なぜこんな些細なミスで時間が溶けるのか
司法書士をやっていると、「あの確認、ちゃんとしてたはずなんだけどな…」という瞬間が山ほどある。今回の話もその一つだ。法務局から戻ってきた申請書一式を見て、目を疑った。まさか、あの1枚が。たった一枚の添付書類、しかも形式的なものでしかない。その記載にわずかな誤りがあったせいで、すべてが振り出しに戻った。修正して出し直せば済む話…と思いたいが、そんなに甘くないのが登記の世界だ。
一枚の紙の不備が引き起こす現実
その日提出したのは、よくある不動産の所有権移転登記だった。必要な添付書類もすべてそろえていた、はずだった。ところが、登記原因証明情報の一部にミスがあった。具体的には、日付の記載が実際の契約日とズレていた。たったそれだけ。でもその「たったそれだけ」が、登記申請を2週間後に延ばした。依頼者には平謝り。こちらの確認不足は確かにあるけれど、システムがもう少し柔軟なら…と思ってしまう。
訂正印か再提出か どっちが早いのか問題
訂正印で済むなら御の字。でも実際はそうもいかないことが多い。法務局の対応はケースバイケースで、今回のような場合は結局、訂正印だけではダメと突き返されてしまった。修正のために関係者に再度印鑑をもらう手間と、郵送のやりとりにかかる日数を考えると、あっという間に2週間は飛ぶ。まるで、小さな穴が空いたダムからじわじわと水が漏れていくような感覚だった。
法務局に行くたびに自尊心が削られていく
この仕事をしていると、法務局に足を運ぶたびに、ちょっとずつ心がすり減っていく気がする。向こうも仕事だし、ミスがあれば返されるのは当たり前だ。ただ、どうしてこうも厳密なのかと思ってしまう。理屈では理解していても、現場で訂正を求められるたびに、「なんで俺ばっかり…」という気持ちになる。正直、心が折れそうになる日もある。
気づいた瞬間の絶望感とその後の処理地獄
あの書類を見返して赤ペンでバツをつけられた瞬間、頭が真っ白になった。事務所に戻る車内で、何度も独り言のように「うそだろ」「まじかよ」とつぶやいていた。すでに次の予定も詰まっている。どこにこの修正作業をねじ込むか、頭の中はフル回転だった。時間がないときに限って、こういうトラブルが起きる。司法書士あるあるだ。
あの日事務所で見た訂正箇所の赤文字
戻ってきた書類を開くと、そこには法務局の丁寧な赤字のメモ。たしかに、誤記だった。見落とした自分を責める気持ちと、「このくらい見逃してくれても…」という勝手な甘えが入り混じる。こういうとき、自己嫌悪がぐるぐると頭を支配する。集中していない自分が悪い。でも、朝から書類作って、午後は相談対応、夜は決済書類の準備…と続いていたら、誰だって疲れるだろう。
依頼者にどう伝えるかのメンタル消耗戦
実は、いちばん神経を使うのは依頼者への報告だ。「書類の不備があったため、登記完了までお時間をいただくことになります」…この一言に、どれだけの説明と謝罪を込めればいいのか。相手の性格によっても変わるし、自分の体力と精神力がすり減っているときほど、うまく言葉が出てこない。一度「ミスした司法書士」としてレッテルを貼られてしまうと、次の信頼回復までがまた長い。
時間がないときに限って時間を奪われる不思議
不思議なことに、こういうトラブルって忙しいときに限って起きる。スケジュール帳が真っ黒で、「今日は一歩も崩せない」と思っていた日に限って、予定外の出来事が差し込まれる。時間が足りないときに限って、さらに時間を持っていかれる理不尽さ。書類が1枚違っただけなのに、連鎖的にすべてが狂っていく。この瞬間がいちばんつらい。
こんな日々をどう乗り越えているのか
正直言えば、「乗り越える」というより「耐えてる」に近い。でも、だからといって全部投げ出せるほど若くもないし、責任もある。それでも、ふとした瞬間に救われることがある。何気ないひとこと、通り雨のような笑い話、そしてたまに届く「ありがとう」。それだけで、また机に向かうことができる。
事務員のひと言に救われることもある
「先生、これって私がチェックしておけば防げたかもしれませんよね。ごめんなさい」そう言ってくれた事務員の言葉に、少し泣きそうになった。いや、悪いのは俺なんだ。疲れ切った自分を責めながらも、そんなふうに声をかけてくれる存在がいることに、救われた。彼女がいなければ、今頃この仕事を続けていなかったかもしれない。
野球部時代の根性論はもう使えない
昔は「根性で乗り切る」が口ぐせだった。高校野球で汗だくになって練習していた頃は、それでなんとかなった。でも、今は違う。根性じゃどうにもならない案件や、精神的にすり減るやりとりが日常にある。「踏ん張る」より「踏みとどまる」ことの難しさを、毎日実感している。
休む勇気よりも弱音を吐く勇気がほしい
「休んでもいいですよ」って言われても、休む勇気が出ない。でもそれ以上に、自分が「しんどい」って言うことすら、なかなかできない。弱音を吐くことが負けのような気がして、つい黙り込んでしまう。でも、本当は一番必要なのは、言葉にして誰かに聞いてもらうことなんじゃないか…最近そう思うようになった。
それでもまた書類を持って立ち上がる
あのときのミスは、今でも思い出すと胃が痛くなる。でも、それでも仕事は終わらないし、次の依頼がやってくる。結局、立ち止まれない。でも、少しでも同じように苦しんでる誰かに「わかるよ」と伝えられたら、それだけでもこの経験には意味があるような気がする。
司法書士という職業の宿命なのか
細かい確認、期限との戦い、相手との信頼関係…司法書士という仕事は、思っている以上に神経を使う。でも、その裏には誰かの人生がある。そう思えば、多少のつらさも背負っていく覚悟が必要なのかもしれない。しんどいことには変わりないけれど。
誰かにこの気持ちをわかってほしいだけ
この記事を書いているのも、たぶん、誰かに「わかるよ」と言ってもらいたいからなんだと思う。正解なんてないし、今も手探りでやってる。でも、同じように悩んでる司法書士さんや、これから目指す人たちに、少しでもリアルな現場の声が届けばうれしい。
明日もまた同じように仕事は来るけれど
朝になれば、また新しい書類と電話とメールが待っている。忙しさに追われながらも、なんとか今日も一日を乗り越える。その繰り返しの中で、小さな希望や共感が生まれたら、それだけで救われる。たった一枚の書類の手違いすら、誰かの心に残るエピソードになることを願って。