一人で生きることがそんなに異常なのか
「なんで彼女いないの?」この問いを何度受けてきただろうか。親戚の集まりでも、友人との飲み会でも、なぜかその話題にたどり着く。そしてこちらが一人でいる理由をいちいち語らされる。誰とも付き合っていない=何か問題がある、そんな空気がどこかに漂っている。でも、他人に迷惑かけずに仕事して生活してるだけでもう十分じゃないの?と心の中では何度も叫んでいる。だが声には出さない。出したところで「拗らせてるな」と思われるだけだ。
誰かと暮らすことが前提になっている社会
田舎にいると、「一人で生きていく」ことがほとんど理解されない。結婚して子供を育てて家を建てて、というルートが人生の成功だと信じられている節がある。もちろんそれはそれで素晴らしいけど、全員がそのレールに乗れるわけじゃない。司法書士という職業柄、相続の現場や家庭の問題にも関わることが多いからこそ、人と一緒にいることの難しさも知っている。けれど、そういう話をすると「屁理屈言って逃げてるだけでしょ」と笑われる始末。正直、面倒くさい。
お節介な親戚と職場のおばちゃんの無言の圧
年末年始になると実家での恒例行事がある。おせちを囲みながらの親戚の集まりだ。その場に必ず出る話題が「いい人いないの?」「早く孫の顔が見たいわ~」だ。事務所でも、たまに来る金融機関の職員や、隣のビルの事務員さんからも「先生、結婚しないんですか?」と茶化される。悪意はないのは分かっている。分かっているけれど、それが何より刺さる。「いないよ」と答えた瞬間、会話が一瞬だけ止まるあの沈黙が何より苦しい。
結婚してない=不幸という決めつけ
この国では、特に地方では「結婚していない男」=「何かしら欠けている」という目で見られることが多い。人としてどこか足りてない、そんなラベルを貼られているような気がしてならない。実際には、仕事に追われ、恋愛に割く時間も余裕もないだけだ。でもそれを説明するのも面倒だから「そういう縁がなくて」とごまかす。でも、本当にそうなのだろうか? いや、もしかすると本当は自分でもそう信じ込んでるのかもしれない。
仕事ばっかりの毎日に恋愛が割り込む余地はあるのか
朝から晩まで書類と電話に追われていると、恋愛なんて非現実的な話に思えてくる。依頼人の対応、登記の締切、役所とのやりとり……家に帰る頃にはもうヘトヘト。休みの日にデートなんて体力的に無理。気づけば、心のどこかで「このままでもいいか」と思ってしまっている。いや、正確には“あきらめに近い納得”だ。
登記と書類と電話に追われる平日
8時半には事務所に着き、まずはメールのチェック。その後は電話が鳴り、依頼人が来て、役所に提出する書類を作り、急ぎの案件の段取りを整える。ランチはコンビニおにぎりをデスクで頬張る。夕方になればまたバタバタで、気づけば外は真っ暗。そんな日常の中に、恋愛が入る余地なんてどこにもない。時間の問題だけじゃなく、気持ちの余白がそもそも存在しないのだ。
空いた時間に心の余裕は残っていない
たまにぽっかり空いた午後の時間。本来ならば誰かと会って食事でも……と思うのだが、実際にはその時間を寝て過ごすか、ネットサーフィンして終わってしまう。なぜなら、外に出る気力が残っていないのだ。どれだけ寝ても疲れは抜けない。この「心のだるさ」が恋愛の最大の敵かもしれない。
恋愛に向かう体力と気力の不在
昔はそれなりに恋もした。20代の頃は合コンにも行ったし、告白して振られたこともある。でも、40を超えた今では、「もうあんなエネルギーどこにもない」と思う。仕事と生活を維持するだけで精一杯なのに、恋愛という“もうひとつの仕事”を増やす余裕はない。悲しいけれど、それが現実だ。
元野球部だった俺に足りなかった恋の練習
高校時代、僕は野球部で汗を流していた。練習漬けの毎日で、女子と話すなんてことはほとんどなかった。恋の駆け引き? なにそれ美味しいの?そんな状態だった。あの頃、文化祭で女子に話しかける男子を「すげえ」と思って見ていた自分が、いまだに人との距離感を測れずにいる。
バットは振れたけど会話の球は打ち返せなかった
野球では打席に立ち、相手の球を読んで打ち返す。でも恋愛はそう簡単じゃない。相手の言葉にどう返せばいいのかが分からない。気の利いたセリフも出てこない。結果、無難な相槌か、黙り込むか。野球のように“練習”して身につくものでもないのが恋愛の厄介なところだ。
合宿と部活が青春のすべてだった
高校三年間、僕の青春は野球部の合宿と試合だった。放課後の練習、夏の炎天下での遠征。そこに恋の入る余地はなかった。もちろん興味はあったけど、時間も環境も許さなかった。だからこそ、大学に入っても「恋愛の仕方がわからないまま」だった気がする。
文化部女子との接点ゼロ問題
放課後はグラウンド、朝練もあるから朝早く登校。そんな生活の中で、文化部の女子と接点が生まれるわけもない。仲良くなりたくても、話しかける機会がない。ましてや恋愛に発展するなんて夢のまた夢だった。あのとき生まれなかった“経験”が、いまだに影響しているような気がしてならない。