経験という泥くさい宝物
司法書士の仕事って、資格を取ったらスタートラインに立てると思っていたんですよね。でも実際に事務所を構えてみると、「知識」だけじゃまったく足りない。現場では、毎日のように予想外のことが起きます。依頼人の話が二転三転したり、提出した書類にまさかの誤記があったり。そんなときに役立つのは、結局“勘”と“度胸”だったりするんです。経験の中で何度も冷や汗をかいたからこそ、今の自分がある。泥くさいけど、それが宝物だと思えるようになったのは、ずいぶん後になってからの話です。
机上の知識では太刀打ちできない現場の洗礼
開業して間もない頃、ある相続登記で書類に軽微なミスがあったんです。修正申出で済むと思っていたら、先方の家庭内事情が大ごとになっていて、結局、依頼人から厳しい言葉を浴びせられました。どんなに法律を知っていても、現場では「人との関係」が一番難しい。参考書には載っていない「空気を読む力」や「言葉の選び方」が問われる。現場で受けたこの洗礼が、机上の学びをはるかに超えてくるんですよね。
理屈じゃ割り切れない依頼人の感情
ある高齢の依頼人に、相続登記の説明をしていたときのこと。私は丁寧に法的な根拠を伝えたつもりでしたが、相手の表情はどんどん曇っていく。最後には「先生、それで息子の気持ちは救われるのかい?」とぽつり。あのとき、自分の説明がいかに“事務的”でしかなかったかに気づかされました。法的に正しいことだけでは、人の心は動かない。理屈では測れない感情が、現場では常に隣にあるということを思い知りました。
登記申請書よりも怖いのは電話一本
正直、書類作成よりも緊張するのは電話対応です。特に「ちょっと聞きたいんだけど」と突然かかってくる内容ほど、地雷が潜んでいる。電話の向こうのトーンひとつで、相手が怒っているのか困っているのかを即座に察する必要があるし、返答を間違えると信用を失う。たった数十秒のやり取りでも、こっちの脳みそはフル回転です。登記の技術よりも、こういう電話の瞬発力こそ現場で鍛えられる勘の最たるものだと思っています。
現場で育った瞬発力と空気を読む力
誰もがスムーズに登記を進めてくれるわけじゃないし、こちらの思い通りにいくことなんてほとんどない。特に不動産登記の立ち会いでは、相手方の司法書士や不動産業者、売主買主それぞれの思惑が交差して、空気がピリピリします。そういうときに、スッと場を和ませる一言を出せるようになるまで、何度冷や汗をかいたことか。現場では理屈よりも“間合い”と“気配り”がモノを言うんですよね。
予想外のトラブルにどう対応するか
一度、決済当日に売主が通帳を忘れてくるというトラブルがありました。その場で怒る不動産業者、混乱する買主、焦る売主。私は内心「勘弁してくれよ…」と思いながらも、とにかく空気を乱さないように場をつなぎ、銀行と相談して再調整。結局は決済を一日ずらして対応しました。こういうとき、現場での「沈黙を恐れない度胸」と「次善策を即決できる頭の柔らかさ」が問われるんですよね。
あのときの焦りと判断が今の自分を作った
その決済トラブルの後、正直しばらく胃が痛くて眠れませんでした。でも今振り返ると、あのときの自分の判断があったからこそ、関係者全員と信頼関係が築けたと思います。経験というのは、うまくいったことよりも、うまくいかなかったときにこそ得られるものなんですよね。判断ミスを怖れず一歩踏み出すことが、現場では何よりも求められます。
現場でしか身につかない判断の引き出し
あるときは書類を法務局に持って行く途中で、依頼人から「名前の漢字が違っている」と連絡が来た。急いで確認すると、なんと旧字体だった…。こういうときに備えて、私はすぐに使えるテンプレートやチェックリストを常に持ち歩くようになりました。現場の失敗を経て、判断の「引き出し」が増えていく。その引き出しが多いほど、どんな状況にも冷静に対応できるようになります。
人には言えないけれど本当は疲れている
「先生は頼りになりますね」と言われることがあるけど、正直、そんなふうに見せてるだけで、内心は毎日ギリギリです。依頼人の期待に応えようとするあまり、つい無理を重ねてしまう。でも弱音を吐ける相手もなかなかいない。独立して自由になったはずなのに、どこかで常に追われている感覚があります。
帰ってからも頭が回ってしまう日々
夕飯を食べて風呂に入っても、頭の中では「明日の決済、あれ大丈夫かな」「あの資料、見落としないか」って考えてしまうんです。布団に入っても脳みそがフル回転していて、結局眠れずに深夜のテレビをぼーっと見る。こんな日々を送っていると、心の休憩ってどう取ればいいのか、わからなくなってきます。
元野球部でもメンタルは崩れるときがある
学生時代は泥だらけになりながらも、声を張って練習していました。そんな自分だから社会に出ても折れないと思っていました。でも実際は違う。孤独な仕事に、何度も心が折れそうになります。メンタルの強さって、筋トレじゃ鍛えられないんですよね。むしろ弱い自分を受け入れるところから始まるんだと、今になってようやく思えます。
「大丈夫です」と言いながら壊れていく感じ
「大丈夫です」「問題ありません」そう言って電話を切ったあと、深いため息をつく自分がいます。誰かに頼るのが下手で、弱音を飲み込むクセがついてしまった。ふと鏡を見ると、目の下のクマがひどくて、自分でも驚くことがあります。こういう状態に気づけるのも、経験のおかげかもしれません。だからこそ、誰かに「無理してないですか」と声をかけてもらえるだけで、少し救われた気持ちになるんです。
事務員さんのありがたさに気づくまで
事務所を立ち上げてしばらくは、全部一人でやっていました。書類作成も、電話応対も、郵送も。最初は「ひとりでもなんとかなるだろ」と思っていたんですが、すぐに限界が来ました。今は事務員さんがいてくれることで、ようやく人間らしい生活ができています。感謝の気持ちは常にありますが、もっと早く気づけばよかったと何度も思います。
一人でやる怖さを知ってはじめて見えるもの
ミスをしても誰も気づいてくれない、体調が悪くても休めない、そんな状態が続くと、本当に自分が壊れてしまいます。誰かがそばにいてくれるだけで、どれだけ救われるか。事務員さんの存在は、効率や生産性というよりも、安心感そのものなんですよね。そういう支えに支えられていることを、時々忘れてしまいそうになります。
サポートされる側から、頼る勇気を持つ側へ
「人に頼るのは甘えじゃない」と、ようやく思えるようになったのは、最近のことです。昔は全部自分で抱え込んで、それが美徳だと思っていました。でも今は、頼ることもまた責任のうち。相手を信頼し、任せることで、仕事はもっとよく回る。頼る勇気が、信頼関係を築く第一歩になるんですよね。
勘と度胸は、積み重ねた後にしか生まれない
「どうやってそんな判断ができたんですか?」と聞かれることがあります。答えは一つ。「数をこなしたから」です。失敗して、怒られて、悩んで、時に落ち込んで、その積み重ねの先にようやく“勘”や“度胸”が育ってきた気がします。机の前で身につくものじゃない。現場でしか磨かれない感覚です。
失敗の数だけ、根拠のない自信が育つ
成功体験よりも、失敗体験のほうが心に残る。何度もやらかして、そのたびに凹んで、でも立ち上がって、またやって。その繰り返しの中で、「なんとかなるだろう」という根拠のない自信が育っていく。不思議なことに、その自信が次の行動を支えるんですよね。
勇気を持って一歩踏み出すあの瞬間
最初の一歩は、いつも怖い。でも、踏み出したあとの景色は意外となんとかなるものです。経験が「怖さ」を「可能性」に変えてくれる。だからこそ、多少ビビってても、一歩踏み出すことを選ぶようになりました。その積み重ねが、今の自分を形作っています。
後悔しないのは、現場で闘ったからこそ
どんなに失敗しても、「あのときは全力だった」と思える現場なら、後悔は少ない。机の上で考えてばかりじゃ、自分の限界もわからない。現場で泥だらけになって、悩んで、悔しくて、でも逃げなかったからこそ、今ここに立てていると思えるんです。