名義を拒む家主と過去からの手紙

名義を拒む家主と過去からの手紙

雨上がりの依頼

午後の空はどんよりしていたが、一本の電話が全ての始まりだった。内容は単純、名義書換えの依頼。しかし、妙に歯切れの悪い口調が気になった。
僕は司法書士として何度もこうした案件をこなしてきたが、今回ばかりは胸騒ぎがした。登記簿の名義変更、それだけのはずなのに、なぜだか不吉な空気がまとわりついていた。

拒む理由のない拒絶

必要な書類は全て揃っている。印鑑証明も登記原因証明情報も間違いない。しかし、家主は頑として名義書換えを拒んだ。
「今はそんな気分じゃないんでね」と薄ら笑いを浮かべる彼の目の奥には、妙な憂いがあった。やれやれ、、、また面倒な案件を引き受けてしまったかもしれない。

サトウさんの沈黙

隣のデスクで淡々と事務作業をこなすサトウさんが、一度だけ小さく眉をひそめた。何か感じるものがあるらしい。
彼女が無言になる時は、事件の匂いがする時だ。僕のうっかり癖では到底嗅ぎ分けられない、微かな違和感を察知しているのだろう。

消えた兄と封印された過去

調査を進めるうちに分かったのは、元の所有者が数年前に亡くなっていたこと。そして、家主はその弟だったということだ。
兄の死後、相続登記がなされていないまま放置されていた。なのに、なぜいま名義書換えを拒むのか。謎は深まるばかりだった。

一通の古い手紙

家主の口を開かせたのは、古い金庫から見つかった一通の手紙だった。筆跡は丁寧で、どこか切ない文面。差出人は亡き兄だった。
「この家には母の最期の声が染みついている。どうかこのままで残してくれ」。その一文に、全ての理由が詰まっていた。

法と感情の狭間で

感情で登記を止めることはできない。それが僕の立場だ。しかし、今回ばかりは胸が痛んだ。法律が全てではない、そんな当たり前のことを思い知らされた。
法務局へ提出するか、少し迷ってしまった。こんなとき、カツオならきっとフネさんに叱られて素直に謝るんだろうな。僕は誰に謝ればいい?

サトウさんの提案

沈黙を破ったのは、いつも塩対応のサトウさんだった。「遺言書として法的効力はないけど、付言として添付できますよ」。
彼女の冷静な一言が、重たい空気を切り裂いた。登記簿に記録されない“想い”を、別の形で残す道がある。それが、司法書士のもう一つの仕事なのかもしれない。

最後の一押し

家主はしばらく黙ったあと、小さくうなずいた。「兄貴の気持ちを否定するつもりはなかった。ただ、どうしても踏ん切りがつかなかった」。
その言葉に、僕はそっと登記申請書を広げた。書き込むボールペンの音が、まるで兄弟の和解のように静かに響いた。

完了のメールと午後のコーヒー

法務局から完了メールが届いたのは、数日後の午後だった。あの家の名義は正式に書き換えられた。
コーヒーをすすりながら、僕はまたひとつ、忘れられない案件を心に刻んだ。やれやれ、、、今度こそ、普通の登記が来てほしいもんだ。

静かな余韻

「次は抵当権の抹消ですね」とサトウさんが口を開いた。いつも通りの塩対応に、逆にほっとした。
平穏な日々はいつも突然壊れる。だが、また何か起きた時は、きっと僕たちで片付けられる。うっかり者と切れ者の名コンビで。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓