疲れてるのに平気なふりを続ける毎日

疲れてるのに平気なふりを続ける毎日

忙しいだけで誰にも頼れない日々

司法書士という肩書きのもとで働いていると、「きちんとしていて当然」「ミスがないのが当たり前」と思われがちだ。地方の小さな事務所を一人で回していると、忙しさは常に付きまとう。だが、それ以上にこたえるのは「誰にも頼れないこと」だった。事務員の女性は確かにいて助けてもらってはいるけれど、本音までは言えない。肩を貸してくれる誰かが欲しいと、仕事帰りのコンビニでふと立ち止まることがある。

「元気そう」に見えることの息苦しさ

「先生はいつもお元気そうですね」とお客さんに言われるたび、正直、胸がズキンとする。元気そうに見せているだけで、本当は毎朝、布団から出るのにも勇気がいる。事務所の外では平気な顔で歩いていても、家に帰るとテレビの音すらつける気力がない日もある。それでも「元気そう」な顔をやめられないのは、そうしないと不安がバレそうで怖いからだ。

気づいてほしいけど気づかれたくない矛盾

内心は「誰かに気づいてほしい」と思っているのに、実際に「大丈夫?」と聞かれると「大丈夫です」と即答してしまう。こんな矛盾を何年も抱えてきた。元野球部のクセなのか、「弱音は吐かない」が染みついている。でももう40代半ば、誰にどう見られるかより、自分の心を守ることを優先すべき年齢なのかもしれない。

事務所のドアを開けた瞬間からスイッチON

自宅では無言で過ごしていたとしても、事務所のドアを開けた瞬間、自然とスイッチが入る。「おはようございます」と自分でも驚くほど明るく声が出る。演技だと気づいていない人も多い。でも、その演技に自分も支えられていた。演じることで何とか一日を乗り越える。それが現実だ。

「平気なふり」はどこまで必要なのか

本当に、平気なふりって必要なんだろうか?そう自問する夜がある。誰かに「つらい」と言っても、結局は自分で乗り越えるしかない。だから言わなくていいや、と諦める。でも、その我慢が積もると、いつか爆発してしまう気がしてならない。だからこそ、無理な平気をやめるタイミングを見極める必要があるのかもしれない。

仕事中は演技 仕事後も無言

午前中は相談者に明るく対応し、午後は登記書類と格闘し、夕方には疲れ果てた笑顔でお客さんを見送る。そして、夜は誰とも話さずに冷たい夕飯を食べる。この落差に、ふと「これが人生なのか」と考えてしまう。誰かと一緒に暮らしていれば違ったのだろうか。いや、きっと変わらなかった。問題は孤独ではなく、無理をしている自分にある。

本音を言えない関係ばかりが増えていく

この仕事をしていると、自然と「距離のある関係」が増えていく。相談者とは信頼関係があっても、あくまで仕事のうえ。本音を言える相手ではない。友人とも、いつしか年賀状だけのやりとりになった。気づけば、愚痴を吐ける相手がひとりもいない。だから、せめてこの文章では、弱さを出してもいいだろうと思う。

司法書士という肩書きの重み

司法書士という職業は、法律を扱う専門職として誇りを持てる仕事だ。でもその分、求められるものも多い。ミスが許されず、責任は重く、心の余裕など削られていく一方だ。肩書きが自分を支えてくれると同時に、重くのしかかってくる日もある。「先生」と呼ばれるたび、どこか申し訳なさを感じるのは、自分自身がまだ自信を持てていないからかもしれない。

プロらしく振る舞うことのプレッシャー

常に「正解」を求められるのがこの仕事の常だ。相手の人生に関わる登記や相談にミスは許されない。だから、どれだけ自分がしんどくても、プロらしく冷静に、そして丁寧に対応しなければならない。だが、その“完璧”を求め続けることが、自分の首を絞めていると感じる時もある。プロであることと、人間であることのバランスは本当に難しい。

失敗できない空気が心をすり減らす

「ミスできない」という感覚が常にある。それはもう、感情ではなく身体にしみついた緊張感。たとえそれが小さな書類の誤字だったとしても、自分を責めて眠れない夜がある。誰かに「そんなことで?」と言われても、責任の重さはこっちにしかわからない。だから、しんどい。

知識よりも精神力が試される現場

司法書士になるためにたくさん勉強した。けれど、いざ実務が始まると、必要なのは「心のタフさ」だと痛感する。理不尽なこと、急な変更、無茶な依頼……。知識だけで乗り越えられるものは意外と少ない。精神力で乗り切るしかないのが現実で、今日もなんとか踏ん張っている。

元野球部だった自分が泣きたくなる瞬間

高校の頃は、朝から晩まで泥だらけで練習して、グラウンドの隅でみんなで笑っていた。その頃は泣くのは負けだと思っていた。でも今は、誰にも見られないところで泣きたいと思う日がある。きっと、あの頃の自分が今の自分を見たら「よく頑張ってるよ」って言ってくれるかもしれない。そう思いたい。

泣いたら負けだと思ってた頃の自分へ

「気合いでなんとかなる」って、あの頃は本気で思っていた。でも今は、気合いだけじゃ乗り越えられないことがたくさんある。心が疲れているときは、ちゃんと休ませてやることも必要なんだ。昔の自分には理解できなかっただろうけど、今の自分はそう思う。

がんばっても報われないのが社会

努力が報われるとは限らない。理不尽なクレームや、完璧に仕上げた書類を「当たり前」と扱われる瞬間に、心がすり減る。でも、だからといってやめるわけにはいかない。自分で選んだ仕事だし、誰かの役に立っていると信じたいから。

それでもこの仕事を続けている理由

毎日しんどくて、投げ出したくなる時もある。それでもこの仕事を続けているのは、自分の中に「誰かの力になりたい」という気持ちが、まだ消えていないからだ。たった一人でも「ありがとう」と言ってくれる人がいるなら、もう少し踏ん張ってみようと思える。その小さな言葉が、自分の存在を肯定してくれる。

たった一言の「ありがとう」が救いになる

どんなに疲れていても、相談者の「助かりました」の一言に、何度も救われてきた。報酬よりも、成功報酬よりも、その言葉が一番効く。何のためにこの仕事をしているのか、答えはそこにある。

書類よりも人間が好きだったと気づく

結局のところ、法務局に提出する書類よりも、自分は「人」が好きだったんだと思う。人と関わって、笑ったり怒ったりしながら仕事をする。それが原点であり、自分らしさなんだと、最近ようやく気づいた。

現場に立ち続ける覚悟はまだある

誰かの役に立てる限り、この場所に立ち続けようと思う。平気なふりをするのではなく、平気じゃない時はちょっと休んで、また戻ってくればいい。自分にもそう言い聞かせながら、明日も事務所の鍵を開けるつもりだ。

モテなくても、ひとりでも

モテる司法書士になれたら良かったけど、現実はそんなに甘くない。恋愛ドラマみたいな展開もないし、夕飯はスーパーの総菜が定番。それでも、ひとりでも、自分の人生をちゃんと選んでると思いたい。

誰かの支えになれていたら十分だ

この仕事を通して、誰かの支えになれていたなら、それだけで十分だと思う。派手な成功じゃなくても、ささやかな安心を届けられたなら、それが自分の役目だったんだと思いたい。

だからこそ自分を大事にしないといけない

支えるばかりじゃなくて、自分自身のことも大事にしたい。疲れてるときは、素直に疲れたと言えるように。ひとりでも笑える時間を、少しでも増やせるように。誰かの力になるためには、まず自分の心の電池を充電することが必要なのだから。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。