胸に残るあの一言が人生を少しだけ変えた
司法書士として日々書類に追われ、電話に追われ、細かな確認作業に疲弊する中で、ふとした瞬間に思い出す言葉がある。あの一言が、今もなお胸に残っているのだ。言われたのはもう10年以上前。まだ独立する前の修業時代、先輩司法書士に怒られた日の帰り道だった。「お前には、向いてないんじゃないか?」。冗談半分のような、でも妙に真剣なトーンだった。忘れたくても忘れられない。その一言が、今でもどこか心の奥で引っかかっている。
何気ない一言がずっと頭から離れない理由
人は意外なほど、言葉に左右される。特にそれが否定的な内容だと、なおさらだ。あの時の「向いてない」という言葉は、能力を否定されたように感じたし、自分の存在価値まで疑ってしまった。翌日も、その翌週も、仕事のミスをするたびに「あぁ、やっぱり向いてないのかもな」と頭によぎる。実際、その後も上手くいかないことの連続で、自信はどんどん削られていった。たった一言で、これだけ引きずるのかと思うと、人間ってややこしい生き物だと思う。
言った方は覚えていないという現実
皮肉なことに、こういう言葉って、言った本人は覚えていない。数年後、飲み会でその先輩と再会したとき、「そんなこと言ったっけ?」と笑っていた。悪気なんてなかったのだろう。けれど、受け取った側は何年も抱え続ける。そう思うと、言葉の重みって、投げる側にはなかなか実感できないものなんだなと感じた。軽く放たれた言葉が、誰かの心にずっと刺さり続けていることだってあるのに。
言われた自分だけがずっと背負っている
その言葉を背負って、気づけば独立して10年。今でもふとした瞬間に「向いてない」という言葉がよみがえる。たとえば登記の補正が来たときや、お客さんに断られたとき。自分の中に住みついているあの一言が、いちいち囁いてくる。「やっぱり無理だったんだよ」って。どうしようもない。でも、もう背負って生きていくしかないとも思っている。逆に、背負っているからこそ丁寧にやろうと思えることもあるから、不思議なものだ。
司法書士という仕事の重みを感じた瞬間
司法書士という仕事は、一見地味だ。でも、間違いが許されない世界だ。1ミリのズレも許されない登記、契約、書類。そんな世界に身を置いていると、ちょっとした言葉の重みも自然と意識するようになる。依頼者がふと漏らす一言が、実は深刻な悩みの裏返しだったりする。そういうことに気づけるようになったのは、たぶん自分自身が「一言で変わってしまった」経験を持っているからかもしれない。
依頼者の一言で救われることもある
ある日、相続登記を依頼してきた高齢の女性が、手続き完了後にぽつりと「これでやっと夫に顔向けできる」と言った。その瞬間、胸にじんわり何かが広がった。こちらは事務的に処理していたつもりだったが、依頼者にとっては人生の区切りだった。そんな大切な場面に立ち会えるこの仕事の価値を、改めて実感した。そして、自分が「向いてない」なんて思っていたことが、少し恥ずかしくなった。
でも逆に突き刺さる言葉もある
とはいえ、すべての言葉が心を温めてくれるわけじゃない。「高いですね」と言われたとき、「前の司法書士の方が早かった」と言われたとき、いちいち心がざわつく。サービス業のつらさはここにもある。専門職とはいえ、比べられ、値踏みされる。努力しても報われない感覚がある。でも、そんな声に慣れるのもまた、この仕事を続ける上での通過点なのかもしれない。
あの一言でふと立ち止まったある日の午後
ある日、事務所で山のような登記申請を前に、ため息をついていたら、事務員が言った。「先生、そんなに忙しいなら辞めたらどうですか?」。冗談交じりだったのかもしれない。でも、その時の自分には冗談に聞こえなかった。黙って、モニターを見つめるしかなかった。あの時の沈黙が、なんとも言えない虚しさを連れてきた。
そんなに忙しいなら辞めたらどうですか
今でもあの言葉を反芻することがある。事務員に悪気はなかったのはわかっている。でも、あまりにもタイミングが悪かった。ちょうど、疲れがピークに達していた時期で、心に刺さったその言葉が自分をどこか遠くに連れていきそうだった。辞めたら楽になるのかな。でも辞めたところで、この年齢、この性格、この地方で、何ができるのか。
言葉のナイフと向き合う毎日
誰かの何気ない一言が、心に突き刺さる。そのたびに「慣れろ」と言い聞かせるけれど、慣れるなんて簡単じゃない。司法書士という職業は、人の人生の転機に関わることが多い分、相手の言葉も真剣だ。だからこそ、こちらも深く受け取ってしまう。最近では、なるべく感情をフラットに保とうと心がけているけれど、それでも刺さるときは刺さる。
辞めたらもっと孤独になりそうで辞められない
結局、辞めることはできない。辞めたらどうなるのか。おそらく、今以上に孤独になるだけだ。仕事は大変だけれど、何もなくなった世界でただ一人になる方が怖い。依頼者との会話、役所とのやりとり、事務員とのたわいないやりとり。それら全部が、なんだかんだ言って「社会との接点」だ。だから、自分に向いているとか向いていないとかよりも、「ここにいるしかない」っていう気持ちでやっている。
元野球部のくせにメンタル弱い話
昔はもっと強かった気がする。高校時代は野球部で、グラウンドに石が転がっていようが、監督に怒鳴られようが、走っていた。でも、あの頃の自分と今の自分は違う。体力よりも精神が持たない。ちょっとしたことで心が揺れる。「根性で乗り切れ」と言われた時代に育ってきたけど、もうその根性もどこかに置いてきた気がする。
昔の監督の一言も今思えば毒だった
「弱音吐くやつは、試合に出す価値なし」――監督が言った言葉だ。あの頃は当然のように受け入れていた。でも、今思えば毒だったと思う。誰かの不安や苦しみを認めない文化の中で、自分も他人に厳しくなりすぎていたのかもしれない。司法書士の世界にも似た空気がある。「言い訳するな」「やるべきことをやれ」――でも、人間ってそんなに単純じゃない。
耐えることが美徳だと刷り込まれてきた
しんどくても顔に出さない。誰かに迷惑をかけないように、必死でこらえる。それが大人だと思っていたし、今でもそう思っている部分がある。でも、限界はある。最近は、自分の中の「無理してるな」という声にも耳を傾けるようにしている。だって、潰れたら終わりだから。誰も代わりはいないし、誰も責めてくれない。
それでも折れない芯をどこかで持っている
いろんな言葉に傷ついても、それでもここまでやってきた。たぶん、どこかにまだ芯が残っているのだと思う。誰にも褒められなくても、誰かに感謝される瞬間がある。それだけで、また明日も頑張ろうと思える。メンタル弱いくせに、この仕事を続けている自分を、少しだけ誇ってもいいのかもしれない。