登記簿が暴いた影の継承

登記簿が暴いた影の継承

依頼人はなぜ怯えていたのか

古びたスーツを着た中年男性が、事務所のドアを開けた瞬間から異様な空気が漂っていた。目を伏せ、手元の封筒を握りしめる姿は明らかに尋常ではない。「父が亡くなりまして……その、家の相続登記を……」そう言ったきり、しばらく沈黙が続いた。

相続登記の相談など珍しくもない。しかしこの男の「怯え」は、単なる事務手続きの不安とは思えなかった。私は首を傾げ、そっと書類に目を通した。

登記簿に隠された旧姓の謎

提出された登記事項証明書に、奇妙な点があった。被相続人である父の所有名義の隣に、薄く旧姓が併記されていた。通常、婚姻や離婚に伴う氏の変更は備考欄に記載されるが、今回の表記は異例だった。

しかもその旧姓が、依頼人の名乗った名字と一致していなかった。書類には「本田」、依頼人は「吉原」と名乗っていた。「ご自身の名字は?」と尋ねると、彼は一瞬顔を強ばらせた。

亡き父が遺した空白の住所

登記簿には、10年前に居住地を移転した記録があった。ところが、その新住所が空欄のままになっていたのだ。これでは相続人が確定できない。戸籍謄本も不完全で、父の再婚歴も伏せられている。

「これは、ちょっと面倒ですね」と呟くと、サトウさんがパソコンから目を離さずに「再婚後の配偶者の名前も抜けてます」と冷静に言った。その通りだった。

消えた名義人と幽霊の家

不動産の名義変更がされないまま放置された家が、郊外にぽつんと残されていた。そこはもう10年近く無人のはずだったが、近所の住民によれば「夜になると灯りが点くこともある」という。

「まさか、サザエさんの家みたいに三世代同居……ってことじゃないですよね」と冗談を言ったつもりが、サトウさんは一瞥して「サザエさんは戸籍整ってます」とバッサリ切った。

相続人の一人が消えた日

法定相続人の一人であるはずの異母妹が、戸籍上では生きていることになっていた。だが住民票は失効、連絡先も不明。役所で聞けば「もう十年以上前に引っ越してから不明」とのこと。

彼女が最後に確認されたのは、父親の死亡前日だった。しかもその直後に住民票が職権消除されていた。これは偶然ではない。

被相続人の過去と嘘の履歴

被相続人である父親は、若い頃に破産歴があり、その際に偽名を使っていた記録があった。名前を変えて再出発するため、戸籍ごと作り直していたらしい。

「破産と再婚を一緒に整理するって、人生のリセットボタンでも押したつもりでしょうかね」と皮肉を言うと、サトウさんは小さくため息をついた。「それにしても杜撰ですね」と。

サトウさんの冷静な指摘

「この謄本、日付の順番がおかしいです。除籍の順と婚姻の記載が逆になってます」サトウさんの言葉に私は目を凝らした。確かに、亡くなった前妻の死亡日と再婚日の記載が前後していた。

つまり、婚姻届が提出された日にはすでに前妻は死亡していたはずなのに、そうなっていない。誰かが書類の日付を操作していた可能性があった。

地元の噂と裏口の鍵

依頼人の実家に行ってみると、近所の古株が教えてくれた。「夜中に誰か入ってくるんだよ。裏口の鍵が壊れててね」鍵を確認すると、確かにシリンダーが差し替えられていた跡があった。

誰かが未だにその家を使っている。あるいは、そこに何かを隠しているのかもしれない。私は携帯を取り出し、警察に通報する前に一度だけ現地を見ておこうと決めた。

調査の先に現れたもう一人の依頼人

その夜、懐中電灯を手に家へ向かうと、先に誰かが家の中にいた。廊下に立っていたのは、依頼人と同じ顔立ちの若い女性だった。彼女は私を見ると、怯える様子もなくこう言った。

「やっと来ましたか。父の嘘を、すべて暴いてください」 彼女こそ、行方不明とされていた異母妹だった。

遺言書の筆跡と銀行印の違和感

彼女が差し出したのは、一通の遺言書だった。手書きのその文書には、全財産を「吉原ユウコ」に相続させるとある。しかし、署名の筆跡が明らかに依頼人のものであった。

「兄が勝手に書いたんです。父はそんなこと言ってませんでした」 それを裏付けるように、印影も別人のものだった。遺言書は無効である可能性が極めて高い。

登記申請書類に仕組まれた罠

依頼人が提出しようとしていた登記申請書には、偽造された遺言書と共に、登記原因証明情報まで添えられていた。細部にわたり完璧な偽装だったが、たった一つ、記載された地番が誤っていた。

「こういうミスをするのが素人なんだよな……」 私は苦笑しながら、法務局に通報する準備を整えた。兄が仕組んだ継承劇は、崩れはじめていた。

手書きのメモに書かれた最後の言葉

現場から見つかった古いノートには、父親の筆跡でこう記されていた。 「ユウコへ。この家はお前の母さんと過ごした唯一の場所だ。お前が継げ」 それは遺言書よりも重く、明確な意志だった。

サトウさんがぽつりと呟いた。「紙一枚じゃ、家族の証明にはならないですね」 私は黙ってうなずいた。

司法書士が突き止めた真実

遺言書は無効と判断され、登記申請は差し戻された。異母妹の存在と父の遺志を証明する書類をもとに、改めて相続登記がなされた。依頼人は書類偽造の疑いで捜査対象となった。

正直、ここまで来るとは思っていなかった。けれど、結局は「書類」がすべてを語っていたのだ。

家族とは呼べない関係の末路

異母兄妹はもう顔を合わせることもないだろう。それでも、父の遺志はようやく静かに着地した。家も土地も、記憶も、過去も、ようやく整理されていく。

私は事務所に戻り、コーヒーを淹れながら椅子に深く腰掛けた。

静かに明けた朝とそれぞれの決断

次の日、早くも他の依頼人から電話が入った。「今度は養子縁組の話です」 私は受話器を置き、書類の山に目をやった。 「やれやれ、、、休む暇もないな」

サトウさんは淡々とエクセルを操作しながら、「じゃあ早く処理してください」と言った。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓