測量図に消えた真実

測量図に消えた真実

司法書士の朝は図面とコーヒーから始まる

午前八時半、書類の山を前にぬるくなったコーヒーをすする。苦味が口に広がるが、それは眠気を吹き飛ばすには足りない。机の上には昨日届いた依頼書と、何枚かの地積測量図が散らばっている。

いつも通りに過ごすはずだった月曜の朝。だが、そのうちの一枚が、俺の目を止めた。「これは……ずれてる?」古びた線と、やけに新しい線。その違和感が、一日の始まりを狂わせていく。

サザエさんで言えば、波平の髪が二本になっていたくらいの違和感だった。

サトウさんの塩対応に負ける朝

「それ、先週も見てたじゃないですか。ちゃんと寝てます?」サトウさんの声は、今日も容赦がない。29歳、冷静沈着、俺の三倍は頭が切れる。たぶん。

「いや、これな。図面が変なんだよ。境界線が、ずれてる気がする」そう言っても、彼女は眉ひとつ動かさず「へえ」で済ませる。

やれやれ、、、俺が波平なら、あの一本の髪も立ち上がらない気分だった。

依頼人の言葉が引っかかった

「なんだか、隣地との境界が変わった気がするんです」先週訪ねてきた依頼人の言葉が、頭の中に残っていた。その時は軽く聞き流していた。

だが、こうして測量図を見直すと、確かに境界線が前のものと違う。二枚の図面を並べて定規で測れば、明らかに数十センチのズレがある。

「これは偶然じゃないな……」手帳に日付と地番を書き込む。面倒な匂いがした。

古い図面と新しい図面の不自然な違い

コピーされた新しい測量図はやけに鮮明で、線が滑らかだった。対して古い図面は手書きに近く、寸法も手書きの注記がある。

不動産の世界では、線の1ミリが命取りになる。しかもそこに金が絡むならなおさらだ。ズレている部分がちょうど道路と接する一角だと気づいたとき、背筋がぞっとした。

その場所は、将来的に価値が跳ね上がる区画整理エリアだったのだ。

土地家屋調査士の名前に覚えがあった

新しい測量図に記載された土地家屋調査士の名前が、妙に引っかかった。「確か、この名前……」記憶の底を探るように、俺は古いファイルを開いた。

あった。十年前、法務局で問題になった登記ミス。その原因となった調査士の名前と一致する。偶然ではない気がした。

俺の胃がまた一つ、酸っぱくなる。

十年前に問題になった登記の記憶

あのときも、地積測量図がわずかに改ざんされていた。けれど、結局証拠不十分で調査士は処分されなかった。

あの件を思い出すと、司法書士としての正義感よりも、また厄介なことに巻き込まれたという現実にため息が出る。

とはいえ、見逃すわけにもいかない。少なくとも、依頼人の土地は守らなければならない。

現地調査で見つけた小さな杭

午後、現地に足を運んだ。蒸し暑い日差しの中、草むらに隠れるようにして立っていた杭を探し出す。地面に打ち込まれたその小さな鉄杭が、すべての鍵を握っている。

だが、思った場所には杭がない。代わりに見つけたのは、数十センチずれた位置にある新しい杭だった。

「やっぱり……誰かが動かしたな」測量機器で角度を確認する。これは確信に変わった。

正しいはずの位置に杭がない

記録上の寸法と、現地の杭の位置がまるで一致しない。それは、意図的にずらされたとしか思えなかった。

しかもズレた方向が、ちょうど隣地の敷地を広げる形になっている。これは計画的な犯行の可能性がある。

不動産の利権は、時に人の道理よりも重い。俺は口の中に鉄の味を感じながら、事務所へ戻る決意をした。

登記簿と測量図が語る矛盾

帰所後、法務局から取り寄せた登記簿と照らし合わせる。面積が、わずかに増えていた。しかも測量図が添付されていない、謎の補正登記だった。

「やっぱりな」補正の申請者の住所を見て、さらに驚く。以前の地主の弟だった。なぜ彼が?売却済みの土地に口を出す理由は何だ。

このあたりから、サトウさんも少しだけ興味を示し始めたようだった。

数センチのずれが招く数百万の損害

測量の誤差に見せかけた巧妙な改ざん。わずか数センチで接道義務を満たしたように見せかければ、建築許可が下りる。

そしてそれを利用して売却すれば、何百万という利益になる。動機としては十分だ。

だが、それを誰がどうやったのか?俺の推理が形になっていく。

サトウさんの一言が突破口になった

「測量図の縮尺が違いませんか」コーヒーを淹れ直してくれたサトウさんが、何気なく言った。

言われてみれば、新しい図面の縮尺は五百分の一。古い図面は千分の一。見た目では判断できないが、数値としては違ってくる。

その違いが、補正登記の正当性を見せかけていた。やられたと思う反面、少しだけ嬉しかった。塩対応でも、彼女の一言は効く。

ごまかされた数字の裏に潜む意図

図面をすべてスキャンして重ねると、境界線がまるでスライドしたように動いていた。縮尺の違いを利用した、非常に巧妙なトリックだった。

もはやこれは、土地を盗んだと言っても過言ではない。司法書士の立場として、ここで動かないわけにはいかない。

俺は関係者に書面を送り、登記の再検証を求める手続に入った。

過去の取引から浮かび上がる一人の人物

元地主の弟。十年前、兄と揉めていた相続争いの記録があった。兄に土地をすべて譲る条件で絶縁したはずだった。

しかし、相続登記の際に受け取った地積測量図の写しを利用し、こっそり補正申請を出していたらしい。

そして今、その土地が市の再開発対象に含まれていた。動機も、手段も、彼だった。

売買と相続を巡る複雑な背景

調査の結果、偽造図面の提出が明らかになった。市役所に残っていたオリジナルと照らし合わせて、違いが判明したのだ。

再登記と是正の手続きは順調に進んだ。依頼人の土地も、元通りの位置に戻った。

告発までは至らなかったが、土地家屋調査士の処分は検討されることになった。

市役所の保管図面が決定打に

この結末を導いたのは、市役所に保管されていた正規の地積測量図だった。民間の書類ではごまかせても、公的な保管図面まではいじれない。

行政の力を借りたのは久しぶりだったが、やはり記録は嘘をつかない。地味だが、これは司法書士にとっての武器だ。

俺は心の中で、少しだけ「よし」と呟いた。

原本と改ざんコピーの違い

わずかな線の濃さ、文字のフォント、縮尺の記載。どれも、改ざんされたものにはほんの少しの違和感があった。

だが、現実はその「ほんの少し」で動く。法律の世界においては、感覚ではなく証拠が全てなのだ。

そのことを再確認させられる事件だった。

解決へ向けた調整と説得

補正登記の取り消し、依頼人との面談、関係者への説明。それぞれが一筋縄ではいかなかったが、粘り強く話し合いを続けた。

結果として、全員が納得できる形に落とし込むことができた。損得だけではなく、感情の整理も必要な仕事だ。

それが司法書士という職業の、もう一つの側面なのかもしれない。

登記と心の境界線を正す

人と土地。両方に境界がある。そしてその線がずれたとき、摩擦が生まれる。

登記を正すことは、心の整理にもつながる。そんなことを考えながら、俺は最後の報告書をまとめた。

やれやれ、、、今回もなんとか落ち着いた。

事務所に戻ればまた通常運転

報告書をファイルに綴じて、ひと息つく。事務所は静かだ。外はまだ暑そうだが、ここには少しだけ秋の気配が漂っている。

サトウさんは、いつものように淡々と次の書類を仕分けている。

俺の机の上には、新しい測量図が二枚。コーヒーの湯気とともに、次の物語が始まりそうな予感がした。

サトウさんは今日も塩対応

「ちゃんとコーヒー淹れてくださいよ。苦すぎます」

「いや、これは渋みだ。大人の味なんだよ」

「それ、渋みじゃなくて焦げてます」

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓