古びた屋敷と奇妙な依頼
その日、事務所に届いたのは一通の簡素な封書だった。中には、築六十年の屋敷に関する登記名義についての相談書と、今にも破れそうな地図が同封されていた。依頼人の名前も電話番号もない。ただ「至急確認されたし」とだけ殴り書きされていた。
宛名が手書きだったことも気味が悪いが、それ以上に気になるのは登記簿の写しに記載された名義人だった。その名義人は、十年前に死亡届が提出されている人物だった。
空き家になったはずの物件
対象の屋敷は町はずれの古びた洋館で、相続人も現れず長らく空き家の扱いだった。市の管理課の記録では、既に管理対象として草刈りも終えたとされていたが、最近になって夜な夜な灯りがつくという噂が立ち始めた。
「さすがに幽霊屋敷とかじゃないよな……」そう言った瞬間、サトウさんに睨まれた。「くだらないことを考える前に、法務局で登記履歴を確認してください」塩対応が今日も冴えわたる。
登記簿に刻まれた名前
登記簿を確認した結果、表題登記自体は昭和の終わりに完了していたが、現在の所有者欄には“田代静江”という名前が残っていた。問題はその人物が、平成二十八年に戸籍が除籍されていることだった。
つまり、死後に名義変更されていない不動産が、誰かの手によって現在“使用”されている可能性がある。シンドウの中に、うっすらと古典的なミステリー漫画のような展開がよぎった。
サトウさんの冷静な一言
「先生、今のままだとこの物件、相続登記の未了だけじゃ説明つきません」そう言ってサトウさんは、ある一枚の資料をシンドウに差し出した。それは、ここ最近近所から寄せられた苦情メモだった。
深夜に物音がする。窓から人影が見える。庭に灯りがともる。いずれも決定打にはならないが、誰かが暮らしているならば、使用貸借や不法占拠の可能性も出てくる。
「この登記、変ですよ」
サトウさんがにらんだのは、地目の“宅地”という表示だった。もし、長年人が住んでいなかったなら“雑種地”に変わっていてもおかしくない。だが固定資産台帳では、変わらず宅地扱いのままだった。
「所有者不明土地じゃなくて、亡霊所有土地、ってとこですね」ぼそりとつぶやくサトウさんに、シンドウは苦笑いする。「やれやれ、、、また一筋縄ではいかない案件だな」
屋敷を訪れたその日
シンドウとサトウさんは、夕暮れ時の屋敷を訪れた。門は半分開いており、まるで誰かが来るのを待っていたかのようだ。敷地内に一歩足を踏み入れた瞬間、冷たい風が頬をなでた。
「勝手に入って訴えられたら笑えませんよ」と言いつつも、サトウさんは懐中電灯を取り出してずんずん進んでいく。やれやれ、、、。
玄関に残された足跡
玄関の床には、薄く砂利混じりの足跡が複数残されていた。それはまるで、日常的に誰かが出入りしていることを示しているようだった。だが、屋内に電気は通っていないはずだった。
「泥棒にしてはマメですね。掃除機の跡までありますよ」サトウさんの言葉に、ますます謎は深まる。幽霊がルンバを使うとは思えない。
誰かが住んでいる気配
台所の戸棚には缶詰とカップ麺が整然と並べられていた。風呂場のタオルも湿っており、完全に“人の生活”があった。それでも、ここに住んでいる人物の名前は、登記簿には記されていない。
「コナンくんだったら、もう犯人に見当がついてる頃ですね」ぼそりとつぶやくシンドウに、「先生、それよりもちゃんと役所に報告しましょう」と現実的な返答が返ってきた。
幽霊の正体と過去の名義人
後日、役所と警察、そして法務局の調査が進む中で、新たな事実が判明した。屋敷を“使用”していたのは、田代静江の孫にあたる青年だった。彼は名義のことなど知らず、祖母の家に住んでいたという。
しかも、静江の死亡届は出されたが、相続登記は行われておらず、法定相続人がそのまま放置していた状態だった。青年はずっと“自分の家”だと思い込んでいたらしい。
過去の登記ミスが導いた錯誤
さらに厄介だったのは、登記情報が一度書き損じで訂正された経歴があり、旧筆跡の名義人が別人と誤認される可能性があった点だ。つまり、表題登記の時点から情報が混在していたのだ。
「幽霊なんかじゃなくて、書類の幽霊ですね」サトウさんが肩をすくめる。古い登記簿の写しに残ったインクのにじみは、紙の時代の“罠”だったのだ。
真実は二重の罠の中に
この物件にはもう一つ秘密があった。なんと、実際の土地面積が登記よりも広く、裏庭が別の筆として登記されていたのだ。しかもその筆の名義人は、また別の親族で、既に行方不明となっていた。
「怪盗キッドでも出てきそうな二重トリックですね」とシンドウがつぶやくと、「どうせなら財宝でも埋まっててほしいものです」とサトウさんが応じた。
遺産と偽名と幽霊騒動
結局、この一件は相続登記未了と、世代をまたいだ情報の錯誤が生んだ“幽霊屋敷”騒動だった。誰も悪意はなく、ただ放置と無知と手続きの面倒くささが積み重なっただけだった。
それでも、実態を解明したことで、青年は正規に相続を受け、土地と建物の登記を完了させることができた。幽霊騒動は、司法書士の手で静かに幕を閉じた。
静かな屋敷と正された登記
数ヶ月後、あの屋敷には新しい郵便受けが取り付けられ、庭には青年が植えた小さな桜の苗木が揺れていた。登記簿も正され、名義人の名前はしっかりと現実の持ち主のものに変わっていた。
「結局、一番怖いのは“手続きの放置”ですね」シンドウがぼそりと言うと、サトウさんはわずかに笑った。「……それ、ポスターに使えそうですね」