またやってしまった朝の静けさ
朝の事務所は静かだった。パソコンの起動音と、コピー機のモーター音だけが微かに鳴っている。事務員はまだ出勤しておらず、私は一人、登記申請書に最後の仕上げをしていた。印紙を貼って提出準備完了。……のはずだった。しかし何かが引っかかる。ふと書類を見直してみると、貼ったはずの印紙が、「そこじゃない」位置にぺたりと張り付いていた。あまりの凡ミスに、しばらく無言で天井を見つめてしまった。こんなとき、元野球部の精神論なんかじゃ何の役にも立たない。
何度見直しても貼り間違える不思議
印紙を貼る場所なんて、申請書の指定欄に決まってる。しかも、もう何百回とやっている業務。にもかかわらず、その日はなぜか別の場所に貼ってしまった。焦っていたわけでもない。寝不足でもなかった。ただの「確認しなかった」が原因だ。それでも、自分のミスを認めたくなくて、何度も書類を裏返したり、光に透かして見てみたりした。まるで間違っているのは紙の方なんじゃないかと疑うように。情けないが、そうやって現実から目を背ける時間だけは一丁前だった。
集中していたはずの手元のミス
「集中してたつもりだったのに」。このセリフ、過去に何度も使ってきた。実際は集中どころか、頭の半分は「今日の昼、何食べようか」とか、「あの件の返事まだ来ないな」とか、余計なことばかりでいっぱいだったのかもしれない。作業がルーチンになればなるほど、手が勝手に動いてしまって確認が抜ける。そして気づいたときには手遅れ。貼ってしまった印紙は、剥がすと破れる。ああ、440円が空に舞った朝だった。
小さなズレが心をかき乱す
たった1cmのズレで、こんなに気分が落ち込むとは思わなかった。ミスが小さければ小さいほど、自分の無能さが際立つようで、逆に堪える。あれが10万円の請求漏れだったら、怒りと焦りで動けただろう。でも440円、たかが440円、されど440円。心にのしかかるのは、「こんなことすらできないのか」という自責。誰にも怒られてないのに、自分で自分を追い込んでしまうのが、仕事の怖いところだ。
印紙貼り直し事件の顛末
結局、印紙はもう一枚買い直すしかなかった。時間もない。今日は申請書を法務局に持っていく予定だった。急いで最寄りの郵便局まで走った。車を出す時間も惜しかったので、朝から徒歩で小走り。途中、近所の子どもに「おっちゃん、走ってるー」と笑われた。うるさい、こっちは人生かかってんだ。そんな小さなプライドを抱えながら、やっとの思いで買い直し、ようやく再提出にこぎつけた。
貼り直し可能かすらわからず焦る
印紙って、貼り直しが効かない。うまく剥がせれば再利用できるが、少しでも破れれば無効。そういうルールがあるからこそ、貼るときは慎重になる……はずだったのに。今回の貼り間違いは、剥がそうとしてもビクともせず、しかも端っこがめくれて破れかけてしまった。「あ、これもうダメだな」と思った瞬間のあの空気。誰もいない部屋で、ひとりため息をつくしかなかった。
法務局に電話する勇気もない朝
ミスした直後、最初に頭に浮かんだのは「誰かに聞こう」だった。でも、法務局に電話して「すみません、貼る場所間違えました」って言う勇気が出ない。情けないけど、本音。バカだと思われるのが怖くて、電話番号を見ながら通話ボタンを押せなかった。結局、スマホを置いて椅子に沈んだ。こういうとき、誰かが隣にいてくれたらと思う。でも、現実は一人だ。
結局、相談したのは事務員だった
そんな中で救ってくれたのは、うちの事務員だった。「貼り間違えた? あー、それならまた買ってきましょうか?」とあっさり言ってくれた。なんてことない一言だったけど、なんだか涙が出そうになった。「なんだ、そんなもんか」って思えるようになったのは、彼女のおかげだったと思う。日々の小さな失敗にも、誰かがいてくれると救われることがある。
誰のせいでもない日常の罠
仕事の中には、「誰が悪いわけでもないのにミスが起きる」ことが山ほどある。今回の印紙もそう。自分の注意不足だけど、別に誰かに迷惑をかけたわけでもない。でも、なんとなく自分にがっかりしてしまう。完璧を求めすぎるのは良くないと頭ではわかっていても、心はそれを許してくれない。日常の罠は、意外と静かに、確実にこちらの足をすくってくる。
仕事に慣れすぎると油断が出る
何年もやってると、「慣れ」ってやつが敵になる。新人の頃は印紙の貼り方一つにもドキドキしていたのに、今じゃ無意識にやってしまう。その結果がこれだ。毎日が似たようなルーチンで、気が緩んでいることに気づけない。慢心って言うと大げさだけど、「まあ大丈夫でしょ」という気持ちは、ちょっとずつ仕事を雑にしてしまう。
確認作業は「面倒」から「習慣」へ
これを機に、印紙を貼る前に必ず声に出して「ここ」と指差すようにした。自分一人しかいない事務所で、「ここ、ここね」とブツブツ言ってる中年男。傍から見たら滑稽だろうけど、確認は一種の儀式だと思っている。面倒だからこそ、日々のルーティンに組み込んでしまえばいい。大事なのは、自分の「うっかり」に気づける仕組みを作ること。それが、自分を守る一番の方法だ。
ひとり職場の落とし穴
独身で、事務員も一人。基本的には毎日ひとりで動いている。そんな環境では、失敗したときに誰かと話せることの価値が身に染みる。孤独と責任が同居する仕事場では、ちょっとした声かけが救いになる。今回の印紙の一件でも、誰かに話せなかったら、もっと気持ちが沈んでいたと思う。
相談できる相手がいない日もある
事務員が休みの日。そんな日に限って、妙なトラブルが起きたりする。普段なら「どう思う?」と聞ける相手がいないと、判断も鈍る。メールを打つ手も止まり、電話するタイミングも掴めない。すべてが自己完結型になると、思考がぐるぐる回って出口が見えなくなる。やっぱり、人は誰かに相談できてこそ、冷静でいられるものなんだ。
だから愚痴は溜まりがち
誰にも言えないストレスは、溜まる一方だ。コンビニの店員さんにちょっと話しかけられただけで、無性にうれしくなってしまうこともある。夜、ビールを飲みながらテレビのニュースに文句を言ってる自分がふと虚しくなるとき、「誰かに聞いてもらいたかっただけなんだな」と気づく。弱音を吐ける相手がいないと、愚痴はどんどん膨らむ。
誰かに聞いてほしいだけなのに
「たいしたことじゃないんだけどさ」って前置きをして愚痴りたい。そんな小さな願いを叶える場がないまま、日々が過ぎていく。でも、この記事を読んでくれる誰かがいるなら、それだけで少し救われる気がする。同じように働いて、同じように失敗して、同じように悩んでいる人がいる。そんな想像だけで、今日もまた仕事を続けていける。
それでも仕事を続ける理由
失敗もある。落ち込む日もある。印紙を貼り直すだけで、1日がぐったり疲れる。でも、そんな日々の中にも、小さな学びがある。それはきっと、自分を支える芯になっていく。司法書士という仕事は、地味だけど、そんな地味な自分にはちょうどいいのかもしれない。完璧じゃないまま、今日もまた、印紙をそっと貼る。
ミスがあるから丁寧になれる
ミスをしなければ、気づけないことがある。痛みを感じるからこそ、次は気をつけようと思える。何も失敗しない完璧な人間なんて、きっと面白くない。弱さも情けなさも含めて、自分らしさだと思えるようになってきた。年を取るのも悪くない。
完璧ではない自分を受け入れる力
若いころは「なんでこんな簡単なこともできないんだ」と、自分に苛立ってばかりいた。でも今は、失敗した自分をちょっと笑えるようになった。大丈夫、今日もまた、印紙はまっすぐ貼れた。たぶん。