときの裁判所は、命令の不達を逆に「悪意の証拠」として捉えたのだ。今回も同様に動けば、東條の背後にいる黒幕を炙り出せるかもしれない。

俺はサトウさんに「出番だ」とだけ言った。彼女は無言で頷き、キーボードを叩き始めた。

野球部時代のクセが役に立つ瞬間

古い地図を床に広げ、投げるように資料を配置していく。野球部時代、守備のポジショニングを考えていた頃の癖が出ていた。

すべてを「配置」して考えると、妙に頭が冴えるのだ。そうして俺は、ついに東條の逃げ場を塞ぐ一手に気づいた。

登記の瑕疵、命令の不達、そしてメモの筆跡、、、それらを総合すれば、黒幕に直接たどり着ける可能性がある。

逃げた男と裁判所のすれ違い

東條はついに発見された。山奥の親戚宅に潜伏していた。彼は命令の存在を知らなかったと主張したが、我々が突きつけた証拠により、それは嘘であると判明した。

「自分の意志じゃないんです」と彼は弱々しく言った。やはり黒幕がいた。東條は道具に過ぎなかったのだ。

命令が届かぬよう仕組んだのも、仮処分の直前の売却も、すべて仕組まれた舞台だった。

命令が届かなかった本当の理由

調査の結果、郵便局の職員が買収されていたことが判明した。東條宛の郵便は、意図的に数日遅らせられていた。表向きは事故、だが実際は明確な妨害行為だった。

命令を拒む影、それは単なる男ではなく、組織的な情報操作と物理的な妨害の結晶だった。

だがその影も、少しずつ法の光に照らされていく。サトウさんは静かにパソコンを閉じた。

沈黙を守る元恋人の存在

東條の元恋人が、最後の証人だった。彼女は何も語らなかったが、郵便局とのつながり、そして会社の裏帳簿を知っていたことが後に判明した。

沈黙は、時に最大の抵抗になる。そして沈黙が破られたとき、真実が暴かれる。

俺たちは再び法務局の階段をのぼり、報告書を提出する。終わらない事件の、そのひと区切りがようやく見えた気がした。

影を拒む者の結末

東條は不起訴処分となり、裏で糸を引いていた会社の役員たちが立件された。仮処分命令は、皮肉にも「届かなかったこと」で新たな真実を導き出すことになった。

命令を拒んだのは東條ではない。その背後にいた“影”だった。だが法の目は、それすら見逃さなかった。

「やれやれ、、、次はもう少し平和な依頼が来てくれればいいんだけどな」俺は呟いたが、サトウさんはすでに次のファイルを開いていた。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓