朝起きてふと感じる置いていかれた感覚
目覚ましが鳴って、重い身体を起こす。カーテン越しに差し込む光がやけに眩しい。そんな何気ない朝にふと、「自分だけが取り残されている気がする」と感じることがある。誰が決めたわけでもない“進み具合”に、自分が追いつけていないような、そんな焦りのような寂しさが襲ってくる。人と比べるつもりはなかったはずなのに、気づけば人のことばかり気にしてしまっている。
スマホを見るたびに募る焦り
出勤前、何気なくスマホを開く。タイムラインには、同世代の知人が「事務所を法人化しました」とか「家を建てました」といった投稿をしている。自分はというと、今日も昨日と同じ事務所で、同じように書類をさばき、時間に追われる。特別な何かがあるわけでもない。昔はそんな投稿を「すごいな」と素直に見ていたけれど、今はどうしても「自分は何してるんだろう」と思ってしまう。
SNSのキラキラ投稿に疲れる
司法書士という仕事は、表に出ることは少ない。でも、SNSでは同業者ですら「今日もクライアントから感謝の言葉をいただきました」なんて投稿をしていて、妙にまぶしく見える。嘘じゃないのかもしれない。でも、そういう“いい話”ばかり目にしていると、自分の地味で泥臭い日常がやけに色あせて見えてくる。正直、疲れるのだ。
知り合いの成功報告がなぜか刺さる
同じ予備校に通っていた仲間が、雑誌にインタビューされたという話を見かけた。「今の自分があるのは、あのときの苦労があったから」と笑顔で語るその写真が、なぜか胸に刺さった。いや、別にその人に嫉妬してるわけじゃない。ただ、眩しすぎて、自分があまりにも普通すぎて、比べてはいけないと思いつつも比べてしまう。そんな自分が一番嫌だった。
同級生との距離が日に日に広がる
高校時代の友人たちとは、年に一度くらい集まる。最初は楽しいんだけど、話が子どもの進学やマイホーム、親の介護などになると、ポツンと自分だけが話題に入れなくなる。気を遣ってくれているのはわかる。でもその気遣いが逆につらくなる。みんながちゃんと“段階”を踏んでいるのに、自分だけが取り残されている気分になるのだ。
昔は同じスタートラインにいたはずなのに
大学を出て、資格を取って、事務所を開業した頃は、自分なりに順調だと思っていた。でも、同じ頃に開業した同業者が、今や従業員を何人も抱えるようになっていたり、講演活動をしていたりするのを見ると、焦る。自分も頑張っているつもりなのに、なぜか差がついている気がしてくる。スタートラインは一緒だったのに、どこでこうも違ってしまったんだろう。
年賀状の写真と現実の自分
年始に届く年賀状。そこに写る家族の笑顔や旅行の写真を見て、「幸せそうだな」と思う自分と、「自分は何してるんだろう」と落ち込む自分が同居する。返信を書こうとして手が止まる。書くことが見つからない。誰とも比べないと決めたはずなのに、年に一度のこのタイミングで、自分の“進み具合”を図ってしまう。無意識のうちに。
事務所にこもる日々が感情を鈍らせる
毎日同じデスクに座って、同じような登記や遺産分割協議書を作る。事務所は静かで、話し相手は事務員さんくらいだ。業務はこなせている。でも、ふと「自分は今、生きているのか、生きているふりをしているのか」と思うことがある。感情の起伏がなくなり、刺激が減り、ただ“日々を消化している”だけのような感覚に襲われる。
会話のない時間に押し寄せる不安
電話も来客もない午後、時計の針の音だけが響く部屋で一人。机の上のファイルを眺めながら、「これ、誰かの人生に本当に役立ってるのかな」と考える。書類を作って提出して完了。それが司法書士の仕事ではあるけど、誰かに心から感謝されるような瞬間は、実はあまり多くない。自分の存在意義を見失いそうになる。
なぜか自分だけ進めていない気がする理由
誰もが忙しそうに働き、家族を持ち、趣味も充実させているように見える中で、自分は何をしているのか。進んでいるように見えて、実は同じところをぐるぐる回っているだけじゃないのか。そう思うことがある。誰かと比較して生まれる感情だとはわかっていても、やっぱり「自分は遅れている」と感じてしまう。
努力と結果が結びつかない日々
真面目に仕事をしている。でも、それが報われているかと聞かれると、正直わからない。仕事の評価は数値化されないし、感謝も声に出してもらえることは少ない。努力しても、成果が「実感」できないのが司法書士という仕事の一面でもある。だからこそ、周囲の“目に見える成果”に心がざわついてしまうのだ。
評価されない仕事に意味はあるのか
登記がミスなく完了しても、それは“当たり前”の仕事として扱われる。逆にミスをすれば大問題。つまり、正確に仕事をこなしても「普通」とされ、褒められることはない。このバランスの悪さが、時々虚しさを生む。人に話せば「責任ある仕事だよね」と言われるけど、それが実感できる日は少ない。
司法書士という職業の孤独さ
誰かと一緒に何かを成し遂げる仕事ではない。クライアントと短時間だけ接して、あとはひたすら一人で書類と向き合う。それが司法書士のリアルだ。会話の少なさ、成果の曖昧さ、感謝されにくさ。どれもが少しずつ、自分を孤独にさせていく。だからこそ、「他人は輝いて見える」構造になってしまうのかもしれない。
それでも今の自分を否定しすぎないために
焦りや不安に飲み込まれそうになる日もある。でも、全部を否定してしまったら、本当に自分がいなくなってしまう。たとえ成果が見えづらくても、今日も何かをこなし、誰かの役に立っているかもしれない。そんな風に、ほんの少しでも自分を認める視点がないと、続かない仕事だと思っている。
足踏みしている時間も人生の一部
進んでいないように見える日もある。でも、実はその足踏みこそが、心を整える時間だったり、自分を守る時間だったりする。焦って動くよりも、一度立ち止まることが必要なときもある。歩く速さは人それぞれ。誰かと比べて焦るより、「今の自分が選んだ歩き方なんだ」と思えるようになったら、少し楽になる。
自分なりの歩幅で進んでいい理由
速く走れる人もいれば、ゆっくり歩く人もいる。私はどちらかといえば後者だ。でも、立ち止まった時間に考えたことや、感じた孤独が、きっと誰かの役に立つときがくる。そんな風に思えるようになってきた。人の光に照らされすぎて、自分を見失うこともあるけれど、だからこそ、足元の小さな一歩を大切にしたい。