手帳には何も書いていないのに忙しい日々
「今日は何も予定が入っていないから、少しゆっくりできるかもしれないな」そんな淡い期待で始まった朝に限って、気がつけば夕方。事務所の椅子に座ったまま、結局ろくに外にも出ず、集中できた時間もなかった気がするのに、どっと疲れている。手帳を開いても真っ白。予定表の空欄が、むしろ虚しく見えてくる。
予定がないという不安が逆に心を疲れさせる
「何も予定がない」それ自体は本来、自由な状態のはずなのに、なぜか落ち着かない。以前、後輩の司法書士に「先生って、予定が空いてるとソワソワしますよね」と笑われたことがある。まさにその通りで、予定が入っていないと「動けていない自分」が責められているような、そんな気持ちになるのだ。
「何もしないこと」に罪悪感を覚える性格
野球部時代のクセなのか、「空いている時間=努力が足りてない時間」と刷り込まれてきた。だから何もしていないと落ち着かず、机の前で意味もなく書類をいじったり、古い書類棚を開けて無駄に整頓し始めたり。結局、心も身体も休まらない。事務員さんには「忙しそうに見えるけど、何してるんですか?」と聞かれ、なんとも答えにくかった。
周囲の人がどんどん進んで見える時の焦り
SNSを開けば、同業の先生が「〇〇登記完了!」「〇〇セミナー登壇しました」と投稿している。自分はというと、特にこれといった成果もなく、気がつけば今日も終わっている。予定表が空っぽだと、その空白を埋めるのは、自分への焦りや嫉妬だったりする。自分のペースを守るって、簡単なようで実は難しい。
タスクではなく心が埋まっているという感覚
誰かとの打ち合わせや役所に行く予定など「具体的な仕事」があるわけではない。けれど、常に「やらなきゃいけないこと」は頭の中に散らかっている。そのせいで、ふと気を抜くことができない。まるで、いつ鳴るか分からないタイマーを胸に抱えているような毎日だ。
思考の暴走が時間を奪っていく
「あの件、今のうちに調べておくべきか…」「あの依頼人、そろそろ連絡してくる頃かも…」と、頭の中では常に何かが再生されている。作業しているわけでもないのに、エネルギーは消費されていく。実際、何も進んでいないのに、脳だけはフル回転していて、夜にはどっと疲れがくる。まるでずっと全力疾走していたような疲労感だ。
やらなきゃリストに追われる日常
「あとでやる」と思っているタスクが頭の中にいくつもあって、それがずっと追いかけてくる感覚。パソコンのメモ帳にも付箋にも、やることリストが散乱していて、どこから手をつけたらいいか分からない。気づけばToDoリストを眺める時間が一番長くなっていたりする。実行より先に反省と後悔がやってくるのが日常だ。
「休むための予定」を入れるという小技
最近、少しだけマシになったのは、「何もしない時間」すら予定表に入れるようにしたこと。例えば「13時〜14時は何もしない」と書いておくだけで、その時間を確保する言い訳ができる。実際には、やっぱり何かしてしまうのだけど、「やらないことを予定に入れる」ことで、心に少し余白が生まれる気がする。
仕事をしていない時間も仕事のことを考えている
仕事とプライベートの境界線がない。それが一人で司法書士事務所をやっているということなのだろう。事務員さんが帰った後も、なんとなく机に残って、ぼんやり案件のことを考えている。気づけば21時。でも何かを終えた感覚はなく、「今日もあっという間だったな」とだけ呟く。
一人事務所だからこその気が抜けなさ
何かトラブルがあっても最終的に責任を取るのは自分。だからどんなに小さな案件でも、どこかで神経が張り詰めている。大きなミスはほとんどないけど、それは「常に警戒している」から。つまり気が抜けない生活が日常になってしまっている。一人親方って、気楽なようで案外しんどい。
予定表に出てこないプレッシャー
手帳に書かれた予定は、あくまで「表面上の予定」に過ぎない。実際には、書かれていないプレッシャーが常に心を支配している。「あの登記、補正来たらどうしよう」とか「相続の依頼、そろそろ動き出すはず」とか、予定になっていない未来が常に頭の片隅にある。だから何もないはずの日でも、気は休まらない。
「自由時間」=「気が重い時間」になっていないか
予定がないという自由が、最近はむしろプレッシャーになってきた。自由であるはずの時間が、「何かやらなきゃ」という焦りに変わり、結果的に一番心が重たくなる。不思議なものだ。若いころは「何も予定がない日」が楽しみだったのに、今ではその空白が怖い。自分で自分を縛っているようなものだ。
空欄を埋めたくなる性分とどう付き合うか
予定がないと不安になる、何かしていないと落ち着かない。そんな自分の性分に、最近ようやく気づいてきた。これはたぶん変わらない。でも、付き合い方は少しずつ変えられる。空欄を埋めることが「安心」じゃなくて、「埋めないこと」こそが「余白」になると信じてみようとしている。
野球部気質が抜けないせいにしてみる
「走っとけ」「黙って素振りしとけ」と言われて育った野球部時代。あの頃から「止まる=サボり」だった。たぶん今もその感覚が抜けてない。でもそれを責めるより、むしろ「そういう気質だから」と自分を笑ってしまったほうが、少しは楽になれる。意外と、性格のせいにしてみるのも悪くない。
「何もしない」の価値を再定義する
「今日は何もしなかった」それを恥じるのではなく、誇れるようになれたらいいなと思う。何もしない時間にこそ、体や心が休まり、次の行動のための力が蓄えられる。それがわかっていても、なかなかうまく実践できないのが正直なところだけど、少しずつでいいから、予定表の「空白」を大切にできる自分になっていきたい。