ひとりの夜に押し寄せる重たい静けさ
夜になると、事務所の明かりを消し、パソコンを閉じたときにだけ感じる静けさがあります。それは決して穏やかなものではなく、じんわりと体に染み込んでくるような重たさです。誰とも会話を交わさなかった日、電話すら鳴らなかった日、仕事を終えたはずなのに気持ちの切り替えができず、無言のまま帰路につく。そんな夜が、少しずつ増えてきました。話したくないという気持ちと、本当は誰かと話したいという願望が、心の中でせめぎ合っています。
話しかける相手がいないという現実
別に嫌われているわけでもなく、孤立しているわけでもない。ただ、ふとした瞬間に「話す相手がいない」と気づいてしまうのがつらいのです。仕事では最低限の会話を交わしますが、それ以上に踏み込んだやりとりはありません。日中は問題なく過ごしていても、夜になると、急にその「会話の空白」が胸に広がります。友人も家族も疎遠になり、誰かに電話をかけるのも億劫で、結果として無言のまま一日が終わる。それが日常になっているのです。
仕事の充実とは裏腹に深まる孤独感
仕事が忙しい時期ほど、逆に孤独が深まるのを感じます。登記の締切、相談対応、書類確認…。気がつけば「人のために動いている」はずなのに、自分の心は置き去りにされているような感覚になります。「これだけやっても誰にも褒められないな」と思うこともあります。感謝の言葉よりも、無言のプレッシャーやクレームが多くて、会話があるだけマシ、と思い込もうとする夜もありますが、それでも「誰かと心から話したい」と思う瞬間はあります。
「誰とも話したくない」の裏にある感情
よく「今日は誰とも話したくない」と思う日があります。でも、これは本心ではないことが多い。本当は「誰かとちゃんと話したい、でも疲れているからその余裕がない」「うまく気持ちを伝えられる自信がない」そんな感情がごちゃ混ぜになって、「話したくない」という表現になっているんだと思います。元気なふりをしているうちに、だんだん無言が当たり前になって、それが習慣になる。そんな夜が、静かに心を蝕んでいくのです。
元野球部が語るチームプレイとの決別
学生時代、野球部で過ごしたあの頃は、声を出せば必ず誰かが返してくれました。エラーしても、ベンチに戻れば「ドンマイ!」の声が飛んできたし、笑い声が絶えない毎日でした。チームプレイの中で自分の存在を確認できる心地よさがそこにはあったのです。それに比べて今の生活はどうでしょう。何かに失敗しても、自分で受け止めるしかないし、気づかれさえしないことも多い。声をかける相手がいないというのは、思っているよりずっと寂しいことです。
声を出せば誰かが返してくれたあの頃
練習中の声出し、ランニング中の掛け声、試合中の励まし…。当たり前のように交わしていた言葉たちが、今思えば心の支えでした。無言の作業や黙々とした努力は、言葉があってこそ耐えられるものだったんです。いま、仕事に追われてふと声を出してみても、それに反応する人はいない。事務所の空気はピクリとも動かず、静寂が戻ってくるだけです。だからこそ、声をかけてくれる誰かの存在が、どれだけありがたいかを身にしみて感じます。
社会に出て「声が届かない」日常へ
社会に出ると、声を出すこと自体が少なくなります。電話ですら敬語と形式のやりとりで、心の中の本音はしまったままです。ときどき勇気を出して誰かに話しかけても、上滑りするような返事が返ってくると、それ以上会話を続ける気力が萎えてしまう。「どうせ誰も聞いてくれない」と思って、だんだん口を閉ざすようになります。そんな日常が積み重なると、「誰とも話したくない夜」が増えていくのかもしれません。
疲れていても話しかけられたい矛盾
不思議なことに、どれだけ疲れていても、ほんのひとこと「今日どうだった?」と聞かれるだけで救われる瞬間があります。でも現実は、誰もそう聞いてはくれません。自分も誰かにそれを聞けていない。だからこそ、夜のひとり時間がつらくなるのです。休みたい気持ちと、誰かとつながっていたい気持ち。その矛盾に挟まれて、自分の気持ちの整理がつかないまま、布団にもぐる夜が続いています。
事務員との距離感がつらい夜
事務員さんは真面目でよく働いてくれる。でも、その分だけ「変なことを言えない」「冗談を言っても反応が薄い」みたいな空気感があって、プライベートな話題を持ち込めません。仕事終わりに「いやー今日疲れたね」って一言も、気軽には言えない。そんな微妙な距離が、夜になると重たくのしかかってきます。話す相手がいるはずなのに、話せない。そのもどかしさが、より深い孤独感を生んでいるのです。
距離をとる優しさとそれによる疎外感
こちらが気を遣って距離をとっているつもりでも、結局それは「壁」になってしまうことがあります。相手に気を遣わせないように、仕事の話だけで終わらせる。でも、それが結果的に自分を孤立させているんです。相手はきっと、気にしていないのかもしれません。でも、自分の中ではどんどん「話しづらい人間」になってしまっている感覚があって、関係が固定化されていくような気がしています。
「話しかけないで」が本音ではない
疲れているときほど、実は話しかけてほしい。でも、顔には出せないし、むしろ「そっとしておいて」と言ってしまうこともあります。これは完全に矛盾です。自分でもわかってるけど、どうしようもない。素直になれないまま、「誰とも話したくない夜」になっていく。そんな自分が嫌で、さらに落ち込む。そういう悪循環を、何度も何度も繰り返してしまうんです。
気軽な雑談がなぜかできない職場
本当はもっとフランクな職場にしたいと思っているんです。でも、自分が上に立つ立場だと、それがなかなか難しい。冗談を言っても「そういうの苦手です」とか返されると、もう話しかける気が失せてしまう。距離感のつかみ方がわからない。結局、雑談ができる環境を作れずに、淡々とした職場になってしまう。その空気のまま一日が終わると、夜はひときわ静かに感じます。
司法書士としての威厳と孤独のジレンマ
「先生」と呼ばれる職業である以上、ある程度の威厳や距離感は必要です。でも、それに縛られすぎると、本音が言えなくなります。職員との会話も、相談者との対応も、どこか演技じみたものになる。そんな日々を送っていると、自然体で話せる相手がどんどん減っていきます。威厳の裏にあるのは、意外にも不安と寂しさだったりするんです。
聞かれないと話せないタイプの不器用さ
自分から話し出すのが苦手なんです。聞かれれば答えるけど、自分から「今日つらかった」とは言えない。でも、そんなこと誰も聞いてくれない。だから黙っているしかない。これもまた、夜になるとじわじわ効いてきます。「なんで誰も聞いてくれないんだろう」と思いながら、「自分が話さないせいだ」と自分を責める。そんな夜を、何度も過ごしています。
夜が教えてくれる本当の自分
静かな夜に、自分の声だけが響く時間。誰とも話さず、誰にも見られないその時間こそが、案外一番正直な自分かもしれません。「誰とも話したくない」と思う夜ほど、実は誰かを必要としている。それを認めるのは少し恥ずかしいけれど、大切なことだと最近は感じています。