朝は戦場 支度の段階で心が折れる
目覚ましが鳴る前に目が覚めてしまうようになって久しい。布団から出る前から、今日もギリギリの一日が始まることがわかっていて、ため息が出る。朝のニュース番組では「今日は晴れ」とか「交通情報」とか、何も自分に関係のないことばかり流れてくる。洗顔しながら「今日は何から片付けるべきか」と考え始めると、頭の中で締切と電話の予定がごちゃ混ぜになる。出勤前の10分は、精神の準備時間じゃなく、もはや戦場への突撃準備でしかない。
朝イチの電話が鳴るともう終わりの合図
まだコーヒーも一口しか飲んでいないのに、電話のベルが鳴るときが一番怖い。しかもだいたい、良い知らせではない。緊急案件、相続で揉めている、登記でトラブっている、そんな話ばかり。どれも「今日中にお願いできませんか?」という軽い言葉で重たい責任を背負わされる。頭の中で「これは今日中には無理だ」とわかっていても、断った瞬間に信用を失う気がして、つい「何とかします」と言ってしまう。それがまた自分を苦しめる。
予定通りに動ける日は存在しない
「予定表どおりに進んだ日って、いつが最後だっけ?」そんなことを考えてしまうほど、毎日何かしらズレが生じている。クライアントの都合、役所の手続き、郵送の遅れ。どれか一つが狂うと、ドミノ倒しのようにスケジュールが崩れていく。しかも誰かが助けてくれるわけじゃない。すべて自分で、なんとか、間に合わせるしかないのだ。
電話を取るか無視するかの心理戦
本音を言えば、事務所の電話を5分でも鳴らないようにしておきたいと思うことがある。けれど無視したら次はクライアントが事務所に来てしまうかもしれない。電話に出る勇気と、出ない選択のリスクを天秤にかける日々。元野球部で鍛えたつもりのメンタルも、こんな神経戦にはまるで役に立たない。
事務所は常に火消し作業中
誰かが火をつけたわけではないのに、毎日どこかしらで火の手が上がっている。それが司法書士事務所のリアルだ。急ぎの案件、訂正の依頼、なぜか今さら言ってくる補正。まるで現場は延焼中の現場。こちらが全力で消しても、誰かがまた火をつけに来る。消火活動が終わらないのが、この仕事の現実だ。
期限ギリギリで走る日々のプレッシャー
登記の締切、書類提出の期限。これらはただのスケジュールではなく、命綱みたいなものだ。一日遅れただけで信頼を失う可能性がある。司法書士の仕事は、信用がすべて。だからギリギリの中でも「遅れないこと」が絶対条件。プレッシャーが肩と背中にのしかかって、どこか痛い。でも、それを理由に休める仕事ではない。
自分が崩れたら全部終わるという恐怖
ひとり事務所。事務員さんがいてくれても、結局最後の責任は自分にくる。体調が悪くても、寝不足でも、気分が落ちていても、やるしかない。自分が動けなければ、依頼人も不幸になる。そう思うと、休むことが怖くなる。結局、ギリギリの状態を無理に保ちながら、走り続けるしかなくなる。
事務員さんに負担をかけまいとする無理
彼女には申し訳ないと思っている。無理はさせたくないし、できるだけ自分で片付けようとする。でもそれが逆に自分の首を絞める。うまく分担したい気持ちはあるけど、任せる不安と自分の責任感がせめぎ合って、気づけば全部背負ってしまっている。
それでも支えられる声がある
正直、やめたいと思う瞬間は何度もある。それでも続けていられるのは、ほんの少しの「ありがとう」に救われるからだ。自分が関わったことで、誰かの人生の一部が少しでも前に進んだと思えるとき、それは何にも代えがたい報酬になる。「助かりました」「相談して良かった」その一言が、また明日も頑張ろうと思わせてくれる。
小さな感謝にすがって持ちこたえる日々
大きな成功も、派手な褒め言葉もいらない。ただ、小さな感謝に気づける心だけは、無くしたくないと思っている。ギリギリの毎日だけれど、その中にこそ、人とのつながりの重さを実感する瞬間がある。今日もまた、誰かの不安を少しだけ軽くできたかもしれない。そんな仮定にすがって、また朝を迎える。