委任状の謎は恋から始まった
朝イチで届いたレターパックを開けた瞬間、俺は思わず「うわ」と声を漏らした。中には、ピンク色の便箋と一通の委任状。それ自体は珍しいことじゃない。だが、差出人の名前を見て、俺の胃はズキッと音を立てた気がした。
それは、三年前に突然音信不通になった元依頼人であり、俺がひそかに思いを寄せていた女性、今村マリからだった。まるでサザエさんの次回予告みたいに、「次回、恋と登記と委任状」とか言い出しかねない展開に、俺はすでに疲労困憊だった。
ある日届いた封筒の中身
委任状には、不動産の所有権移転登記の依頼内容と共に、代理人欄に俺の名前がしっかりと書かれていた。だが、署名欄には妙な違和感があった。筆跡が、どうにもマリのものとは思えなかったのだ。
それだけじゃない。添えられた手紙には、「この恋を正式に終わらせたくて、あなたに託します」と書かれていた。おいおい、恋愛感情まで委任できるのか。俺は苦笑いしながら、ソファに沈み込んだ。
サトウさんの冷たい推測
「その人、筆跡偽造してるんじゃないですか?ていうか、司法書士に恋の終わりを託すとか、意味不明ですよね」 隣でパソコンを打つサトウさんが、いつものように冷ややかに言い放った。
俺は笑うしかなかった。「恋の委任状って、そもそも有効なんだろうかなぁ」と呟くと、「恋愛感情に登記簿ないですよ」と即答された。たしかに。だが、あの手紙には本気の気配があった。
依頼人は消えた恋人
俺は意を決して、マリの旧住所に電話をかけてみた。しかし番号はすでに使われていない。次に登記申請予定の不動産を調べてみると、共有名義になっていた。もう一人の名義人、男の名前を見た瞬間、俺は一気に嫌な予感が膨らんだ。
これは、ただの登記じゃない。恋愛の泥沼を、登記簿上で始末しようとしているのかもしれない。俺の心臓は、遠い昔に引退した野球部時代の試合前のように、ざわざわと高鳴った。
登記相談から見えた違和感
数日後、そのもう一人の名義人と名乗る男が事務所にやってきた。彼はスーツ姿で妙に整った顔をしていたが、どこか演技がかった雰囲気が鼻についた。
「彼女の委任状、あなたに送らせたのは私です」と彼はさらりと言った。その言葉に俺の眉がピクリと動く。「彼女の意思でなく、あなたが?」 「ええ。彼女はもう、そういう煩雑なことから離れたいって言ってたんでね」 やれやれ、、、まるで悪役令嬢の側近が登記業務を肩代わりするラノベみたいな展開だ。
名前が一致しない委任状
俺は登記申請書類を細かく見直した。すると、委任状に記載された被代理人の名前に微妙な誤植を見つけた。「真理」とあるべきところが「麻里」になっている。しかも、それは彼女が一番嫌う間違え方だった。
「なるほどね、、、」俺は小さく呟いた。これは彼女が自分で書いたものじゃない。そして、恋を終わらせたいのはむしろ、この男の方だったのかもしれない。
不動産と愛の境界線
司法書士をしていると、不動産と人間関係が混ざったような話に出くわすことがある。だが今回は、あまりにも感情が書類の上ににじみ出ていた。
二人の名義が半々の共有である以上、どちらかが相手の意思を偽って登記を進めることはできない。俺は、改めてマリ本人に会わない限り手を出せないと判断した。
共有名義という名の罠
「登記を進めたいなら、本人確認を直接取りたい」と伝えると、男は一瞬だけ表情を曇らせた。「彼女とは、もう連絡が取れないんです」と言うが、俺の目はごまかせない。
サトウさんがぽつりと呟いた。「結局、恋も不動産も、簡単には片付かないってことですよ」まるで深夜アニメの探偵キャラのセリフのようで、俺は少しだけ笑ってしまった。
サザエさん症候群と恋の行方
その夜、テレビから流れる「サザエさん」のエンディングを聞きながら、俺はふと思った。マリが消えたのも月曜日だった。あれから、どれだけの登記が俺の机を通り過ぎたのだろう。
結局、恋は登記できないし、登記も恋では整理できない。そう思いながら、机の上の委任状をそっと引き出しにしまった。
曜日感覚と事件の接点
気づけば、マリが最後に俺の前に現れたのも火曜日だった。つまり、あの男が言っていた「彼女は煩雑なことを嫌っていた」という発言と、彼女の実際の行動には食い違いがあった。
火曜日にあえて現れていたこと。それは、彼女なりの習慣であり、こだわりだったのだ。委任状に託されたものは、むしろ男の嘘だったのかもしれない。
サトウさんの鋭い一言
「先生、これって恋の犯罪ってやつですね」 唐突に言われて、俺はコーヒーを吹きそうになった。
「恋の犯罪?」 「はい。恋を勝手に終わらせて、書類だけで完了させようとするって、だいぶ暴力的ですよ」 やれやれ、、、俺より一枚も二枚も上手だ、この事務員は。
恋は委任できないと言った彼女
翌日、マリから手紙が届いた。手紙には「勝手な書類を送りつけてごめんなさい。でも、あの人との登記を抹消したくて、あなたを思い出しました」とだけ書かれていた。
彼女の言葉には、確かな意志があった。恋は委任できない。だが、登記を通して過去を整理することはできる。そんなことを思った。
僕の失敗とやれやれな真実
俺はうっかり、本人確認書類の提出を見逃していた。ベテランのくせに、恋が絡むと途端に脇が甘くなる。 「先生、ミスですよ」とサトウさんに冷たく突っ込まれた。 「やれやれ、、、」
だが、そのミスがあったからこそ、この事件の真実にたどり着けたのも事実だった。俺の失敗は、時に幸運を連れてくる。これはきっと、元野球部だから許されるスライディングだ。
印鑑証明の抜けた謎
委任状には印鑑証明書が添付されていなかった。そのおかげで手続きは保留となり、俺は再調査に入ることができた。
その「抜け」にこそ、彼女のSOSがあったのだと気づいたのは、ずっと後のことだった。書類は嘘をつかない。ただ、人が嘘を重ねるだけなのだ。
登録免許税に隠された伏線
書類に記載された登録免許税の金額も、実際の評価額と微妙にズレていた。これはミスではなく、意図的なものだった。マリはきっと、俺に気づいてほしかったのだ。
「私はまだ、あなたに頼りたかった」そう聞こえた気がして、俺は静かに、登記申請書をシュレッダーにかけた。
終わらない恋と終わった委任
恋は登記できない。だが、恋の終わりに立ち会うことは、司法書士としてあるかもしれない。俺はそんなことを思いながら、マリの新しい住所に向けて書類一式を返送した。
委任は終了した。だが、心のどこかに残るざらつきだけが、俺の中にしこりのように残ったままだ。
本当に託したかったものとは
彼女が俺に託したのは、恋の処理じゃなかった。たぶん、過去の整理でもなかった。 それは、彼女自身の「選択」だったのだ。
そしてそれを、俺が受け止めたということが、何よりの結末だったのかもしれない。