登記申請に持ち込まれた古い謄本
それは、ある梅雨の午後のことだった。窓の外では静かに雨が降り、事務所には湿気と古紙の匂いが漂っていた。そんな中、初老の男性がやってきて、机の上に一冊の古びた謄本を置いた。
「これで、登記の名義変更をお願いしたいんですが…」と、彼は言った。聞けば、亡くなった父親の名義を息子である自分に変更したいという話だった。だが、提出された書類には、妙な違和感があった。
日付のズレに気づいたサトウさん
「この委任状、作成年月日が去年になってますけど、亡くなられたのは三年前ですよね?」とサトウさんが指摘した。彼女の言葉に男性は一瞬沈黙し、曖昧に笑った。
「いや、その、父が生前に署名だけして…」と言い訳をするが、明らかにおかしい。司法書士として、こういう曖昧な書類は見逃せない。サトウさんの目が鋭く光っていた。
所有者の署名が二種類ある理由
「そもそも、この謄本にある過去の署名と、この委任状の署名、筆跡が違いますね」とサトウさんは言った。彼女の観察力は、もはや探偵の域に達している。
古びた謄本には、明らかに達筆な署名が並んでいたが、委任状の筆跡は震えるような稚拙な文字。仮に父親が生前に書いたとしても、状況が合わない。何かが隠されている。そんな直感が僕の胸をざわつかせた。
謎の依頼人が残した封筒
帰り際、男性はふと立ち止まり、机の端に小さな封筒を置いた。「あの、小屋の鍵です。もし必要になれば…」と言って、頭を下げるようにして去っていった。
白い封筒には、確かに鍵がひとつ入っていた。そして、一枚の手紙。走り書きで、「どうか真実を確かめてください」とだけ記されていた。サザエさんのエンディングのような、唐突な展開に僕は唖然とした。
中に入っていた手紙と鍵
封筒の中には、手紙と一緒に錆びた鍵が入っていた。鍵はおそらく古い木造の建物のもので、手紙は年月を経て黄ばんでいた。差出人の名前はなく、ただのイニシャルだけが記されていた。
「これは事件ですよ、シンドウさん」とサトウさんが言った。僕は軽く頭を掻いた。「やれやれ、、、面倒なことになりそうだな」とつぶやく。こうして、僕たちの謎解きが始まった。
手紙に書かれていた古びた地番
手紙の最後には、古い地番がメモされていた。地元の地番であることに気づき、法務局のシステムで検索してみると、確かにその土地の記録が出てきた。だが、奇妙なことに、登記履歴が途切れていた。
「この地番、なにか消されてる気がしますね」とサトウさんが画面をのぞき込みながら言う。僕はその言葉に背筋がぞくりとした。まるで、何かが意図的に隠されているかのようだった。
登記情報の空白を追って
法務局の過去の登記簿を紙ベースで取り寄せてみると、平成初期のあたりから記録が不自然に空白になっていた。まるで、誰かがその期間だけごっそり削除したようだった。
「これ、もしかして登記簿改ざんの可能性ありますよ」とサトウさんが口にした。僕は目を細めてその書類を見つめた。何かが、始まろうとしていた。
消えた抵当権の記録
抵当権の設定があったはずの記録が消えていた。銀行名も、債権額も、設定年月日も、すべてがなかったことになっている。通常ではありえないことだった。
「こんな大規模な削除、関係者の中に司法書士がいたんじゃないですか?」とサトウさんが鋭く言った。まさか、僕らの業界の人間が絡んでいるのか…。その可能性に背筋が冷たくなった。
元所有者の所在と過去
元の所有者は、すでに数年前に亡くなっていた。しかし、調査を進めるうちに、彼には認知症の診断歴があったことがわかった。おそらく、最晩年には自筆の署名もままならなかっただろう。
だとすれば、現在出されている委任状は――やはり偽造されたもの。ここに、真の事件の姿が浮かび上がってきた。
土地売買の裏に潜む意図
土地は、5年前に一度だけ売買されていたが、それ以降動きはなかった。ただ、名義だけが微妙に移動しており、所有権の一部だけが売られているような形跡があった。
「名義だけを使って、何か別の目的があったんですね」とサトウさんは言った。たとえば、補助金の不正受給や、不動産の仮装取引…。やはり、動機が見えてきた。
謄本の履歴が語る嘘
本来なら履歴にはっきりと記されるべき登記変更の情報が、数件抜けていた。データ上で整合性はとれていても、紙ベースで照合すると空白の痕跡が目立った。
「誰かが、帳尻を合わせるように嘘を塗り重ねてますね」とサトウさん。まるで『怪盗キッド』のように、証拠だけをきれいに消していく技術に、思わず感心すら覚えてしまった。
二重売買の可能性と動機
さらなる調査で、同じ土地が他の人物にも「売られていた」記録が見つかった。しかも、名義は変更されていないが、契約書が存在した。これは明らかな二重売買だ。
「詐欺ですよ、これ」とサトウさんが冷たく言い放った。だが、その裏には、誰かの切実な事情が隠されている気もしていた。
封印されていた小屋の扉
例の鍵を持って、小屋の場所へと向かった。木造の古い建物は、まるで時が止まったように静かだった。鍵を差し込むと、鈍い音とともに扉が開いた。
中には、埃をかぶった机と書棚、そして、一冊の分厚いファイルがあった。そこには、改ざん前の登記簿の写しと、手書きの証言が残されていた。
鍵が開いた先の発見
ファイルの中には、父親の字で書かれた日記もあった。「誰かの嘘で土地を奪われるくらいなら、黙って死んだ方がマシだ」と記されていた。
本当の被害者は、依頼に来た男性の父親だったのだ。そして、それを知らずに息子は嘘の上に建てられた委任状を持ってきた。悲しい連鎖だった。
隠されていた原本と証拠
さらに棚の奥には、抵当権設定の原本もあった。それには正式な銀行の判子と、確かに本人の署名があった。改ざんされたのは、確定的だった。
これで、すべてのピースがそろった。嘘の契約、隠された真実、失われた正義。そして、司法書士としての僕の出番だった。
犯人が語った真実
後日、僕らが収集した証拠をもとに追及した結果、地元の不動産業者が関与していたことが明らかになった。動機は、補助金の不正取得だった。
「たかが土地一筆、と思ったんだよ」と、犯人は肩を落として言った。その言葉に、怒りよりも空しさを覚えた。
過去に交わされた本当の契約
父親が遺した真の契約書は、ようやく息子の手に渡された。彼は何度も頭を下げ、「父に申し訳ないことをした」と言って泣いた。
「誰かを信じる前に、まず確かめないといけないんですね」と彼は言った。その言葉が、胸に重く残った。
悲しみの動機と和解の道
事件は終わったが、傷は残った。だが、息子は父の土地を修復し、今では小さな農園として活用しているという。失った時間を、少しずつ取り戻すように。
「また雨ですね」とサトウさんがつぶやく。僕は傘を差しながら、空を見上げた。「やれやれ、、、もう少しだけ、真面目に生きてみるか」と思った。