依頼は古びた公証役場から始まった
八月の終わり、熱気の残る午後だった。事務所に届いたのは一通の内容証明と、年季の入った公正証書遺言の写し。依頼人は亡くなった男性の妹で、遺産分割に不審があるという。公証役場で作成された遺言書には、全財産を甥に相続させる旨が記されていた。
「まあよくある話ですね」とサトウさんがぼそりとつぶやいた。だが、私の背中にはいつもより冷たい汗が流れていた。登記簿には、甥ではなく別の名が記されていたからだ。
一通の遺言書が語り始めた
遺言書には、確かに公証人の署名と証人の記載があった。しかし、その日付と登記日との間には、奇妙な空白があった。通常なら即日で登記されるはずが、なぜか三か月の間がある。しかも、公証役場の台帳を確認すると、その日には別の遺言書が登録されていた痕跡があった。
「同じ日に、二通の遺言書?これは、、、二枚舌ってやつかもしれませんね」と私は呟いた。サザエさんでいうなら、波平さんが波平名義で家を二重に売っていたような混乱だ。
名義の謎が浮かび上がる
相続登記された不動産の名義人は、甥ではなく遠縁の従兄弟だった。だが、彼の名前は公証遺言には一切登場しない。「これは、、、どこかで誰かがすり替えた可能性があるわけですね」とサトウさんが冷静に分析する。
遺言に記された土地と建物、それぞれに登記日が違う。普通はまとめて申請するものだ。それが、分けて、しかも違う名義に登記されたのだ。不自然さが、むしろ決定的だった。
相続人の言い分と不一致の登記
依頼人は、「兄は生前、甥にすべてを託すと繰り返していた」と証言した。だが、その甥が登記に一切関与していない。しかも、現在の名義人は生前の兄と疎遠だった人物で、相続を主張していた形跡もなかった。
「これは、、、何かの遺言書が消されたか、偽装されたかですね」と私は推理した。漫画の怪盗キッドも顔負けのすり替え劇があったとしか思えない。
サトウさんの冷静な分析
「司法書士の署名が、、、変ですね」とサトウさんが言った。彼女の目は鋭かった。印影は似ているが微妙にずれている。特に”書”の部分が、通常の筆圧より強かった。
「これは、、、誰かが模写したか、コピーを貼り付けた可能性があるわけですね」と私はまた呟いた。自分のうっかり癖を思い出しながらも、今回は慎重に進めるしかない。
印影のゆがみに潜む違和感
過去の登記書類と見比べた結果、判明した事実があった。使用された印影は、本人のものではなかった。筆跡鑑定の結果、僅かな違いが認められた。それはまるで、マンガに出てくる変装犯のように、似せてはいるがどこか偽物だった。
「やれやれ、、、また面倒なやつに巻き込まれたもんだな」と私はため息をついた。
司法書士としての調査開始
役所への問い合わせ、過去の登記記録の精査、そして戸籍の取り寄せ。司法書士としての地味で地道な調査が始まった。法務局の窓口職員も顔馴染みで、苦笑いしながら追加資料の発行に応じてくれた。
「なんか、探偵ごっこみたいですね」とサトウさんが皮肉を飛ばしてきた。私には耳が痛かった。
登記簿と戸籍の微妙なズレ
故人の戸籍をたどると、最後の住所と登記された土地の所在地が一致していなかった。登記原因証明情報にある住所は、実際の居所ではなかったのだ。このズレが、誰かの意図的な偽装であることを示していた。
「やっぱり、何かがおかしい」と私は独りごちた。
公証人の記憶と手帳の断片
公証役場の古参職員を訪ねた。年配の公証人が、古びたスケジュール帳を持って現れた。「あの年の夏は、確か、、、二件、兄妹に関する遺言があった」と彼は言った。
その記録は役場には残っていなかった。だが、手帳には確かに「K氏、再依頼、午後の分、妹同行」と走り書きされていた。
もう一通の遺言書の存在
そしてついに、もう一通の遺言書が倉庫の奥で発見された。破棄される予定だったが、書類の束に紛れて残っていた。そこには、全財産を甥に譲る旨が明確に記されていた。
決定的な証拠だった。なぜこれが使われなかったのか。それは、誰かが最初の遺言を偽装し、登記をすり替えていたからだった。
真実を語るのは誰か
疑惑の従兄弟は、不動産取得後すぐに売却しようとしていた。その焦りが発覚につながった。彼は「兄の意向だった」と言い張ったが、証拠はすべて彼に不利だった。
結局、偽造と詐欺未遂で告発されることとなった。司法書士としての私の役目は、真実の道を整えること。それだけだ。
姉の証言と隠された過去
依頼人である妹は、涙を浮かべて言った。「兄は、甥のことを本当に可愛がっていたんです」。それを思えば、この偽装がどれだけ卑劣かがよくわかる。
裁判所も公証役場も、今回の件で一層の書類管理を見直すこととなった。
そしてサトウさんが見つけた決定的証拠
「この紙、、、変ですよ」サトウさんが指摘したのは、登記に使われた委任状だった。紙質が微妙に違い、ホチキスの穴の位置が不自然だった。
過去の書類と照合した結果、その一枚だけが差し替えられていたことが判明した。すべての糸を引いていたのは、従兄弟ではなく、地元の行政書士だった。
登記簿に残された消し跡
法務局で閲覧した登記簿の旧記録には、かすかに消し跡が残っていた。まるで消しゴムでなぞったように、かつての名義人の記載がうっすらと浮かび上がっていた。
「この痕跡、完全に消しきれなかったんですね。犯人の詰めの甘さです」とサトウさんが淡々と言った。まるでコナンの蘭ねえちゃんみたいな決めゼリフだった。
事件の真相と司法書士の役目
結局、甥が正式な相続人として登記し直され、遺産は本来の形で継承された。事件は地元紙にも取り上げられ、「司法書士の地道な調査が真実を暴いた」と書かれた。ちょっとだけ誇らしかった。
とはいえ、地味な仕事にスポットライトが当たることは稀だ。私はまた次の書類に目を落とす。
二通の遺言書と一つの決断
私の役目は、司法の縁の下で淡々と真実を整えること。そして時に、泥の中から微かな光をすくい上げることだ。それが司法書士の誇りだと思っている。
「やれやれ、、、次はもっと平和な案件が来てほしいもんだ」と、私は机に身を沈めた。
終幕は役所の片隅で
一連の手続きが終わったその日、私は久々にコンビニのプリンを買って帰った。サトウさんは「甘すぎます」とだけ言って、黙々とタイピングしていた。
それでも、彼女の隣にいると、少しだけ世界がましに見える気がした。プリンの味は、少ししょっぱかったけど。
サトウさんの一言と静かな余韻
「シンドウさん、次の案件、また相続です」 「えっ、また?」 「逃げてもムダです」
私はため息をついて、PCを起動した。「やれやれ、、、司法書士に休みはないな」