誰にも会わない日が続いても
司法書士という職業は、実は人と会う機会が少ない日も多い。書類を整えて、登記を電子申請して、結果を待つ。それだけで終わる日もある。誰かと会話したのは郵便局の窓口だけ、ということも珍しくない。そんな日が続くと、何のために働いているのか、ふと見失う瞬間がある。人との接点が少ないということは、ミスがなければ褒められることもなく、気づかれずに一日が終わる。静かな時間が心地よく思える日もあるが、やはり何かが足りない。そんな「空白」のような日々を繰り返していると、自分自身の存在まで希薄に感じてしまう。
事務所の電話が鳴らないときの不安
電話が鳴らない日、それは業務が順調とも言えるが、実際には違う。特に月末でもなく、祝日前でもないのに、何の問い合わせも依頼もないと「もしかして、このまま仕事がなくなるんじゃないか」と不安になる。以前、電話のベルが一日に何度も鳴っていた頃は、「うるさいな」と思っていたくせに、いざ静けさが続くとそれはそれで心細い。事務員も気を遣って無理に話しかけてはこない。その沈黙のなかで、自分の存在価値を確かめようとしてしまう。鳴らない電話の前で、ただじっと耳を澄ませてしまう自分が情けない。
忙しいのも嫌だが暇なのも怖い
皮肉なもので、忙しいときは「もう限界だ」と思っているのに、暇になった瞬間に「このまま廃業か」と焦り出す。ある程度の忙しさがあるからこそ、人は安定していられるのかもしれない。特に司法書士のように成果がすぐに見えにくい仕事は、何もない期間が長く続くと精神的に不安定になりやすい。ちょっとした時間の空白が、自分の存在意義を問い直すきっかけになる。野球部時代は、暇があれば筋トレでもしていたが、今はただ事務所でお茶を飲んでいるだけ。あの頃のエネルギーは、どこへ行ってしまったのだろう。
一人でいる時間が逆に心をかき乱す
一人でいる時間が好きだったはずなのに、それが「誰にも必要とされていない時間」に変わると、とたんに孤独がのしかかってくる。自由と孤独は表裏一体だというが、本当にそうだと感じる。かつては読書や勉強の時間として楽しめていた「一人の時間」も、今では雑音のない部屋でスマホをただ眺めて終わることもある。しかもそのスマホには、誰からも連絡がない。こうなると、自分で選んだ孤独が、自分を責めてくる。もっと人とつながる努力をすべきなのか、でも無理に繋がっても苦しいだけなのではと、心がぐるぐるしてしまう。
雑談のない仕事場という現実
事務所には事務員が一人いる。優秀で気の利く人なのだが、やはり雇用主と従業員という立場の壁は大きい。無理に雑談をしても気を遣わせてしまうし、こっちも気を遣う。だから、お互い必要なことだけを淡々と話す日が続く。職場に笑い声がないことは、思った以上に心に堪える。家庭があれば、帰宅後に誰かと会話することもあるのだろうが、独り身の私は誰とも話さずに一日が終わることもある。そんな日は、帰りのコンビニのレジの「温めますか?」すら妙にありがたく感じる。
事務員は気を遣ってくれているのが分かるだけに
事務員が時折「寒くなってきましたね」と話しかけてくれる。それが優しさだと分かるからこそ、こちらも変に明るく返そうとしてしまう。だけど、そうやって表面的なコミュニケーションを繰り返すことで、逆に孤独を強く感じるようになることもある。誰かと本音で話せる関係というのは、意外と貴重だ。気を遣われることはありがたいが、その優しさが寂しさを際立たせる。気まずくならないように無理に話題を探す自分が、まるで恋愛下手の若者のようで情けなくなる。
本音を話す相手が業務以外にいない
友人には愚痴をこぼしにくいし、家族とは疎遠。仕事の悩みや将来への不安、本当は誰かに聞いてほしいのに、言える相手がいない。それに、話したところで「まあまあ頑張ってるじゃん」と軽く流されるのがオチだ。だったら話す意味はあるのか、と考えてしまう。司法書士としての責任感や立場がある手前、弱音はなるべく外に出さないようにしてきた。でも、心の中ではずっと誰かに「しんどい」と言いたくて仕方がない。本音をしまい続ける日々が、ますます孤独に拍車をかける。
孤独を感じることは贅沢なのか
「そんなの贅沢だよ」と言われたことがある。仕事もある、健康もある、ひとりの時間を楽しめるのも自由だ、と。それはその通りかもしれない。でも、それでも人は寂しさを感じるものだ。物理的に恵まれていても、心が満たされるとは限らない。逆に、何もなくても誰かと心を通わせていれば、それだけで幸せな人もいる。孤独は甘えだという人もいるが、私は違うと思う。孤独を感じるのは、それだけ誰かと繋がりたいという証拠であり、それは決して恥ずべきことではない。
働いているだけで感謝しろと言われるけれど
「好きな仕事してるんだから文句言うな」と言われたこともある。確かに、自分で事務所を構えて、独立してやれている。表面的には、恵まれているように見えるのかもしれない。だけど、努力の裏にある孤独や葛藤、責任の重さまでは誰にも見えない。働いているだけでありがたいと言うけれど、じゃあ「働く」以外の時間に感じる不安や寂しさには、誰が寄り添ってくれるのだろうか。心の声を無視してまで「感謝しろ」と言われると、素直に感謝する気持ちすら萎えてしまう。
贅沢と言われることでますます言い出せなくなる
「そんなの贅沢だよ」と言われると、もうそれ以上は何も言えなくなる。愚痴や悩みを口にすることが、まるで他人の不幸を踏みにじっているかのような気さえしてしまう。でも、人は皆それぞれの孤独や悩みを抱えている。それを誰かと比べてしまうこと自体が、間違っているのかもしれない。自分の感じた感情を否定され続けると、だんだんと自分の感覚すら信じられなくなる。気づけば、どんな気持ちも口に出せないまま、ただ黙って日々を過ごすことに慣れてしまっていた。
愚痴をこぼすことにも遠慮してしまう
昔はもっと、軽く「疲れたな」と言えていた気がする。でも今は、何かを口にする前に「これを言ったらどう思われるだろう」と考えてしまう。特に独身男性という立場は、なぜか「弱音を吐くのはみっともない」とされがちだ。誰にも迷惑かけてないのに、なぜこんなに気を遣って生きなきゃいけないのかと、時々虚しくなる。だからと言って、SNSで吐き出す勇気もない。今日もまた、何もなかったふりをして、コンビニ弁当を温めながら帰宅する。そんな自分にまた、少しだけ自己嫌悪する。