やさしさと厳しさの間に立ちすくむ日々
司法書士として事務所を構えてから十数年、事務員と共に日々の業務にあたっているが、「やさしさ」と「厳しさ」のバランスにいつも悩まされてきた。優しくすれば緊張がほぐれて働きやすくなるだろうと思いきや、気づけば書類のミスが増え、指摘すれば不機嫌な顔をされる。「これじゃあまるで俺が悪者じゃないか」と思う場面が一度や二度ではない。野球部時代の上下関係が通用しない世界に、戸惑いながらも日々模索している。
指導のつもりがただの甘やかしになっていた
最初のころは、なるべく怖がられないようにと笑顔で接することを心がけていた。ミスがあっても「大丈夫大丈夫」と軽く流していた。それで空気が良くなるならと思っていたのだが、結果的にそれが甘やかしになっていたことに後で気づくことになる。
最初の失敗は「優しくすれば伝わる」という思い込み
あるとき、重要書類の提出期限を過ぎていたことが発覚した。確認を怠った事務員も悪いが、何より「大丈夫」と言い続けてきた自分の責任のほうが重かった。「注意されない=気にしなくていい」と受け取られていたのだ。人は思っている以上に、言葉にされなければ気づかない。これを機に、甘やかしと配慮はまったくの別物だと痛感した。
事務員さんのミスに笑って済ませたその結果
「うっかりしてましたー!」と笑いながら言われたとき、つい自分も笑ってしまった。ところがその癖がついたのか、月に数回同じミスを繰り返すようになった。注意するタイミングを逃してしまい、関係性を壊したくないという気持ちが勝ってしまった。その結果、信頼も業務効率も少しずつ崩れていった。
少し厳しく言っただけで空気が凍る
「ここ、なんで確認しなかったの?」と、少し声を強めて言っただけで、空気がピリッと凍った。相手は目をそらして黙り込む。正直、こちらも悪意があったわけではない。だけど、その空気が面倒くさくなってくると、また言わない方向に戻ってしまう。
地方だからこその距離感の難しさ
田舎では職場と生活圏が近く、噂もすぐに回る。事務員さんの親戚が誰で、どこに住んでるかまでわかってしまうような地域だ。だからこそ、怒ったり注意したりするのが難しい。評価されるのは仕事の成果よりも「優しいかどうか」だったりする。気を使いすぎて、結果的に自分の首を締めてしまうのが常だ。
機嫌を取る日々に疲れ果てる
「今日、機嫌どうかな?」と相手の様子をうかがいながら声をかける自分がいることに、ふと気づくことがある。これは職場だぞ、と。だけど、事務所が回らないのはもっと困る。結果、八方美人のように立ち回ることになり、正直とても疲れる。気づけば本来の業務以上に、空気を読むことに神経を使っている。
理想の関係はどこにあるのか
一緒に働く以上、対等な信頼関係を築きたい。でも現実はなかなかうまくいかない。教えることも育てることも簡単じゃないし、相手のやる気や性格にも大きく左右される。理想と現実のギャップに打ちのめされる日も多い。
元野球部の上下関係は通用しない
昔、野球部では「声出せ!」「返事しろ!」が当たり前だった。返事をしないと走らされたし、先輩に歯向かうなんて論外。でも今、そういった態度を事務員さんに求めたら、パワハラと受け取られる。時代が変わったのは理解している。でも、自分が培ってきた価値観が通じないもどかしさは、どうにも言葉にしがたい。
礼儀や返事を求めたら逆効果だった
仕事の場で「おはようございます」や「失礼します」がないと、なんだか落ち着かない。でも、それを言ったら「細かい」「怖い」と思われたようで、よけいに距離ができた。こちらとしては、最低限の礼儀のつもりだったが、相手からすると強要と映ったらしい。
昭和の感覚と令和の現場のギャップ
「見て覚えろ」ではなく「丁寧に教えてもらえないとやりません」と言われることが増えた。こちらも忙しい中で教えるのが精一杯なのに、伝わらない。感覚の違い、時代の違いと片付けるには、あまりにも日々の溝が深い。こうして、世代間のすれ違いが積み重なっていく。
やさしさの中に線引きを持つ難しさ
優しく接しながらも、しっかりと線を引いて指導する。それが理想だとわかっていても、実際にやるのは難しい。どこまでが「やさしさ」で、どこからが「甘えさせすぎ」なのか。線引きを誤れば、職場が緩むか、ギスギスするかのどちらかになる。
結局、どこまで譲ればいいのか分からない
「少しくらいなら…」と譲った結果、それが当たり前になってしまったということが何度もある。逆に厳しくすると、次の日から明らかに態度が変わる。そうなると、またこちらが気を使ってしまう。このループが本当にしんどい。
「察してほしい」は通じない現実
「ここは言わなくてもわかってくれるだろう」という期待は、ほぼ裏切られる。言葉にしないと伝わらない。だからこそ、やさしくしつつ、明確に伝える力が必要だと感じる。でも、四六時中気を張って指導できるほど、こっちも余裕がないのが本音だ。
独り身の気楽さと孤独のはざまで
正直なところ、一人でいたほうが気が楽だと思うこともある。でも、ふとしたときに誰とも分かち合えない寂しさに襲われる。モテない自分を自虐して笑ってみても、その笑いがどこか虚しくなる夜もある。
誰にも愚痴をこぼせない夜もある
「今日は散々だったな…」と夜中の事務所でひとり呟いても、返事はない。昔は仲間と居酒屋で語れたけど、今はそれもない。仕事を終えてドアを閉めた瞬間、静けさが心に重くのしかかる。気づけば愚痴を吐く相手すらいなくなっている。
モテないとかじゃなくて説明が面倒になってきた
「結婚しないの?」と聞かれるたびに、答えるのが億劫になった。してないんじゃなくて、できないんでもなくて、もう説明するのが面倒なんだ。「そっちのほうが気楽でしょ?」と言われるけど、それも違う。気楽さと引き換えに、孤独がついてくる。
「一人のほうが楽」は本当か
確かに、自分のペースで生活できるし、誰かに気を使う必要もない。だけど、たまに無性に誰かと本音で話したくなるときがある。それができないから、こうやって文章にして吐き出しているのかもしれない。心のどこかで、誰かに理解してほしいと思っている。
それでも明日も人と向き合うしかない
どれだけ人に振り回されても、どれだけ疲れても、この仕事を辞めようとは思わない。人に関わるのは面倒だけど、それでも人を支える仕事だから。やさしさと厳しさのバランスに悩みながら、明日もまた、デスクに向かうのだ。
厳しさは誠実さでもあると信じたい
本当に相手を思うなら、時には厳しくすることも必要だ。優しさだけでは守れないものがある。伝える努力をやめない限り、きっとどこかで伝わると信じたい。それが、司法書士としての誠実さだと、今は思っている。
あの頃の自分に今の自分を見せたら
野球部で走り回っていたあの頃の自分に、今の自分を見せたら、どう思うだろうか。「よく頑張ってるな」と言ってくれるだろうか。それとも、「もっとやれるだろ」と叱られるだろうか。どちらにしても、また明日、ちょっとだけ前を向いてみようと思う。