声を出す機会が減った日々
司法書士という仕事、外から見れば人と関わる職業に見えるかもしれない。でも実際は、机に向かって書類を黙々と作成し、メールでやりとりを済ませる日々。電話が鳴らなければ、本当に一言も発さずに一日が終わることもある。独り言さえ減ってきて、「今日、声出したっけ?」と夜にふと考えることも。知らないうちに、言葉を発するという行為自体が身体から抜け落ちていくような感覚がある。
司法書士の仕事は意外と無言が多い
昔はもっと人と会っていたように思う。役所に行ったり、依頼者と面談したり。それが今では郵送やオンラインで済む案件も増え、効率化が進んだ反面、対話の機会は激減した。仕事がスムーズになるのは嬉しいけれど、心のどこかで「寂しさ」を感じているのも本音だ。誰とも話さないで過ぎる一日は、便利だけど、どこか空虚でもある。
電話も来客もないと一言も話さない
事務所に電話が鳴らない日が続くと、なんだか取り残されたような気分になる。特に繁忙期が過ぎた後、ポッカリと空いた時間に静けさが沁みる。来客もなければ、話す理由が見つからない。テレビをつけても、自分の声がそこにないということがじわじわと堪えてくる。
事務員さんとも必要最低限の会話だけ
事務員さんはいるけれど、お互いに仕事に集中していて、雑談は少ない。「お疲れさまです」「この書類、どちらに置きますか?」そんなやりとりで一日が終わることもある。気を遣わせてもいけないと思うと、余計に話しかけにくくなる。結果的に、自分の中の「声を出す回路」がどんどん鈍っていく。
元野球部の声量はどこへ消えたのか
高校時代、野球部で声出ししていた頃の自分を思い出す。あの頃は、無意味なぐらいに声を張っていた。監督が来る前から「お願いします!」って叫んでたし、声が出てないと怒鳴られた時代。でも今は、誰にも届かないような小さな声しか出せない。思い切り声を出す場面なんて、もう何年もないのだから当然かもしれない。
大声を出す場面などもう何年もない
怒鳴ることも、呼びかけることも、驚いて叫ぶことも、日常にはほとんどない。人と距離を取るのが基本となった時代背景もあるだろう。声を張ることが「不自然」になってきて、それを自分でも受け入れてしまっていた。結果、声を出す筋肉はすっかり衰えてしまった気がする。
声帯も心もすっかりインドア仕様
声だけでなく、心までが内向きになってしまったように思う。喋らない生活が続くと、言葉にすることそのものが面倒になる。人と会う前に「何話そうかな」と不安になるのも、久しぶりすぎて会話の体力が落ちている証拠かもしれない。
久しぶりの会話で噛んだときの衝撃
そんな生活が続いたある日、久々に訪ねてきた昔の同級生と話していたら、見事に噛んだ。それも、一度や二度じゃない。最初の「よ、久しぶ…っしぶり!」から、もう舌がついてこない。自分でも驚くほど、言葉がうまく出てこない。これはもう「口のリハビリが必要だな」と思った瞬間だった。
「あっ、噛んだ」よりも「喋れてない」
会話のテンポが崩れるたびに、相手の表情が気になってしまう。噛んだことに自分でツッコミを入れてごまかすけれど、内心は焦りっぱなし。「俺ってこんなに喋れなかったっけ?」と情けなくなる。これは単なる口の問題じゃなく、頭の回転やコミュニケーション力全体が落ちている気がした。
頭の中で言葉が渋滞する感覚
話そうとする言葉が頭に浮かぶのに、口が追いつかない。まるで高速道路で渋滞しているみたいに、言葉が順番待ちをしている感じ。おまけに、待っている間に言いたかったことを忘れてしまう。自分の会話能力がどこまで下がったのか、ショックを受けた。
そもそも語彙が思い出せない
会話の最中に「あれ、あの言い方なんだっけ?」という場面が何度もあった。普段、書面ばかりで表現しているせいか、口語のボキャブラリーがすっかり鈍っている。しかも、いざ言おうとしても、間違った言葉を選んでしまいそうで怖くなる。会話って、意外と筋トレと似てるのかもしれない。
孤独と業務効率は比例するのか
人と話さない時間が増えると、その分だけ業務はスムーズになる。だけど、それは「仕事だけが進んでいる」状態であって、心は置いてきぼりになっている気もする。一人の方が効率がいい、というのは事実だけれど、その代償として人間としての柔らかさが失われていくような不安もある。
一人の方が捗る…は本当か
確かに、一人で集中して作業すると間違いも減るし、時間の使い方も自分次第。だけど、そのぶん孤独がどんどん積もってくる。話すことがない日が続くと、次第に「話したい」という欲求すら薄れていくのが恐ろしい。効率と幸福感は、必ずしも一致しないと痛感する。
会話のない静かな時間は確かに快適
無音の中で作業に没頭する時間は、確かに気持ちがいい。集中力が研ぎ澄まされ、予定通りに仕事が終わることも多い。でもそれは「一時的な快適さ」であって、「継続的な満足」とは別物。長く続けば続くほど、心の中に小さな空洞ができていくような気がする。
でも効率と幸福度は別物
効率は目に見えるけれど、幸福度は見えない。だからこそ、気づいたときにはかなり減っていることが多い。仕事がうまくいっていても、何かが足りない。そんな時こそ、誰かとちょっとした雑談を交わせる環境のありがたさに気づく。