疲れすぎて補正通知を見逃した日

疲れすぎて補正通知を見逃した日

見逃しは一瞬の出来事だった

司法書士という職業は、注意力と正確さが命です。それなのに、よりによってあの「補正通知」を見逃してしまった。自分でも信じられませんでした。地方の小さな事務所で、たった一人の事務員とともに回している日常。余裕なんてありません。あの日も、朝から依頼人の急な来所、役所との電話応対、登記申請の準備、細々した郵送作業……。頭の中は常にフル回転で、気がつけば夜。その中に、件の補正通知がひっそりと届いていたんです。見ていたはずなんですよ、でも読んでなかった。いや、読んだつもりになっていた。そんな些細なすれ違いが、あとで大きな波紋を呼ぶとは夢にも思いませんでした。

通知メールは確かに届いていた

言い訳はできません。通知は確かに届いていました。しかも、いつもなら事務員もチェックしてくれていたのに、なぜかその日に限ってスルーされていた。メールの件名は、どこかぼんやりした表現で、件数も多かったせいで埋もれてしまっていた。「まさかこの中に重要な通知が…」なんて思いもしなかったんです。つまるところ、自分の怠慢と油断、そして疲労が重なった結果です。何よりも恐ろしいのは、それが“自覚なく起きていた”という事実です。

忙しさのピークに押し流されて

その週は、たしかに忙しさのピークでした。農地転用の相談、成年後見の申立て準備、相続の調査も重なっていた時期。分刻みで対応していたら、目の前のことにしか意識が向かなくなっていった。まるでボールをひたすら打ち返しているだけの元野球部の練習のように、ただただこなすだけの日々でした。ミスは、そこにすっと入り込んでくるんですよ。気づいたら、打ち返したと思っていたボールは、そもそも見てもいなかった――そんな感じです。

自分の目と頭が限界だった

疲労のせいで、目も頭も機能していなかったんだと後から思います。画面の文字を見ているのに、意味が頭に入ってこない。注意しているつもりでも、実は「見るだけ」で終わっていたんです。まるで、満員電車の中で聞き流す車内アナウンスのように。「ああ、なんか言ってるな」程度の認識しかなかった。これはもう、ただの確認不足というより、“判断力の喪失”と言っていいレベルです。

「あれ見た?」と聞かれて凍りつく

補正通知に気づいたのは、他の登記官からの電話でした。「この件、補正の連絡してますけど?」と言われた瞬間、血の気が引きました。まさに、凍りつくというやつです。すぐにメールを見返すと、そこにちゃんとある。でも、未読マークはついていない。読んだつもりで、確認したことにしてしまっていたんです。こうなると、もう言い訳もできません。何がいけなかったのか、自分に問いただすしかありませんでした。

事務員も気づけなかった理由

事務員も、その日に限って体調が悪く、いつもより早く帰っていました。普段なら、彼女がダブルチェックしてくれるのですが、たまたま不在だったのです。人を責める気にはなれません。問題は、たった一人の確認に頼っていた体制です。自分の意識の甘さと、仕組みの脆さがあらわになった瞬間でした。組織が小さいからこそ、そうした「一人の見落とし」が命取りになるのだと痛感しました。

言い訳できない自分に嫌気がさす

補正通知を見落とした事実を前にして、どんな言い訳も意味を持ちません。自分で自分が情けなくなる。独身で、誰にも弱音を吐けず、ただ仕事に追われるだけの毎日。何のために頑張ってるんだろう、と思わず天井を見上げてしまいました。ミスをした自分に怒るよりも、疲れ果ててまともな判断もできなかった自分に、呆れ返ったのです。モテるために頑張ってきたわけでもないのに、報われる気配もない。それが一番堪えます。

なぜこんなに疲れてしまうのか

疲労は、ただ忙しいから溜まるのではありません。精神的なプレッシャーや、逃げ場のなさも大きな要因です。田舎での司法書士業務は、一件一件の重みが違います。依頼者の顔が見えるからこそ、失敗ができない。人情と責任の狭間で、いつしか心も体も擦り減っていく。それでも「プロとしてやらねば」という気持ちが、余計に自分を追い詰めていくのです。

地方の司法書士に降りかかる多重タスク

都市部の大規模事務所なら分業も可能ですが、こちらではそうはいきません。登記、相談対応、郵送、請求書発行、資料作成、雑務…すべて自分か事務員のどちらかがやる。しかも、問い合わせの電話が絶えない。まるで一人野球チーム。投げて、打って、守って、掃除して、スコアつけて、全部自分。この状態がずっと続けば、どこかに綻びが出るのは当たり前です。

人手不足と完璧主義の板挟み

人手が足りないのに、仕事は増える。だからこそ、「完璧にやらねば」という思いが逆に自分の首を絞めている。誰かに任せる余裕もなく、「ここでミスしたら信用を失う」と思ってしまう。でも実際には、その無理が重なってミスが生まれる。完璧主義は美徳のようでいて、実は崩壊の始まりなのかもしれません。

誰にも頼れないという思い込み

「自分でやったほうが早い」「人に任せて失敗されたら怖い」。そんな思い込みが、ますます孤立を深めます。実際、頼れる人が少ない地方では、相談相手すらいません。「もうちょっと気軽に話せる誰かがいたら…」と何度思ったかわかりません。でも現実には、自分の殻にこもって、黙々と業務をこなすだけ。疲労も不安も、自分で飲み込む日々です。

「頑張ってる感」を演じる毎日

「今日も頑張ってますよ」と周囲に見せないと、不安で仕方ないんです。誰かに「この人、ちゃんとやってるな」と思われないと、自分が自分でいられない気がして。無理して笑って、きちんとしてる風を装って。でも内心はボロボロ。そんな毎日を続けていれば、いつかはガス欠になります。今回の見落としは、そのガス欠の“サイン”だったのかもしれません。

疲れすぎる前にできること

大きなミスをする前に、気づいておくべきことがいくつかあります。無理をしているとき、人は自覚がありません。「大丈夫」と思っているときほど、危ない。だからこそ、日常の中に“チェックポイント”を設ける必要があると感じました。自分を守るために、仕組みを変えることが、今できる唯一の対処法です。

小さな異変を見逃さないために

毎日同じことを繰り返していると、異変に鈍感になります。でも、そこにこそ“危険の芽”があるんです。たとえば「メールがたまってきた」「疲れて昼に眠くなる」「字が読みにくく感じる」…そんな小さな変化を無視しないことが大事です。車の警告灯と同じ。赤くなってからでは遅い。もっと早く、黄色で気づく仕組みを作らないと。

日々のルーチンを見直す勇気

これまでやってきたやり方を変えるのは、勇気がいります。特にルールを自分で決めてきた人間にとっては、なおさら。でも、もう限界なんです。朝の業務開始前にメールチェックをルール化する、通知を必ず付箋で目に見えるところに貼る…そんな地味な対策でも効果はあります。「それくらいで?」と思うことが、大きなミスを防ぐ一歩になります。

朝イチの通知チェック習慣

私は最近、出勤したらまずメールを3通確認する、というルールを自分に課しました。大事なのは“全件確認”ではなく、“確認の意識を持つこと”。漫然と画面を見るのではなく、重要そうな件名に印をつけ、見落とさない工夫をする。わずかなことですが、ミスの芽を摘むにはそれで十分だったりします。

事務員との報連相の再構築

また、事務員とも「今日の予定・気になること・見落としチェック」の3項目を朝礼代わりに話すようにしました。形式ばらず、雑談の延長でいい。「なんか変な通知あった?」と聞くだけでも、意識が変わります。たった一人のチームだからこそ、こうした“小さな習慣”が全体の安全を支えるのだと、ようやく気づけました。

疲労の蓄積は事故の元

最初は軽い疲れでも、放っておけば必ず大きな事故につながります。疲労は精神を曇らせ、判断を鈍らせ、正常な行動を奪う。だからこそ、日々の“点検”が欠かせない。自分の体調も、事務所の状態も、業務の流れも。何かがずれているときは、絶対にサインが出ているはずなんです。

無理に頑張らずリスクを減らす

がむしゃらにやることだけが正義ではありません。時には立ち止まること、誰かに頼ること、休むこと。それらは「弱さ」ではなく、「自分と依頼人を守るための手段」なんです。無理に一人でやりきろうとせず、リスクを分散させる。これからは、そんな選択肢も持ちながら、続けていきたいと思っています。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。