依頼人は突然に
静かな午後、いつものように書類の山に囲まれていた私の前に、ひとりの初老の男性が現れた。背筋の伸びたその男は、なぜか少し緊張しているように見えた。
「相続のことで……ちょっと変なことがありましてね」と彼は言った。私の頭の中に「また一波乱ありそうだな」という予感がよぎった。
事務机の端では、サトウさんが音も立てずに書類を束ねている。彼女の沈黙が、かえってこの場の空気を引き締めていた。
午後の来訪者
男の名はカネコ。亡くなった父の遺産相続の件で来たという。彼の話を要約すると「兄と二人兄弟のはずなのに、知らない第三の相続人が登記に現れた」というのだ。
そんなことがあるのか?と半信半疑だったが、司法書士としては確認しないわけにもいかない。私は彼から資料一式を預かることにした。
「父が隠し子を?」と彼はうつむきながら呟いた。その声には恐れと困惑が滲んでいた。
奇妙な相談内容
調べてみると、確かに登記簿にはカネコ家の土地に関する名義が、見知らぬ人物と共有になっていた。しかも、その人物の名前にはどこか聞き覚えがある。
「これ……昔、どこかで見たことがあるんです」とサトウさんが呟いた。彼女の指差す先には、3年前に処理した古い登記の控えがあった。
どうやらこの事件、単なる相続トラブルではなさそうだ。
相続登記の落とし穴
相続関係説明図を作るために戸籍を洗っていくと、不可解なことが次々と浮かび上がってきた。まず、父親の死亡届が二通存在する。そして、遺言書もふたつ。
私は顔をしかめた。これは面倒な案件だ。
だが、こういう泥臭い手作業こそ、我々の出番だとも言える。
二つの遺言書
一通は公正証書遺言で、長男カネコ氏に全財産を相続させるとある。もう一通は自筆証書遺言で、謎の人物シバタという名に土地の半分を与えると記されていた。
公証役場に照会をかけると、公正証書は3年前、自筆証書は1年前に作成されたものと判明した。遺言の新しい方が原則的に優先される。
「でも変ですよ」とサトウさん。「筆跡が違いすぎます」
公正証書の影に潜むもの
私は筆跡鑑定を依頼することにした。こういうことに関しては、昔の野球部の先輩で今は警察関係に勤めている男がいる。やれやれ、恩を売っておくもんだ。
結果は、やはり自筆証書の方は別人の筆跡だった。だが、それだけでは偽造とは断定できない。
私はさらに、シバタという人物の住民票と戸籍を調べるよう指示を出した。
戸籍と登記簿の矛盾
登記簿の名義人シバタは、確かに存在していた。だが戸籍の記録では、カネコ家と何の関係もない。血縁関係はゼロ。これでは法定相続人でも遺贈の対象でもない。
では、なぜ登記に名義が載っていたのか? 調べる手がかりは、過去の登記しかない。
私は過去20年分の登記簿を読み漁ることにした。
亡き父のもう一つの顔
驚いたことに、シバタという男は、過去にカネコ家の土地を一度「持っていた」形跡があった。それは昭和の終わりごろ、一度名義が移った後、戻っているのだ。
「仮登記で担保か何かかも」とサトウさんが指摘する。彼女の鋭さにはいつも感心する。
だが、登記の形式は“所有権移転”だった。ではこれは……?
消えた分家の存在
さらに調べると、昔カネコ家が「分家」として戸籍を作った記録が見つかった。そこに“養子縁組”の記載がある。シバタはその分家に一時期だけ入籍していたのだ。
つまり、完全な他人というわけではなかった。形式上だけだが、家族だった過去がある。
だがその後、なぜ除籍されたのか――そこに本当の謎があった。
サトウさんの冷静な分析
私は頭が混乱してきたが、サトウさんは冷静だった。「古い地図と土地台帳、照合しましょう」
彼女は法務局の台帳を取り寄せ、過去の地番変更と土地分筆の記録を整然と並べた。
私はただ、サザエさんのマスオさんのように「へぇ〜」と感心するだけだった。
ひとつひとつの記録を辿る
それはまるで、探偵漫画で小さな証拠から大事件を暴くような作業だった。
土地の形状がわずかに変わっている。地番が変わり、名義が変わり、そして再び戻っている。
意図的に分筆と登記を繰り返し、誰かが記録を曖昧にしようとしていたのだ。
封印された養子縁組の記録
昭和の台帳には、わずかに“シバタ”の名が記されていた。消しゴムで消したような記録の跡。
「これは証拠になりますよ」とサトウさん。私は感心と恐怖の入り混じった心境だった。
この土地には、単なる相続問題を超えた闇が潜んでいた。
対立する相続人たち
カネコ氏は、父に騙されたという感情を持ち始めていた。「なんでこんな奴に土地を渡すんだ」
一方で、シバタの代理人を名乗る弁護士が登場し、強硬な姿勢を取ってきた。
私は感情に流されることなく、冷静に事実を積み上げていくしかなかった。
兄弟の不信と対立
カネコ氏には弟もいたが、弟は一切の関与を拒んでいた。それどころか「兄がすべて仕組んだ」と疑っていた。
家庭というのは時に、一番ややこしい“事件現場”である。
私は心の中で「やれやれ、、、」と呟いた。
証言者は町の不動産屋
地元の不動産屋に当時の売買記録が残っていた。そこに記載されていた一文が、事件の決め手となった。
“売買実態なし、便宜上の名義変更”という言葉だった。
つまり、シバタは形式的に土地を渡されたに過ぎなかったのだ。
すべての登記が語り終えたとき
結果として、シバタに対する名義は抹消され、遺言の効力も失われた。すべては形式だけの幻だった。
カネコ氏は無言で頷き、そっと帰って行った。残ったのは、やけに静かな事務所だった。
私は机の上の冷めたコーヒーを口に含みながら、ふと天井を見上げた。
家族の再定義
「家族ってなんなんでしょうね」とサトウさんが呟いた。
それに答える代わりに、私はただ小さく笑った。「サザエさんなら、三丁目の角で全部笑って済んでるよな」
でも、現実の登記簿は笑ってくれない。
やれやれ事件解決だ
今日もまた一件、少し重い事件が片付いた。
やれやれ、、、明日はもっと静かな一日でありますように。
私は閉店間際のコンビニで、ビールと唐揚げを買って帰った。