札を取り違えた男

札を取り違えた男

間違っていたのは札か人か

午前9時15分、いつものように市役所のロビーに書類を受け取りに行った帰りだった。番号札を取って順番を待つ人たちの中に、やけに挙動不審な中年の男がいた。まるで『バイキンマン』が変装して列に紛れ込んでいるような妙な違和感。ふと見ると、男は窓口に呼ばれるより先に、無言で番号札を職員に返していた。

その札は「四十二番」。だが呼び出しのアナウンスは「四十一番」だった。押し間違いか? いや、男の表情から察するに、もっと別の事情があるように思えた。

市役所のロビーで起きた違和感

ロビーには冷房が効いていたが、男の額には玉のような汗が浮かんでいた。気温ではない。心理的な圧力、つまり「バレてはいけない」何かを隠している目だった。

そして、その視線の先には登記関係の窓口。相続登記の説明が壁に貼られている。その前で立ち尽くしていたのは、他でもない、その男だった。

無言で返された番号札

札を返すときに何も言わず、口元だけ動いた。職員は特に気に留める様子もなかったが、司法書士という職業柄、僕のセンサーが反応した。「この番号札、本当に本人のものか?」

やれやれ、、、また妙なことに首を突っ込む羽目になりそうだ。そんな予感がした。

依頼人の足取りと薄暗い動機

午後、事務所に戻ると見覚えのある顔が待っていた。あのロビーの男だ。依頼内容は「父の相続登記」だった。名前は『山田誠』。だが、提出された戸籍には奇妙な点があった。

戸籍の附票に記された住所に、別の名前が登録されていた。「山田健」。しかも筆跡がそっくり。サザエさんでいうなら、ノリスケさんがマスオさんを装って履歴書を出したようなものだった。

火曜日の登記相談に現れた男

登記相談は予約制だ。彼の言う「昨日、電話で予約した」との発言にサトウさんが眉をひそめる。「火曜日は相続相談枠、今週はすべて空いていませんでした」と断言された。

その瞬間、男の手が小刻みに震えた。番号札を「押し間違えた」のではなく、「狙って取った」可能性が浮上する。

家族が知らない相続の話

男が提出した書類の一部には、すでに亡くなったはずの父が最近まで「生きていた」かのような記載があった。登記簿にも、亡父名義のまま売買契約が仮契約されている形跡。

つまり、山田誠――この男は、父の死後も名前を使って何かを進めていた。偽装相続、もしくは二重名義の疑いが濃厚になってきた。

番号札四十二番の謎

役所での順番が意味するのは「順序」だけじゃない。あの日の札「四十二番」は、正式な手続きを進めようとした別人のものだった可能性がある。

間違えて押したふりをして、本来の所有者を出し抜いた――それが、あの男のやり口だった。

消えていた名前と重なった申請書

申請書に書かれた名前「山田誠」は、別人のものである疑いが強まる。まるで『怪盗キッド』が素顔を見せずに警察の目を欺いているような偽装ぶり。

しかも、男が持参した印鑑証明書の日付が異常に古い。これが決定打になった。

見落とされた「押し間違い」

サトウさんはPC操作中にふとつぶやいた。「札は押し間違えたんじゃない。狙って押して、取り違えたように見せかけた」と。うーん、やっぱりこの子はすごい。

男の目的は「札の順番」を操って、他人より先に手続きを進めることだった。だが、登記の世界は「順番」で真実が決まるわけではない。法の正しさが勝つ。

サトウさんの冷静な推理

男が去った後、サトウさんは黙って事件の流れを時系列でまとめた付箋を僕に差し出した。色分けされ、時刻まで正確に記録されていた。

「ねえ、シンドウさん。札はたしかに番号だけど、番号以上のものを人は読み取ってるんですよ」――言われてみれば、確かにそうだ。

書類の癖から見えた人物像

印鑑の押し方、筆跡、そして郵送封筒の宛名。すべてに共通した「癖」があった。それらを突き合わせると、男の正体は「山田誠」ではなく「山田健」であることが確定的だった。

これは戸籍ロンダリングと不正登記の複合型。警察へ通報すべき内容だ。

本人確認書類に残された違和感

コピーされた運転免許証の裏面に、過去の住所変更記録が残っていた。しかも、書かれていた旧住所は、亡くなった父と一致していた。

登記官への報告を終えたあと、僕は深くため息をついた。「やれやれ、、、ほんとに札一枚で、こんな騒ぎになるとはな」

札が導いたすれ違いと偽名

人の数だけ名前があり、名前の数だけ札がある。だが、本当に自分の名前で札を取る者がどれだけいるだろうか。今回のように、札は簡単に偽れるのだ。

札を通して、男は別の人間になりすまそうとした。だが、数字だけでは人間を偽れない。文字も記録も、すべてが繋がっている。

名前を変えて生きていた過去

後日判明したのは、男がかつて別の土地で詐欺容疑で逮捕歴があったという事実だった。その際も、他人の戸籍を使っていたという。

まるでルパン三世が過去の仮面を次々と脱ぎ捨てるように、彼も新たな名前で人生をやり直そうとしていたのだろう。

二重生活の帳尻と登記の狭間

法律の世界では、過去は帳尻が合わされる。戸籍、登記、印鑑証明、それらすべてが、時間とともに一つに収束する。

彼が生きた二重生活は、今回の札一枚で崩壊した。静かな番号札の中に、確かな正義があった。

やれやれ、、、この札一枚で大騒ぎだ

サトウさんは静かにコーヒーを飲みながら言った。「次の依頼人、五番札の人ですよ」。僕は思わず笑った。「また番号札か……」

ロビーの静けさの中、札が一枚一枚、まるで人の生き方そのもののように思えてきた。

司法書士の一筆が真実をつなぐ

最後に登記申請書を提出し終えると、受付の職員が一言。「この書類、すごく丁寧ですね」。その言葉が、なんだか少しだけ報われた気がした。

事件は解決したが、またすぐに新しい番号札が、新しい騒動を連れてくる。司法書士の一日には、いつも静かな嵐が吹いている。

静かなロビーに戻る日常

午後の光が差し込むロビーには、今も札を取る人々が並んでいた。誰もが自分の順番を信じて、黙って待っている。

その日常が、どれほど尊いものか。僕は札の数字を見ながら、今日もまた、少し疲れた背中を伸ばして立ち上がった。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓