朝起きても心がどこかに置き忘れたまま
目は覚める。体も勝手に動いて、洗面所に向かい、歯を磨き、スーツに着替える。だけど、どこかが空っぽのまま。心がまだ寝ているというか、出勤を拒否しているというか。そんな朝が、ここ数年で確実に増えた。仕事が嫌いなわけじゃないし、誰かに怒られたわけでもない。ただ、心だけが一歩遅れている。心の遅刻に体だけが出勤しているような感覚だ。
布団から出た体と、机にたどり着かない心
昔は、朝起きたら「今日もやるぞ」と思えた。元野球部の頃なんて、朝練に遅れることがあれば焦って飛び起きたもんだ。でも今は違う。体は勝手に動いてるけど、心が職場までついてこない。机の前に座っても、書類に手をつけるまでが長い。目の前にあるはずの「やる気」が見当たらない。まるで自分が自分の殻の中にいるような、そんな鈍い朝を繰り返している。
エンジンが温まるまでにかかる現実時間
車だって、冬の朝は暖機運転が必要だ。それと同じように、僕の心も始動するのに時間がかかる。9時に出勤しても、本格的に動き出せるのは10時を過ぎてから。電話一本取るのに、頭の中で「やれる」「やるしかない」と自分を説得する。そんなことを繰り返していると、朝から疲れてしまうのは当然だ。だけど、それが「普通」になってしまっているのがまた悲しい。
書類の山と感情の空白地帯
山のように積まれた書類たちが「こっちを見てる」気がする。でもその視線を真正面から受け止められない。自分でもよくわからないまま、感情がどこかに行ってしまってる。達成感もやりがいも、昔は感じてたのに今は無。仕事に誇りを持っていた時期もあったはずなのに、今はただのルーティンになってしまった。書類に印を押すたび、自分の心が空っぽになっていく。
無意識で処理されていくルーティン
気づいたら昼になってる。気づいたら依頼が完了してる。気づいたら帰る時間。そんな一日が多すぎる。まるで自分が自動化された機械になったみたいで、怖くなる時がある。「こなすだけ」の仕事は確かに楽かもしれない。でも「やっている感覚」が消えていくことに、どこか不安を覚える。
「気づいたら午前中終わってた」の恐怖
事務所に入ってパソコンを立ち上げ、メールを返し、登記のチェックをして、郵送物を整理して――。一つ一つは大したことないのに、全部が終わる頃には午前が終わっている。別に怠けてるわけじゃない。でも、自分が“何をやったか”を振り返ると、何も思い出せなかったりする。それがいちばん怖い。作業をしていたはずなのに、心がどこにも残っていない。
感情を動かす余白が残されていない
毎日が忙しいと、「感じる時間」なんてどこにもない。何かに感動したり、ふと笑ったり、落ち込んだりする余裕がない。感情を持つには「余白」がいる。でも今の僕の毎日には、その余白がない。誰かと話しても、事務的な会話だけで終わる。気づけば自分の声も表情も、平坦で無機質になっている。
誰かのためにやっているはずなのに
この仕事は、誰かの人生の節目に関わるものだ。だからこそ、誇りを持って続けてきた。でも最近は、その「誰かのため」が見えにくくなってきている。書類の向こうにいる“人”の顔が、想像できなくなってきた。それが、少し寂しい。
感謝されない仕事への小さな絶望
司法書士の仕事って、なかなか感謝されにくい。書類が揃って当たり前、登記が通って当たり前、間違えたら怒られる。そういうポジション。自分では精一杯やってるつもりでも、評価されることは少ない。「当たり前を支える仕事」って言えば聞こえはいいけど、続けるにはメンタルが必要だ。
報われなさを麻痺させる自動運転
誰かに褒められたり、喜ばれたりすることがないままでも、人間はなんとか働き続けられる。でもそれは「慣れ」ではなく、「麻痺」だ。心が動かない朝は、その麻痺の副作用かもしれない。気持ちを殺してまで働く意味って何だろう。そんな問いが頭をかすめても、「じゃあ辞めるか?」とは思えないのが現実。
それでも今日も事務員さんが来てくれる
僕が事務所を開ける頃には、事務員さんが「おはようございます」と声をかけてくれる。その一言が、意外と効く。彼女が来るから、今日もちゃんとしようと思える。誰かが自分の仕事を信じてくれている。たとえ口に出さなくても、その存在が救いになる。
会話の端っこに救われている気がする
昼休み、ちょっとした雑談の中でふと笑う。それが唯一「心が戻ってくる瞬間」かもしれない。「先生、今日天気いいですね」なんて何気ない一言に、少しだけ心が温まる。体と心がようやく重なるのは、そんなときかもしれない。
元野球部だった頃の朝との違いに愕然とする
朝5時に起きてグラウンドに向かっていたあの頃。眠くても、寒くても、やる気があった。あの熱量はどこにいったのか。社会人になってから、あの情熱を感じることは減った。でも、野球部だった自分が今の僕を見たら、なんて言うだろうか。
朝練のあの全力感はどこへ消えたのか
朝一番のダッシュ、筋トレ、ノック。全身を使って、全力で一日が始まっていた。今は? 腰を重たく上げて、机に向かうだけ。それが「大人になる」ってことなのか? 自由があるようで、心はどんどん不自由になっていく。元気だった頃の自分に申し訳ない気持ちすらある。
心がついてこなくても、それでも前に進む理由
心が置いてけぼりでも、体が動く限り、仕事は回る。でも、それで本当にいいのか。心が動く瞬間を、もっと大切にしたい。依頼人の一言、事務員さんの笑顔、ふとした雑談。その一つ一つが、心を少しずつ取り戻すきっかけになる。今日も登記へ向かう。それは、心を取り戻すための小さな一歩かもしれない。
「やらない」選択肢が見えない世界で
仕事を辞めるという選択肢は、いつも頭の外にある。食べていくため、誰かの期待に応えるため、自分を保つため。やめるわけにはいかない。だからこそ、続ける意味を探しながら、今日も机に向かう。心がついてこない朝でも、僕は生きている。いや、生かされている。