空家に残された契約書

空家に残された契約書

空家に残された契約書

その空家は、町のはずれにぽつんと建っていた。塗装は剥がれ、郵便受けは溢れかえり、風が吹くたび軋む音が耳に残った。法務局から「特定空家として扱われる可能性がある」との通知が届いたのは、そんな建物だった。

たかが空家、とタカをくくっていたのが間違いだった。僕の名前が、その家の登記記録の中に“立会人”として残っていたのだ。

呼び出しの電話

「あんたがこの登記の立会人ですね?」 年配の男性の声だった。何年も前の取引のはずなのに、なぜ今さら、という思いが先に立った。

「やれやれ、、、」と僕は小声でつぶやいた。サザエさんの波平なら、きっと怒鳴っている場面だろう。だがこちらは登記のプロフェッショナル。いちいち騒がず、まずは事実確認から始めた。

土砂降りと懐かしい地名

現地調査に向かったその日は、運悪く台風接近中だった。ワイパーも役に立たない雨の中、ナビに表示された目的地は、学生時代のバイト先近くだった。

何かの因縁を感じつつも、車を停め、ボロボロの門をくぐる。玄関のドアには誰かが貼った「危険・立入禁止」の赤紙が。だが、僕はそれを剥がすようにして鍵を差し込んだ。

忘れ去られた所有権

中は埃だらけで、床板もところどころ抜けていた。だが、その中心にぽつんと置かれた応接セットだけは、異様に綺麗なままだった。テーブルの上には一枚の書類があった。

それは、売買契約書だった。だが驚くべきことに、署名欄が三つ。売主、買主、そして第三者の名前。僕だ。

表題部と記録の矛盾

法務局で登記簿を改めて確認した。確かに僕の名は“立会人”として記載されている。しかし、現行の法令ではそんな記録は不要だ。

「これは、、、旧方式の名残か?」 いや、違う。記録の日付は新しい。つまり、誰かが意図的に“演出”した記録だ。

前所有者の不審な転居

元の所有者に連絡を取ろうとしたが、既に住民票は除票扱い。実体が掴めない。ご近所さんに話を聞くと、「夜逃げみたいに出て行ったよ」とのこと。

「借金でもあったのかな」とつぶやくと、サトウさんが眉一つ動かさず、「空家管理の補助金制度を悪用した可能性もありますね」と言った。さすがだ。

サトウさんの調査メモ

「これ、今朝届いた市役所の資料です」と彼女が机に置いたのは、固定資産台帳のコピーだった。

「名義変更されていないけど、実際の管理者が別人ですね」と冷静に指摘する。相変わらず鋭い。僕の10倍は使える。

固定資産台帳の空白

空家台帳には管理者として“カスガ”という名前が記載されていた。だが、登記簿にはそんな名前はどこにもない。

しかもカスガは、建物の固定資産税をずっと納付していた。なぜだ? 所有者でもないのに?

家屋調査報告書の改ざん疑惑

「これ、写真が加工されてるかもしれません」 サトウさんの声に、僕は思わず顔を上げた。彼女が示した報告書には、綺麗に整えられた庭の写真が載っていた。

だが実際の現地には、そんな庭はなかった。画像を加工して、実際より“良好”に見せかけていたのだ。これは、補助金の不正受給か。

廃墟で見つかった手紙

再度訪れた空家の押し入れで、封の切られていない茶封筒を見つけた。表には「司法書士 シンドウ様へ」とあった。

中には、筆跡の乱れた手紙と、小さな鍵が入っていた。

筆跡と登記名義人

手紙の内容は、後悔と懺悔だった。名義人を偽り、補助金を受け取り、最後はその家を捨てて逃げたという。

筆跡鑑定に出すと、過去に僕が登記業務を担当した“ハラダ”という男のものと一致した。

相続登記がされなかった理由

そもそもこの家は、亡くなった両親の名義のままだった。相続登記がなされないまま、ずるずると不正に使われていたのだ。

誰も正式に名義変更しなかったのは、責任を取りたくなかったから。それが、家を“特定空家”へと導いた。

司法書士シンドウの推理

「やれやれ、、、結局この事件も、誰かのズルが招いたんだな」

僕はサトウさんの淹れてくれたインスタントコーヒーをすすりながら、報告書を仕上げた。

悪事は地味でも、記録には必ず残る。そして、その記録を読み解くのが司法書士の仕事だ。

特定空家指定の裏側

市がこの家を“特定空家”に指定したのは、たまたまではなかった。誰かが意図的に通報し、その結果補助金が降りるように仕向けていた。

それが“カスガ”だと気づいたとき、すべてが繋がった。

行政代執行と遺された真実

その後、行政代執行により家屋は取り壊された。だが、あの茶封筒の鍵は、最後まで何の鍵かわからなかった。

サトウさんは「たぶん、自分を裁く部屋の鍵でしょうね」とだけ言った。怖いことをさらっと言う。

空家の過去が語るもの

法務局に戻る途中、僕はもう一度あの場所を振り返った。すでに重機が入り、何も残っていなかった。

記録は残っても、家は消える。それでも、誰かがその“過去”を掘り起こさねばならない。

それが、僕の仕事だ。なんて、誰も聞いてないけどね。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓