序章 静かな町の依頼人
夕方の事務所に、少しだけ背中の曲がった老婦人がやってきた。
持っていたのは、一通の登記事項証明書と古びた手提げバッグ。
その姿は、まるで昔のサザエさんに出てくるご近所のおばあちゃんのようだった。
訪れた老婦人と一通の謄本
「これ、ちょっと見ていただけますかね」と老婦人が差し出したのは、一戸建ての土地建物に関する登記簿謄本だった。
どうやら、亡くなった兄の名義のままになっていた家が、いつの間にか他人の名義になっているという。
目を凝らすと、確かに数ヶ月前に名義が変更されていた。
物件の名義に潜む違和感
普通なら相続登記か売買による移転の記載があるはずだが、そこには「贈与」とだけ書かれていた。
しかも、贈与を受けた人物には婦人はまったく心当たりがないという。
これはおかしい、と思った瞬間、事務所内の空気がすっと張り詰めた。
調査開始 疑惑の登記内容
僕はさっそく登記簿の内容を精査することにした。
内容自体は法的には正当な形式を取っており、すぐに「これは違法です」とは言えない。
だが、手続きの進行スピードや書類の出どころに、どうしても引っかかるものがあった。
住所と所有者の不一致
新しい所有者の住所は隣県のアパートだった。
しかし、その住所をGoogleマップで調べると、そこにはすでに取り壊された空き地が写っていた。
この登記に出てくる人物、本当に存在するのか?
名義変更に潜む謎の委任状
登記原因証明情報として添付されていた委任状には、確かに老婦人の兄の署名があった。
だが、サトウさんが一言「これ、ちょっと筆跡変ですね」と呟いた。
それだけで僕は確信した。これは偽造かもしれない。
サトウさんの冷静な分析
「この印鑑、法務局の印影と照合してみましょうか」
サトウさんが淡々と進言する。さすがというべきか、彼女の視点はいつも数歩先を行っている。
僕は黙ってうなずくしかなかった。
書類の筆跡に光る違和感
照合の結果、明らかに筆跡が違っていた。
しかも使われていた印鑑も、昔兄が使っていたものとは違う形状だった。
誰かが、死んだ人間になりすまし、所有権移転登記を行った可能性が出てきた。
法務局からの情報開示請求
急ぎ、僕たちは法務局に対し、申請時の添付書類の閲覧請求を行った。
そこには確かに委任状、贈与契約書、印鑑証明書があった。
だが、印鑑証明書の日付が、兄が亡くなった後の日付になっていたのだ。
シンドウの現地調査
翌日、現地へ向かうことにした。
古びた一軒家は草に覆われ、まるで時間が止まったような空気をまとっていた。
こんな場所に目を付けた人間がいるのかと思うと、ぞっとした。
登記された土地と空き家の現在
ドアには南京錠、ポストにはチラシの束。明らかに数年放置された物件だ。
近所の住人に尋ねると、「もう何年も誰も住んでないよ」とのこと。
これが贈与? 誰に? 何のために?
近隣住民の証言と不自然な引っ越し
ひとりの老婦人が言った。「去年の春ごろ、スーツ姿の男が何度か来てたわ。紙袋持って」。
その証言は、登記の変更時期と重なる。
そしてその男は、怪盗キッドよろしく、風のように姿を消していた。
明らかになる過去の相続
再調査の末、兄には過去に離婚した妻との間に一人の子がいたことが判明した。
その人物こそが今回登場した新所有者と同姓同名だったのだ。
だが、実際にはその子は数年前に事故で亡くなっていた。
相続登記の盲点を突いた手口
亡くなった相続人の戸籍を用いて、第三者がなりすまし登記を行った可能性が浮上した。
しかも、登記の申請には法定相続情報一覧図を偽造していた形跡がある。
これは、制度の盲点を突いた悪質な手口だった。
被相続人の過去と隠された家族
さらに調べると、兄は生前「この家は誰にも渡したくない」と口癖のように言っていたらしい。
だがその遺志を利用し、無断で登記を動かした人物がいる。
それは、兄の死を知った元義理の親族の一人だった。
疑惑の司法書士の影
ここで登場するのが、申請代理人として記載されていた某司法書士。
名前には見覚えがあった。数年前、懲戒処分を受けて登録抹消になったはずの人物だ。
まさかとは思ったが、同姓同名で、登録番号も極めて近い。
登録番号の照合と驚きの一致
確認すると、番号はやはり抹消済の人物のものだった。
つまり、偽の司法書士が作成した書類で登記が行われていた。
これは完全にアウト。だが、簡単には証拠をつかめない。
シンドウの怒りと葛藤
僕は拳を握りしめた。
「正義がこんなに軽んじられていいのか?」
やれやれ、、、まるで自分が探偵役のつもりで事件に首を突っ込んでるようだった。
サトウさんの推理と結末
「この人物、過去にも同じ手口でやってます。別の県でも」
サトウさんがパソコン画面を見ながら言った。
その画面には、過去の判例と酷似した登記詐欺の記録があった。
背後にいた本当の黒幕
結果として、登記簿の裏にいたのは、元司法書士とつながる不動産ブローカーだった。
数軒の空き家を狙い、なりすましと偽造書類で不正登記を行っていたのだ。
警察に通報し、老婦人の土地は差し戻される手続きに入った。
登記簿が証明したもの
登記簿はただの書類ではない。
人の想いと嘘と欲望が交錯する、言わば無言の証言者だ。
今回の事件で、その重みを改めて思い知ることになった。
正義と制度の狭間で
法の網をかいくぐる者、それを食い止める者。
僕たち司法書士はその最前線にいる。だが、その責任の重さに押しつぶされそうになることもある。
それでもやるしかない。僕たちには、それしかないのだ。
シンドウの胸に残るわだかまり
「でも結局、未遂だったから逮捕は難しいってさ」
そう言いながら僕は溜息をついた。
心のどこかに、やりきれなさが残っていた。
依頼人の未来と静かな別れ
老婦人は帰り際、深く頭を下げてこう言った。
「あなたに頼んでよかった。兄も喜んでます」
その言葉だけで、僕の疲れは少しだけ報われた。
終章 そしてまた日常へ
事件が終わっても、日々の仕事は終わらない。
机の上には、また次の案件のファイルが積まれていた。
夕焼けに染まる事務所の中で、僕はそっと伸びをした。
書類の山とサトウさんの無言
「今日中に終わらせてくださいね」
サトウさんの塩対応は、いつも通りだった。
だけど僕は、なんとなく微笑んでしまった。
夕焼けと背中に残る重み
あの空き家には、まだ兄の思い出が残っているという。
それを守るために僕ができたこと、それだけが救いだった。
やれやれ、、、また明日も、誰かの物語が始まるかもしれない。