見えない忙しさに気づいてもらえない日常
司法書士として働く中で、一番つらいのは「忙しさが伝わらない」ことだ。実際、事務所の中にじっと座ってパソコンを叩いている時間は多い。外から見れば、動きもないし、ただ静かに作業しているだけに見えるかもしれない。でも現実は違う。書類の山、期限ギリギリの手続き、急な電話、調整が難航する案件。やることが次々と降ってくるのに、それを「ヒマそう」と言われることほど、心が削られることはない。
目の前の書類と終わらない電話
朝イチで出社して、まず着手するのは前日に手をつけられなかった登記関係の書類。司法書士の仕事は、内容の正確さが命。たとえ一文字の誤字でも後で大問題になる。そんな緊張感の中で、神経を張り詰めながら書類を作っているときに限って、電話が鳴る。お客様からの問い合わせ、裁判所からの確認連絡、不動産会社との連絡調整。電話が1本鳴るごとに、集中が途切れ、作業が中断される。それでも「ずっと中にいて電話とってるだけでしょ?」と言われると、苦笑いしか出てこない。
人手が足りない現実と事務員一人の限界
うちの事務所は、私と事務員一人の2人きり。都心の事務所のように分業ができるわけじゃない。全部自分でやる。電話を取って、応対して、調べて、書類を作って、チェックして、提出して。その合間に事務員さんが来客対応をしてくれるが、こちらもパンク寸前。昼ご飯を食べる時間すらままならない日もある。それでも「人増やせばいいじゃん」なんて軽く言われる。でも、地方で司法書士事務所を維持するのって、そんな簡単なことじゃない。
相談対応中でも「今ちょっといい?」がくる恐怖
お客様との面談中でも、携帯が鳴ったり、インターホンが鳴ったりする。「今ちょっといい?」と言われても、こちらは真剣に相続の話をしている最中。集中して話を聞いているのに、割り込まれるたびに、心の中で舌打ちしてしまう。相談者にとっても大切な時間を台無しにしたくないが、実際問題として、全部ひとりで回していると、対応せざるを得ない場面も多い。そういう「止めどなく割り込まれる日々」も、外からはわからない。
机の前にいるだけで暇に見える悲しさ
パソコンに向かって黙々と作業していると、「今、暇?」と聞かれることがある。決して暇ではない。むしろ一番集中していて、間違いが許されない作業中だ。でも、見た目だけで判断されてしまう。これが、本当にしんどい。「暇そうに見える=手を止めて大丈夫」だと思われて、ついでに頼まれごとまでされる。でも、こちらにはこちらのペースや段取りがあるのだ。時間は戻らないし、締め切りは待ってくれない。
パソコン作業は見た目が地味すぎる
司法書士の仕事の大半は書面作成や調査といった、極めて“見た目が地味”な業務だ。たとえば、商業登記の内容を確認するのに何十ページも定款や議事録を読み込む。そのうえで法的な整合性やリスクを考慮して判断しなければならない。そんな真剣勝負をしている最中でも、ただパソコンをポチポチしているようにしか見えない。だからこそ、見た目と実態のギャップに苦しむ。
「なんかのんびりしてそうだね」の一言に傷つく
先日、知り合いから「事務所でのんびりしてそうでいいね」と言われた。「そう見えるんだな」と笑って返したが、内心では小さな棘が刺さったような気分だった。自分の頑張りや苦労が伝わらないもどかしさ。それが積もり積もると、「なんのために頑張ってるんだろう」と感じてしまう。孤独な戦いをしている人にとって、見た目の印象だけで評価されるのはつらい。
本当に暇な人には絶対言われない言葉
「暇でしょ?」って言ってくる人に限って、本当に暇な人ではないか、まったく想像力のない人だと感じる。逆に、自分も忙しい人は、こっちの忙しさにも気づいてくれる。「これ大変だよね」と共感してくれる人がいると、それだけで少し救われた気分になる。でも現実は、そういう人は少ない。たいていは「なんでそんなに疲れてるの?」という冷たい言葉が返ってくる。
時間が空いても心が休まらない
少し空いた時間ができても、それは「やるべきことを後回しにしている時間」にすぎない。心はずっと仕事のことを考えている。どの書類を先に仕上げるか、誰に連絡するか、明日の準備はできているか——。まるでずっとマウンドに立たされているピッチャーのような気分だ。プレイはしていなくても、試合は終わっていない。
常に頭の中は案件の処理中
移動中、トイレの中、夕食の支度をしているときでさえ、頭の中は案件の段取りでいっぱいだ。どこかのタイミングで「あれ、あの登記の添付書類は揃ってたか?」なんてことが急に浮かぶ。だから、たとえ身体が休んでいても、心はまったく休まらない。休日もどこか不安がつきまとっていて、完全にオフになることはない。
裁判所の待ち時間も神経をすり減らす
裁判所での書類提出や相談手続きの待ち時間も、ただの“待ち”ではない。何か忘れ物はないか、提出順は合っているか、窓口で突っ込まれそうな点はないか――。あれこれ気を張って待っている。心の中では常にシュミレーションしている。しかも、ひとつミスがあれば全体のスケジュールが狂う。だからこそ、「待ってるだけで楽そう」なんて言われると、本当に腹が立つ。
元野球部だった自分が愚痴を言うようになるまで
高校時代、野球部で培った根性と体力には自信があった。上下関係にも厳しかったし、声も大きく、ミスも仲間でカバーしていた。でも司法書士の仕事は違う。個人で責任を負う孤独な戦い。助け合う相手もおらず、誰にも相談できないまま、一人で悩み、抱え込む。そんな生活が長くなると、愚痴のひとつもこぼしたくなる。「甘えだ」と言われても、こぼさずにはいられない。
体力勝負の仕事じゃないのに疲れる理由
事務所で座っている時間は長い。でも、その間ずっと神経を使っている。登記の内容、法律の解釈、相手方との関係、依頼者の心理……。考えることが多すぎて、夜にはどっと疲れる。体は動かしていないのに、気力だけが削れていく。高校のとき、真夏に走り込みしていた頃の疲れとは全然違う、もっと重く、じわじわと効いてくる疲労感だ。
目に見えないストレスの蓄積
一日一日の仕事は、誰かの人生に関わるものばかり。それだけにプレッシャーも強く、ミスが許されない。でも、その緊張は誰にも見えない。相談者には「大丈夫ですよ」と笑って対応しても、裏では何度も確認し、何重にも保険をかける。その積み重ねが、少しずつストレスとして蓄積されていく。ある日、ふと鏡を見て「老けたな」と思うのは、そのせいだろう。
一人分の感情を受け止めるのもしんどい
依頼者が抱える悩みや不安は、時にとてつもなく重い。相続争い、借金問題、家族の確執。話を聞くことも大切な仕事だけれど、それを受け止めるたびに、自分の感情も揺さぶられる。元来、私は優しい性格だと思っているからこそ、冷たく突き放すこともできず、話を聞いてしまう。そして、後でどっと疲れる。それでも、「相談料こんなにかかるの?」と言われることもある。
モテない人生と忙しさの因果関係
正直に言えば、モテない。忙しさのせいにするのは情けないと思うが、恋愛に割ける余裕も、出会いも、ほとんどない。婚活アプリを開いたはいいが、結局「今週は無理」と後回しにして終わる。気がつけば、また一人で食べる夜。そうして年齢だけが増えていく。
連絡を返せない日々が積み重ねた距離
たまに食事に誘ってくれる女性もいた。けれど、仕事の波に飲まれてLINEの返信すら数日遅れてしまう。そんなことが何度か続けば、自然と連絡は途絶える。相手からすれば「やる気がない」と思われても仕方ない。でもこっちは、本当に余裕がなかっただけなのだ。結果的に「忙しい=距離を置かれる原因」になってしまう。
休日出勤が恋愛チャンスを奪っていく
土日にイベントがあると言われても、予定を入れられない。特に不動産関係の手続きが集中するのは、休日や連休明け。しかも、「急ぎなんですけど」案件はたいてい週末にやってくる。だから、恋愛のチャンスがあっても、それをつかむ時間がない。出会いの場にも行けず、「仕事落ち着いたらね」が永遠の言い訳になる。
誰かと暮らす想像ができない今
この仕事を続けていく中で、「誰かと暮らす」という生活が現実味を失ってきた。朝から夜まで働き詰め、帰宅して風呂に入って寝るだけの毎日。そこに他人を巻き込む余裕がない。元野球部の頃は「結婚して家庭を持つのが当たり前」だと思っていたけど、今は正直、自分が誰かと一緒に暮らせる人間なのかもわからなくなっている。