登記簿に潜む影
忙しすぎる月曜日の朝
月曜日の朝は、いつもよりコーヒーが苦かった。FAXは唸りを上げ、電話は鳴りっぱなし。サトウさんが無言で机に書類を置いたが、その冷気はエアコンよりも鋭かった。
何がどうしてこう忙しいのか、たまには静かな週明けをくれてもバチは当たらないだろうに、と愚痴を呟く。
そんな時、古びたスーツを着た老人が静かに事務所の扉を開けた。
依頼人が残した違和感
老人の話はこうだった。数日前、亡くなった兄の家を整理していたところ、一通の封筒が見つかったという。中には登記識別情報通知と相続関係説明図らしき紙の束。
だが、妙な点があった。土地の所有者が、十年前に亡くなったはずの別の親族名義になっていたのだ。
「たしかに相続の手続きをしたはずなのに、なぜ兄名義になっていないのか…」老人の目は揺れていた。
奇妙な土地の仮登記
登記簿を取り寄せてみると、その土地には「仮登記」の文字が躍っていた。内容は「所有権移転仮登記 原因 相続 平成二十八年」とある。
つまり、正式な所有権移転ではなく、何かの条件を満たしていないまま登記だけ先行したようだ。
この違和感、どこかで見たような…。頭の片隅に残っていた記憶の埃が、静かに動き始める。
サトウさんの無表情な疑念
「この仮登記、補正入ってないですね」サトウさんが言った。無表情、いつもの調子だが、核心を突く。
「登記識別情報が発行されてるのに、完了してないのはおかしいです」
まるで名探偵コナンの灰原のように淡々と、だが核心を突く分析だった。やれやれ、、、事務員が名探偵なら、俺はただの阿笠博士だ。
管轄法務局とのやりとり
法務局に電話をかけ、登記官とやりとりを始めた。申請番号を告げると、しばらく沈黙が流れる。
「それ、確か補正が未了のまま失効してるかもしれません」ああ、やっぱり。
補正通知が出されたにもかかわらず、申請人がそのまま放置し、結局正式な登記がなされなかったというわけだ。
所有者不明の謎を追う
そうなると、今の所有者は誰なのか。仮登記のままでは名義は未確定であり、登記簿上は旧所有者のままだ。
土地の上にはプレハブ小屋が建っており、現地調査で声をかけた隣人は「もう何年も誰も来てませんよ」と言った。
不動産の幽霊、まさにそれだった。登記簿に現れているが、誰のものでもない土地。
相続人を名乗る者の出現
そこへ突然、一通の内容証明郵便が届く。「私は当該土地の正当な相続人であり、登記手続の代理人をお願いしたい」と記されていた。
送り主は東京の弁護士を名乗っており、遺産分割協議書の写しも同封されていた。
だが、見るからに怪しい。協議書に押された印影は、どれも新しすぎた。
十年前の登記簿からのメッセージ
古い登記簿謄本を調べ直していると、一枚の補正指示書が目に入った。申請人に連絡が取れず、補正未了のままになった旨が手書きで残されていた。
しかも、その申請人の住所が、今届いた内容証明と一致していた。
つまり、同一人物が十年前も動いていたということ。これは偶然ではない。
偽造書類の痕跡
サトウさんが拡大コピーを持ってきた。「この印鑑、フチがにじんでます」なるほど、スキャナ印影を貼っただけだな。
「あと、分割協議書に押印されてる住所の番地、当時の住民票には存在していませんでした」そこまで調べてたのか…恐るべし。
つまり、この協議書は偽造。弁護士を名乗る人物も、実体はない。
実家に残された一枚の遺言書
依頼人が再び現れた。「兄の書斎から、これが見つかりました」そう言って差し出したのは、自筆の遺言書。
日付も署名も押印もあり、法的要件を満たしていた。内容は明確で、当該土地を老人に相続させると記されていた。
すぐに検認手続を経て、これを根拠に正式な登記ができる。
司法書士としての一手
私は遺言書と一連の資料を揃え、登記申請を行った。補正が来ることを見越して、全ての論点を添付書面でカバーした。
「完了まで五日ほどです」法務局の登記官はそう言ってくれた。
やっと一件落着かと思いきや、帰りの道すがら、またしてもサトウさんから「別件の相続登記、急ぎらしいです」と釘を刺された。
真実を明かす登記申請書
その登記申請書は、ただの書類ではなかった。そこには十年越しの疑念と、不安と、そして希望が込められていた。
司法書士の仕事とは、こうした過去と未来の橋渡しだ。時に書類一枚が人の人生を左右する。
「やれやれ、、、」思わず口から出たこの言葉に、サトウさんが一瞬だけ、目を細めたような気がした。
それぞれの静かな終わり
仮登記は抹消され、正式な所有権が登記された。老人は安堵の笑みを浮かべ、深々と頭を下げた。
「兄も、これで成仏できるでしょう」そう呟いた声が、静かな午後の光の中で消えていった。
事件は終わった。だが、登記簿の中には、まだ誰にも気づかれていない影が潜んでいるかもしれない。