登記簿が語る消えた家主
朝一番、事務所のドアがギィと音を立てて開いた。差し込む光とともに、黒いスーツを着た中年の男が立っていた。
目元に深い影を落とし、無精髭をそのままにしている。まるで刑事ドラマに出てくる「訳ありの依頼人」そのものだ。
僕はすでに胃のあたりが重くなるのを感じていた。サザエさんでいうなら、波平が「カツオーーッ!」と叫ぶ前のあの間である。
朝一番の不穏な来客
「家主が、いなくなったんです」と、男は切り出した。
どうやら、彼はある空き家の管理者らしく、登記上の所有者に関することで困っているらしい。
僕は手帳に簡単なメモを取りながら、相槌を打つふりをした。正直、また面倒な話が来たと思っていた。
依頼人が持ってきた謎の登記事項証明書
男が机に差し出したのは、登記事項証明書のコピーだった。そこには、確かに所有者として「谷口満」の名が記されている。
しかし驚くべきは、その住所がすでに廃墟となっているはずの家のままだった。
さらに奇妙なのは、平成の終わりから令和にかけて、まったく動きがない点だった。
相続人不明の物件にまつわる噂
地元では、「あの家は祟られてる」と言われているそうだ。
火事で誰かが死んだだの、夜中に人の声がするだの、昭和の終わり頃の心霊番組に出てきそうな話ばかりだ。
でも、そういう場所に限って、登記の手続きがややこしくなる。そういう法則が、ある気がしてならない。
サトウさんの冷静な指摘
「その登記簿、最後の住所変更が妙ですね」と、サトウさんが言った。
彼女は僕の机の脇に立ち、コピーを斜めに見ながら指を差す。
確かに、住所変更の記載が、何かを隠すように簡略化されていた。役所の人間なら見逃さないだろう。
消えた前所有者と空白の五年間
調査を進めると、「谷口満」という名の人物は、5年前まで地元のスーパーで働いていたらしい。
その後、退職し、誰とも連絡を取らずに姿を消したという。
携帯も解約され、健康保険の記録も止まっていた。完全に「社会的に」消えている。
法務局で見つけたもうひとつの真実
僕は法務局の端末で、谷口満と同姓同名の名義をあたった。すると、遠く離れた県の山奥に、同じ名前の人物が登記された土地を所有していた。
住所も似ているが微妙に違う。それだけなら偶然かと思ったが、登記された印影が、こちらのものと酷似していた。
サトウさんに見せると、彼女は「アウトですね」ときっぱり言った。
元名義人の名前に隠されたトリック
印影の線が微妙に違う。筆跡鑑定でよく見られる違和感だった。
谷口満は、実は生きていて、名義を偽装して別人として別の不動産を登記していた可能性が浮上した。
これは、古典的な登記詐欺の手口の一つだ。まるで昔の『怪盗キッド』みたいな変装と入れ替えのトリック。
村の古老が語った過去の火事
古老によれば、あの家は実際に一度火事で焼けたらしい。
しかし焼け跡から遺体は見つからず、ただ所有者の谷口が消えただけだった。
その直後、なぜか登記が一度も動いていない。それが彼の狙いだったのだろう。
閉ざされた空き家の中の手紙
僕とサトウさんは、依頼人とともにその空き家を訪れた。
埃まみれの引き出しから、湿気た手紙が見つかった。それは、谷口満が誰かに宛てた謝罪文だった。
「俺は名前を変えて、やり直す」とだけ書かれていた。
謎の印鑑証明と別人の署名
町役場で取り寄せた印鑑証明と照らし合わせると、微妙なズレがあった。
誰かが谷口の名を使って別人を装っていた。
署名の筆跡も、以前のものとは一致しなかった。やれやれ、、、こういうのは刑事事件になると面倒だ。
偽装された売買契約のからくり
本来なら無効となる契約だが、形式だけは整っていた。
つまり、谷口は名義を使って金を得て、逃げていたのだ。
偽造登記を使った悪質なスキーム。それに気づくには、司法書士としての勘が必要だった。
司法書士としての最後の一手
僕は依頼人に状況を説明し、警察にも通報するよう助言した。
登記抹消の手続き、訴訟の可能性、相続人調査の補助、それが僕の仕事だった。
正直、損な役回りだ。でも、誰かがやらないと、こういう「影」はずっと残り続ける。
犯人が語った動機と過去
谷口は見つかった。県外の小さな町で、別人として暮らしていた。
「家族に迷惑をかけたくなかった」と彼は語った。
動機は身勝手だったが、事情には哀れさもあった。
登記簿に残された唯一の証拠
すべてが終わったあとも、登記簿には彼の名前が残っていた。
書類は偽れても、記録は嘘をつかない。
まるでサザエさんのエンディングのように、変わらず回り続ける日常の中で、ひとつだけ確かな「証拠」だった。
事件の結末と残された影
依頼人は、家の処分を進める決意をした。
誰も住まない家に、ようやく光が差し込んだ気がした。
そして僕は、また次の依頼に向かう準備を始めた。
そして静かに過ぎていく午後
午後の事務所には、扇風機の音だけが響いていた。
サトウさんは何も言わず、黙々と書類を整理していた。
僕はコーヒーをすすりながら、心の中でぼそりと呟いた。「やれやれ、、、またか」。