印鑑を押すたびに心がすり減るような日々

印鑑を押すたびに心がすり減るような日々

印鑑を押すたびに感じる虚無感

司法書士という仕事に就いてから、何千回、いや何万回と印鑑を押してきた。業務上必要な作業だと分かってはいるものの、正直「自分じゃなくてもいいのでは?」と感じる瞬間が増えてきた。特に忙しい時期などは、書類の束が机に山のように積み上がり、そのひとつひとつに黙々と印を押す日々。ふと気づくと、自分が何をしているのか、何のためにやっているのか、その意味がわからなくなることがある。

確認だけの仕事に成り果てる日々

「確認しました」「登記簿に問題なし」「間違いないことを確認済み」——印鑑を押すという行為が、こんなにも形式的で、かつ精神的に削られるものだとは思っていなかった。依頼者にとっては重要な手続きであっても、私にとっては“いつもの流れ”になってしまい、業務そのものが確認作業の繰り返しに感じられる。元々、少しは人と関わりながら進める仕事だと思っていたけれど、気がつけば“押す人”でしかないような感覚に襲われる。

手間ではなく心が痛い

よく「書類仕事って大変ですね」と言われるけれど、体力的なきつさよりも、精神的な疲労のほうが大きい。なぜなら、手間がかかることそのものよりも、「この作業に何の意味があるのか」という疑問が積もり積もっていくからだ。事務所の片隅で、黙々と押し続けるハンコ。その音が小さなため息のように感じられる日もある。誰かのために仕事をしているはずなのに、自分が消耗していくだけのような日々。

そこに“自分”は存在しているのか

一枚一枚の書類に印を押すたび、ほんの少しずつ、自分の存在が薄れていくような気がしている。そこに意思はあるのか?ただの手続きマシーンになってはいないか?責任の重い仕事だという自覚はある。でも、その責任感に心が追いついていないと感じることも多い。効率よく仕事をこなせばこなすほど、自分の気持ちを置き去りにしているようで、それがまた虚しさを増幅させる。

事務所という名の孤島

地方の司法書士事務所は、決して華やかでもなく、にぎやかでもない。雇っている事務員は一人だけで、基本的には無言でそれぞれの作業に集中している。ふとした時に視線が合えば軽く会釈はするけれど、それ以上の会話はほとんどない。忙しいときは特に、事務所の空気が張り詰めていて、話しかける隙すらない。そうして一日が終わると、まるで無人島で過ごしたような孤独感に包まれる。

一人の事務員と回る小さな世界

事務所の規模は小さく、当然人間関係も限定的だ。事務員とは信頼関係はあるけれど、仕事以外の話はほとんどしない。お互いに気を使いながら黙々と作業をこなす、そんな日々が続いている。時折「この人も同じように心が擦れていってないだろうか」と気になるけれど、聞く勇気もない。小さなチームの中では、愚痴ひとつ漏らすのにも気を使う。それがかえって、孤独を強めている。

会話は最低限 けれど寂しさは最大限

「仕事だから」と割り切るのは簡単だ。でも、誰とも心のこもった会話を交わさずに過ごす一日は、想像以上に心に堪える。昔はもっと、同僚と馬鹿話をしながら働いていた気がする。それが今では、必要最低限の業務連絡だけ。業務効率は悪くないけれど、感情の循環は止まったままだ。だからこそ、仕事が終わった後に襲ってくる虚しさが、どんどん深くなっていく。

元野球部の自分が机に向かってる現実

高校時代、毎日グラウンドを駆け回っていた。汗をかきながら仲間と声を出し合い、勝利に向かって全力で突き進んでいた。あの頃の“充実感”が、いまの机に向かう自分からはまったく感じられない。書類の山に囲まれ、誰とも会話せず、気力だけで仕事を回している。ふと、あのグラウンドの土の匂いが恋しくなる。動と静のギャップに、自分でも驚く。

チームプレーの快感はどこへ

野球部時代の一番の楽しさは、やっぱり「チームで戦うこと」だった。自分一人の頑張りだけじゃ勝てないから、仲間との連携が何より大切だった。その感覚が、今の司法書士という仕事にはほとんどない。個人の責任、個人の判断、そして個人の孤独。誰かと一緒に何かを成し遂げる感動がないぶん、達成感も一人きり。誰ともハイタッチできない日々は、正直味気ない。

体を動かしていた頃が恋しい

頭を使う仕事も嫌いじゃない。でも、机に長時間向かい続ける毎日に、やはり限界を感じる。特に、気分が乗らない日やミスを連発した日などは、無性に体を動かしたくなる。近所の公園でキャッチボールをする相手もいないし、野球仲間とも疎遠になった。書類と印鑑だけの生活の中で、身体も心も凝り固まっていくような感覚がある。

それでも辞めなかった理由

ここまで愚痴ばかり書いてきたけれど、それでも私はこの仕事を続けている。その理由を正確に説明するのは難しい。ただ、一度だけ依頼者に「あなたに頼んで本当によかった」と言われたとき、その言葉が胸に刺さった。そして、長く続ける中で“誰かの役に立っている”という実感が、かろうじて自分を支えている。心が擦れながらも、完全に壊れないよう、そんな小さな言葉にすがって生きている。

依頼者の一言が救いになることも

日々の業務では、ほとんど感謝されることはない。むしろ、間違いがないことが当然で、完璧であればあるほど無言で通り過ぎていく。それでも、たまにふとしたタイミングで届く感謝の言葉やお礼の手紙は、ものすごく心に染みる。「この一言のために、今日もやっててよかった」そう思える日がある限り、何とか続けられるのだ。

小さなありがとうの重み

世間ではよく「ありがとうの言葉が力になる」と言うけれど、この仕事ではそれが本当にリアルに響く。小さな「ありがとう」に、こんなにも救われるとは思わなかった。自分が押した何百回の印鑑が、誰かの人生にとって大事な一歩になっている。そう信じることで、擦り減った心が少しだけ戻る。印鑑を押すという行為が、無意味じゃなかったと思える瞬間だ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。