すぐ終わると信じた自分を恨む夜

すぐ終わると信じた自分を恨む夜

今日もまた、終わらなかった

「今日は早く終わるはずだった」——何度そう思ったことだろうか。朝の段階では予定も少なく、難しい登記もなかった。それなのに、時計を見るともう22時前。事務所に響くのは自分のタイピング音だけ。ふと手を止めて天井を見上げる。毎回こうだ。自分の読みの甘さを呪いながら、残された作業を恨む夜がまた始まる。地方の司法書士なんて、のんびりやってると思われがちだが、実態は違う。中途半端に頼られるぶん、対応せざるを得ないことも多い。誰も責めていないのに、自分だけが自分を責めている。

「あと30分で終わる」が何度目か

作業の見積もりは、甘くなりがちだ。とくに「あと30分で終わる」と口にしたときほど、2時間かかるのが司法書士あるあるだろう。細かい確認事項が次々に増え、途中で電話が鳴り、来週の準備に気を取られる。そうして、気づけば20時。いっそもう少し遅くまでかかるとわかっていれば、心の持ちようも違うはずなのに。

見積もりの甘さは性格か

この“30分病”は、性格にもよるのだろうか。元野球部で鍛えたつもりの根性が、逆に「まだいける」と自分に言い聞かせる癖になっている気がする。時間を正しく読む力より、「気合でなんとかなる」という昭和的な根性論が抜けない。そんな自分に嫌気が差す。

集中力の波と電話の悪魔

ようやく集中できてきた…と思った瞬間に電話が鳴る。まるでタイミングを見計らったように。しかもそれが、今日でなくてもいいような話だったりする。けれど「今じゃなくていい」と言えないのがこの仕事。そうしてまた作業が後ろ倒しになり、「すぐ終わるはずだった」が遠ざかる。

終業後の予定が遠ざかるたびに

たまには早く帰って、近くのラーメン屋に寄ろうと思っていた。でも、時間が押してしまい断念。最近は友人との約束も立てるのが怖くなった。「すぐ終わると思ってたんだけどさ」が口癖になっている自分が、情けない。結果として、だんだんと自分の生活が“仕事のついで”になっている。

「帰れたら飲もう」の誘いを断り続けて

かつては「帰れたら飲もうか」という軽い誘いが、嬉しかった。今では、その「帰れたら」がほぼ叶わないことを自分でもわかっているので、最初から断るようになった。あの日あの時間に飲めたら、どれだけ気が楽だったか。そんなことを思いながら、事務所の蛍光灯の下で一人うなだれている。

誰も責めてないのに、自分だけが責めてる

誰も「遅くまで働け」と言ってるわけじゃない。事務員さんも定時で帰っている。なのに、なぜか自分だけが「終わらせなきゃ」と焦っている。そうして、自分が悪い、自分が無能だ、自分が管理できていない、と責めるループに陥る。悪循環とはまさにこのことだ。

事務員さんの優しさが刺さるとき

一人きりの事務所で、ふとした瞬間に事務員さんの存在のありがたさが心にしみる。でも、それと同時に彼女が定時でスパッと帰っていく姿が、なぜか自分の中の“寂しさ”を煽ってくる。もちろん彼女に非はない。むしろ彼女がいなければこの事務所は回っていない。それでも、「お疲れ様です」という言葉が、時に心に突き刺さる。

「お先に失礼します」の破壊力

「お先に失礼します」——この一言がどうしてこんなに重く響くのか。たった5文字の言葉が、自分が仕事を終えられていない事実を突きつけてくる。形式的な挨拶であり、悪意などない。でもそれを聞くたびに、こっちは「失礼できるほど終わってないよ」と心の中で呟いている。

何気ない一言に沈む心

日常のやりとりの中に、ふとした“無自覚の破壊力”が潜んでいる。「今日は大変そうですね」と言われた日には、「なんでわかったんだろう」と逆に動揺する。むしろ誰にも気づかれずにいたいのに、そういう一言に心が弱っている自分に気づかされてしまう。

置いていかれる感覚と孤独

彼女がカバンを持って帰っていく後ろ姿を見るとき、まるで世界から置いていかれているような気分になる。自分はまだ、片付けきれない現実に取り残されたまま。スマホには誰からも連絡はない。モテない男の孤独と、片付かないデスクだけが残されている。

司法書士の仕事は“早く終わる”類ではない

そもそもこの仕事は「パッと終わる」ような種類の業務じゃない。相続、登記、裁判所提出書類……それぞれに人の感情や背景が絡む。書類だけ見ていればいい、なんてことはない。だれかの人生に一歩踏み込んでしまう職業だ。それだけに、自分が思うように作業が進まないことも多い。

案件の裏にある“感情”との戦い

たとえば相続案件ひとつとっても、書類の背後には親族間の確執や複雑な歴史がある。それらを読み解くには時間がかかるし、正確さも求められる。時間だけではなく、精神力も吸い取られるような日々。効率重視だけではうまくいかないところに、この仕事の難しさがある。

書類は人を映す鏡だった

戸籍、委任状、印鑑証明。どれも紙の上の情報ではあるけれど、それを通して見えてくる人の姿がある。離婚歴、相続放棄、何度も変わる住所。そうした情報を前にしたとき、「すぐ終わるわけがないな」と、改めて自分に言い聞かせるのだ。

時間ではなく“気力”が削られる

疲れているのは、残業時間ではない。削られていくのは気力であり、自分の余白だ。仕事が終わっても、気持ちの整理がつかないまま夜が更ける。そんなとき、電車に揺られながら寝ているサラリーマンを見ると、「自分より楽そうだな」なんて思ってしまう自分が情けない。

それでも「やるしかない」から続けている

逃げたくなる日もある。誰かに「もうやめていいよ」と言ってもらいたい夜もある。でも、それでも自分は仕事に戻る。なぜか? それは、投げ出さなかった過去の自分の積み重ねがあるからだ。元野球部の名残か、根性だけでなんとかやっている気もする。

逃げたい夜に野球部の練習を思い出す

真夏のグラウンド。汗と土にまみれながら走らされていた頃、心の中では「こんな意味のないことやめたい」と思っていた。でもやめなかった。それは、自分の中に小さな「誇り」があったから。今もたぶん、その気持ちを頼りにしているのだと思う。

走らされていたグラウンドの風景

夜遅くの事務所で、ふとパソコンの前から顔を上げると、あのグラウンドの風景が頭をよぎる。あのときと同じように、出口が見えないまま走り続けている。でも、あの頃も「すぐ終わる」と思っていた。結果、3年間ずっと走っていた。でも終わったあとには、少しだけ誇れる何かが残った。

やめなかった自分が今ここにいる

あの日、グローブを置かずに続けたように、今も辞めずにこの仕事をしている。それだけで、少しは自分を褒めてもいいのかもしれない。今日も終わらなかった。でも、明日もたぶんやる。それが司法書士という生き方なのだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。