登記は通るのに恋は始まらない司法書士の独身日誌

登記は通るのに恋は始まらない司法書士の独身日誌

朝の書類整理と誰もいない食卓

朝7時、目覚ましの音で目を覚ます。誰かに起こされるわけでもなく、静かな部屋に自分の寝息だけが響いていた。湯を沸かして即席味噌汁をすすりながら、無言で冷えたご飯をかきこむ。「朝食は健康の基本です」と言っていた母の言葉を思い出すけれど、今や朝食は義務のようなものになっていた。食卓に並ぶのは、温もりよりもルーティン。書類整理をしながら、ふと「この生活、いつまで続けるのだろう」と考えるが、考えたところで何かが変わるわけでもない。

電子証明書の更新よりも心の更新がしたい

先日、電子証明書の更新案内が届いた。さっそくPCに向かって更新作業を始めたのだが、その瞬間ふと「自分の心の証明書は、いつ更新されたのだろう」と、妙なことを思った。日々の業務はミスなくこなしているつもりでも、心の中はずいぶん古くなっている気がする。恋愛も人付き合いも、ここしばらく新しい出会いの兆しはない。電子証明書が3年ごとに更新されるように、自分も定期的に心のメンテナンスをしないとダメなのかもしれない。

自分の名前だけが並ぶ表札

帰宅時、玄関の表札を見るたびに、ふと寂しさを感じる。マンションのポストには「司法書士 稲垣達也」とだけ書かれている。昔は「かっこいい肩書きだ」と思っていたが、今ではその堅さが逆に孤独を際立たせている気がする。表札にもう一つ名前が並ぶ日は来るのだろうか。誰かと一緒に暮らす未来があるのだろうか。その問いに、最近は答えることすら億劫になってきた。

朝ごはんを作る手間と誰のため問題

朝の支度の中で、唯一「誰かのためだったらもう少し丁寧に作るんだろうな」と思うのがごはんづくり。料理自体は嫌いじゃないが、自分のために頑張ってもなぜか虚しさが先に来る。サバを焼いても、味噌汁を作っても、食卓には自分しかいない。だったら納豆ご飯とインスタントで十分と思ってしまう。誰かと食卓を囲む未来を想像しようとしても、現実が首を横に振る。

忙しさは紛らわせても孤独は消えない

仕事に没頭しているときだけ、孤独を忘れられる。登記簿のチェックや契約書の精査に集中していると、時間があっという間に過ぎる。だけど、それが終わったときにどっと押し寄せるのが虚しさだ。時計を見ればもう22時、今日も誰とも会話していないことに気づく。仕事があるから救われているが、それがない日は、なかなか立ち上がれない。

依頼の電話は鳴っても私用のLINEは鳴らない

電話はよく鳴る。クライアントから、金融機関から、不動産業者から。だけど、私用のスマホは静かなものだ。LINEも、既読すらつかない通知が時折ある程度。唯一活発なのは仕事のグループチャットだけ。こんな生活を送っていると、スマホは便利というより残酷な現実を突きつけてくる道具のようだ。昔、スマホで彼女と連絡を取り合っていた友人たちは、今や家族写真をアイコンにしている。

電話帳に登録されてるのは取引先ばかり

スマホの連絡先をスクロールすると、目につくのは「〇〇不動産」「△△銀行支店長」「××司法書士事務所」ばかり。プライベートの知人は数えるほどしかいない。しかもそのほとんどが、年賀状のやり取りが最後の交流という有様だ。誰かと深くつながる時間を、仕事にすべて費やしてしまった代償なのだろうか。

事務員との雑談も気を遣ってばかり

唯一日常的に会話を交わすのは、事務員の山本さん(仮名)くらいだ。とはいえ、そこには当然ながら距離感がある。下手な冗談を言えばセクハラと受け取られるかもしれない。コーヒーを入れてもらえば「気を遣わせてしまったかな」と思う。気さくに笑ってくれるけれど、それ以上踏み込める関係ではない。それが分かっているからこそ、余計に気を遣う。

土日が怖い司法書士のリアル

週末になると、心の底から「予定がない」という事実が押し寄せてくる。仕事が詰まっている平日はまだ救いがあるが、土日はそれがない。人と会う予定もなく、実家にも帰りづらく、気づけばコンビニ弁当とNetflixで休日が終わる。そんな日が続くと「自分は社会から隔絶された存在なのでは」とすら思えてくる。

予定がないことが確定しているカレンダー

Googleカレンダーを開くと、びっしりと仕事の予定が並んでいる。その隙間に「休み」や「映画」「デート」といった文字が入ることはない。予定が白紙であるということが、心の白紙とリンクするような気がしてくる。休日を前に「何しようかな」と考えることすらなくなった。習慣とは恐ろしいもので、「ひとり」を当たり前としてしまっている。

元野球部の友人たちは家庭持ち

高校時代の野球部仲間とは、たまにLINEのやりとりをする。みんな子どもができて、運動会や学芸会の話ばかりになった。集まりに誘われても、「子どもが小さくてなかなか…」と断られる。自分だけが変わっていないような気がして、虚しさが胸に広がる。青春時代の仲間にすら、どこか距離を感じてしまう。

サウナ通いで心は整うのか

そんなときの癒やしが、近所のサウナだ。整うことで気分は一時的に晴れるけれど、外に出たときに待っているのはまた静かな部屋。汗を流しただけで孤独が洗い流せたらどれだけいいだろうか。サウナの「ととのう」という言葉の意味を、心の奥深くではまだ掴みきれていない気がしている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓