日曜に届く仕事のLINEが地味に心を削ってくる

日曜に届く仕事のLINEが地味に心を削ってくる

休むはずの日曜に届く通知の音

日曜の午後。ようやく家でコーヒー片手にソファでひと息ついたところで「ピコン」とLINEの通知音が鳴る。その瞬間、頭の中がざわつく。プライベートの連絡ならいい。でも、ほぼ十中八九、仕事の連絡だとわかっている。日曜だってのに、なんで今なんだろう。通知音一つで休みのリズムが壊される感覚、司法書士という仕事をしていると、これが地味にきつい。休日も「気を抜くなよ」と言われてるようで、気が休まらないのだ。

何気ないひと言が心をざわつかせる

送られてくる文面は、たいてい「お疲れさまです」から始まる。社会人としては当たり前の挨拶なんだけど、こっちは今、仕事の顔じゃない。のんびりテレビでも見ていたところに、「お疲れさまです」なんて言われると、気持ちが一気に“事務所モード”に引き戻される。LINEの文字は短くても、その裏に「なんかしらの対応が必要」というメッセージが透けて見えるのがしんどい。

「お疲れさまです」の破壊力

先日は日曜の朝9時に届いた。「お疲れさまです。〇〇の件、少しご相談いいですか?」と。相手には悪気はないのはわかってる。だけど、その瞬間から頭の中が案件モードに切り替わる。午前中はずっとモヤモヤして、結局仕事用のPCを立ち上げて調べものをしていた。日曜なのに。誰のための休みなのか、ふと虚しくなる瞬間だ。

返信するべきか悩む時間がもう仕事

返信するかどうか悩む。このまま放置したら相手は困るかもしれない。でも今すぐ返したら、こちらの“対応可”のスタンスが定着してしまう。このジレンマで10分、15分とスマホを握ったまま考える。その時間がもうすでに仕事だ。LINEひとつで思考と感情が引っ張られる。そうして心がじわじわ削れていく。

気持ちの切り替えがどんどん下手になる

昔はもう少しうまく休めていた気がする。だけど最近は、日曜に仕事の連絡が来るかもしれないという前提で過ごすようになってしまった。連絡が来ていなくても、頭の中で“来るかもしれない”と身構えている。そういう状態で本当にリフレッシュなんてできるわけがない。

オンとオフの境界があいまいな職業

司法書士という職業柄、平日だけで全てを完結させるのは難しい。急ぎの相談が入れば日曜も動く必要があるし、依頼者の都合で連絡が入るのも仕方ない部分はある。とはいえ、それが積み重なると、「いつ休んでるの?」という状態になってしまう。オフにしてるつもりでも、心がオフになっていない。

気づかぬうちに“常時対応”が当たり前に

ある日、何の疑問もなく日曜に返信している自分に気づいてハッとした。もう、休むということを放棄しているようなものだ。どこかで「それが当たり前」と思い込んでいたのかもしれない。気がついたら、土日も平日も関係なくスマホを握っている。これって本当に健全なんだろうか。

事務員は休んでいるのに自分は気が休まらない

うちの事務所には事務員さんが一人いる。彼女はきっちり休んでくれる。もちろんそれでいいし、そうあるべきだと思う。でも、その姿を見ながら自分はLINEを睨んで仕事の連絡を返していると、「なんで自分だけ」と思うことがある。自営業の宿命だとはわかっているけれど、モヤっとしてしまうのもまた事実だ。

誰かに任せられない仕事の現実

司法書士の仕事は、意外と「自分でやるしかない」場面が多い。登記や書類の確認、法務局への対応。ミスが許されないものばかりで、事務員に任せきれるものではない。結局、最後は自分が責任を取るしかない。そのプレッシャーが、休日であっても頭から離れない。

ちょっとした文面にもにじむ依頼者の圧

LINEの内容は短くても、その温度感が伝わってくる。「お忙しいところ恐縮ですが」「またお時間あるときに」など、気遣ってくれているように見えて、“すぐに返事してくれるよね?”という雰囲気を感じることもある。こちらが深読みしてるだけかもしれないけど、そういうふうに思わせる時点で、もう心がすり減ってるのだ。

LINEだからこそ距離感がわかりにくい

メールならまだ構えられる。電話なら出なければいい。でもLINEは、生活の一部になりすぎていて、反射的に開いてしまう。そのせいで、「既読」が付いたことで「すぐ返せない」というストレスが生まれる。文章もカジュアルだからこそ、微妙な距離感のコントロールが難しい。

あえて既読をつけないという防衛

既読をつけないように、通知プレビューだけで内容を確認するようになった。LINEの画面を開かずに、頭の中で「今返せる内容か?」と考えて、返せるときだけ返す。けど、それでもやっぱり、通知が来るだけで気持ちが揺れるのは変わらない。防衛も限界がある。

元野球部だった頃の休養日と今の違い

高校時代、元野球部だった頃は、日曜の午後は完全な“オフ”だった。練習の疲れを癒やすために、体も心も徹底的に休ませる日。誰からも連絡が来ることはなかったし、「休むこと」が上達の一部だった。でも今は、休むと不安になる。動いていないと取り残されるような気がする。そんな自分に少し疲れている。

全力で休むことができていたあの頃

あの頃の自分は、「今日は完全休養日」と言われたら、喜んでゴロゴロしていた。罪悪感なんてなかった。でも今は、何もしていないと「怠けてる」と自分を責める。仕事ができる大人は、休むことにも自信を持てるって聞いたことがあるけど、自分はまだその境地に達していない。

“何もしない”ことに罪悪感を感じる現在

日曜の昼間、何もせずに布団にくるまっていると、「あれ、今なにか忘れてないか?」とそわそわしてしまう。本当は休んでいていいのに、休むことに慣れていないから、体は横になっていても心が落ち着かない。この感覚、共感してくれる人はきっと多いと思う。

同業の友人たちの「うちもそうだよ」に救われた

たまに司法書士仲間と話すと、同じようなことで悩んでいる人が多いと知って少しホッとする。「日曜にLINE来てつい返しちゃうよね」とか、「通知音で胃がキュッとなる」とか。自分だけじゃないと思えるだけで、心が軽くなる。同じ立場の人との雑談って、やっぱり大事だ。

自分だけじゃないという安心感

職種柄、孤独を感じやすいけど、同業とのつながりがあると救われる。みんなも同じように疲れていて、同じように耐えていて、それでも仕事を続けている。その姿に、自分ももう少し踏ん張ってみようと思える。LINEのストレスだって、分かち合えばちょっとだけマシになる。

愚痴を吐き合える仲間の存在

先日、久しぶりに飲みに行った同業の友人と「日曜のLINEマジ無理」という話で盛り上がった。そんな話題で盛り上がれるなんて変な話だけど、それだけ共通のしんどさがあるということ。愚痴を言って、笑って、少しだけ心が軽くなる。それだけで、また一週間をやり過ごせる気がした。

それでも誰かの役に立てている実感が支えになる

結局、どれだけ文句を言っても、誰かのためになっているという実感が、最後の支えになる。日曜のLINEも、相手にとっては本当に困っているのかもしれないし、緊急の助けを求めているのかもしれない。そう思えば、無視することなんてできない。だからまたスマホを開いてしまうのだ。

見えにくいけど確かにあるやりがい

直接「ありがとう」と言われることは少ないけれど、登記が無事完了したときの安心した声や、書類を渡したときのホッとした顔。それだけで、少し報われる気がする。誰かの不安を取り除く仕事をしているという誇り。それが、しんどい中でもやめない理由の一つになっている。

モテなくても感謝される仕事

女性にはモテないし、独身だし、休日もろくに休めない。でも、依頼者から感謝されると、「この仕事をしていて良かった」と思える。自己満かもしれないけど、誰かの役に立てるというのは、想像以上に大きなモチベーションだ。今日もLINEが鳴るかもしれない。でも、ちょっとだけ覚悟ができた気がする。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。