朝の電話と一通の封筒
その朝、目覚ましより早く鳴ったのは事務所の固定電話だった。枕元で鳴り続けるその音に、寝ぼけ眼で受話器を取ると、相手は珍しく丁寧な口調の老人だった。「登記のことで、相談したいことがあるんです」——声の調子がどこか引っかかった。
目覚めと同時に鳴る無慈悲な着信
眠気が覚めぬまま、椅子に腰掛けると、机の上には昨夜開封せずに放っておいた封筒が一通。内容証明郵便——差出人名は手書きで潰れていた。開けてみると、件の老人からだった。差出人と受取人が同一人物になっている奇妙な文面。まるで、自分宛に遺言を書いたような。
差出人不明の内容証明郵便
事務所の片隅で、サトウさんが出勤してくる音がした。彼女に封筒を渡すと、一瞥して「フォントの使い方が変ですね」と一言。プロの事務員は観察眼が違う。しかもそれが、後に大きな意味を持つことになるとは、このときまだ知らなかった。
相続登記の依頼と謎の空き家
依頼内容は、「空き家の相続登記をお願いしたい」とのことだった。物件は、山間の集落にある古びた一軒家。依頼人は「兄が亡くなったので」と言うが、戸籍には兄の記載が見当たらない。
古びた家屋と登記簿の違和感
現地に向かい、家屋を確認する。建物は明らかに昭和中期のもので、登記簿上では平成の初めに父親から子へ移転登記された記録があった。しかし、父親の署名欄が明らかに別人の筆跡。おまけに印鑑証明書の発行日が登記日よりも後になっている。
依頼人の態度に潜む不自然さ
「兄は音信不通で、実家も放っていたんです」と語る依頼人だが、目が泳いでいる。その場で念のため、登記簿と一緒に古い登記申請書の写しも確認すると、提出者の欄に別の名前があった。それは依頼人の叔父の名前。つまり、現在の依頼人が正当な相続人ではない可能性がある。
サトウさんの冷静な指摘
帰所後、事務所でサトウさんがコーヒー片手に静かに言った。「これ、以前の相続登記、虚偽申請の可能性ありますよ」。相変わらずの塩対応だが、その分析は的確だ。調べるうちに、印鑑証明の不整合だけでなく、当時の郵送履歴にも不審な点が浮かび上がった。
記録にない所有権移転の形跡
古い所有権移転の登記が、法務局に提出された記録と一致しない。どうやら当時の司法書士を名乗る人物が存在しないようだ。調べてみると、偽名を使っていたようで、実在しない登録番号が記載されていた。サトウさんは「これ、某怪盗漫画の登場人物の名前ですね」と冷ややかに笑った。
忘れられた過去と登記ミスの可能性
昔の記録を洗い直すと、故人とされた“兄”は、実は死亡しておらず、20年前に家出したまま消息不明になっていた。そして、その人物の名義で最近まで水道代の引き落としが続いていた。つまり、誰かが彼になりすまし、家の登記を操作した可能性が高まった。
司法書士シンドウの調査開始
気乗りしないまま、再び現地へ。まるで週刊誌の記者のような気分だ。登記と現実のギャップを埋めるには、法務局と現地住民の情報が必要だった。「司法書士ってのはなぁ……探偵業務までやる羽目になるとはな」と愚痴りながら、山道を登る。
法務局に残る筆跡と旧住所
古い書類の筆跡を照合してみると、依頼人の書いた字と一致していた。つまり、依頼人自身が兄のふりをして登記を進めていた可能性がある。やれやれ、、、まるで少年漫画の変装トリックだ。
元野球部の勘が導く手がかり
現地の空き家に向かい、ふと玄関の表札裏に貼られた紙片が目に留まった。薄く文字が滲んでいたが、そこには「帰るな」という走り書きが。泥に塗れた草野球のグラブが落ちていた。あのときの勘が働いた。兄はまだこの町にいる。
近隣住民が語るもう一つの事実
近くの駄菓子屋で話を聞くと、「あそこの兄ちゃん、夜に灯りをつけに来てたよ」とのこと。やはり生きていたのだ。名前を変えて、別の町で暮らしていたが、定期的に帰ってきていたらしい。
見えない住人と夜の灯り
誰も住んでいないはずの家に、週末だけ灯りが点いていたという。その証言は複数人から得られた。依頼人はそれを知っていて隠していた可能性が高い。理由は、相続登記によって土地と建物を売却するため。
消えた兄と語られない家族の記憶
話を聞く中で、かつての家庭内トラブルや、母の死をきっかけに兄が家を出たことが判明した。依頼人は自らの復讐心から、兄の生存を隠し、虚偽の登記を進めていたのだ。家族の絆というより、家族の業だった。
登記簿が照らした真相
全てを明らかにし、登記の是正を法務局に申し出た。依頼人は罪に問われることとなったが、兄には再会の機会が与えられた。登記簿には真実が隠れている。それを読み解くことが、我々司法書士の役目だ。
偽装された相続と遺言の罠
遺言書も偽造されていた。筆跡鑑定により判明したのは、依頼人が兄になりすまして書いたということ。その技術は巧妙だったが、サトウさんの一言がすべての糸口となった。「“拗”の字、本人と違います」。やはり、プロは細部を見る。
やれやれ、、、これだから田舎の登記は
帰りの車中、ため息交じりに呟いた。「やれやれ、、、これだから田舎の登記は気が抜けねぇ」。すると隣でサトウさんが、珍しく笑ったような声を出した。「気が抜けないのは、先生の髪の方では?」。そんなことを言われても、返す言葉が見つからなかった。
サトウさんの一言がすべてを繋ぐ
今回の事件、真相に辿り着いたのはサトウさんの細かい観察力と、的確なツッコミによるところが大きい。塩対応とは裏腹に、仕事には真摯だ。……これでせめて、俺にもう少し優しくしてくれればいいんだが。
事件の後日談と小さな決意
あれから数週間後、兄弟は和解したという噂を耳にした。空き家は解体され、土地は兄の名義で管理されることになった。俺はというと、相変わらずの独身司法書士業。だが、今日もまた、誰かの人生と向き合う準備はできている。次の事件が、もうそこまで来ている気がする。