紹介話にすがる日々の心情
「今度紹介するよ」――その言葉だけで、ちょっと明日が明るく感じる。地方の司法書士という仕事柄、紹介の一言がまるで金言のように響く日もある。特に広告もせず、地道な紹介で回しているような小さな事務所にとって、誰かの紹介はまさに命綱だ。それなのに、実際にはそのまま連絡が来ずにフェードアウト。最初は「ああ、忘れてるのかな」と思っていたが、回数を重ねると「やっぱり俺の存在なんてそんなもんか」と自虐が始まる。紹介話にすがりつく自分が情けないが、実際問題、紹介が来るか来ないかで今月の売上も変わってくるのが現実なのだ。
ひとことの期待が日々を支える
「稲垣さんって、信頼できるから紹介したい人がいるんだよね」――こんなふうに言われた日には、心の中で花火が上がる。何も変わらないはずの夕焼けが、少しだけ希望に満ちて見える。紹介されるかもしれないという期待感が、地味で単調な日常に彩りを与えてくれるからだ。書類に囲まれた日々、相談電話に追われる日々のなかで、この“紹介話”だけが違うリズムを生んでくれる。そんな些細なことで?と思われるかもしれないが、独立してからというもの、ほめ言葉や期待の言葉にすがるようになってしまったのかもしれない。
声をかけてもらえることのありがたさ
そもそも声をかけてもらえるというのは、本当にありがたいことだ。誰かが自分のことを思い出して、誰かに紹介してもいいと思ってくれる。それだけで、自分の存在が少し報われた気がする。そんなふうに思えるのは、きっと年齢を重ねたからだろう。若いころは「紹介されて当たり前」くらいに思っていたかもしれない。でも今は違う。紹介が来るということは、それだけ信頼されているということだ。そう信じたい。信じていたい。だが、その連絡が来ないとなると、その信頼も幻想だったのかと不安になる。
実際には紹介されないことが多い現実
しかし、残念ながら「紹介する」と言われて本当に紹介されることは少ない。これが現実だ。決して相手に悪気があるわけじゃないのはわかっている。忙しかったり、タイミングを逃したり、相手の都合もあるのだろう。けれど、期待した分だけ心にぽっかりと穴が開くのは事実だ。誰も悪くない。でも自分だけが取り残されたような気がして、事務所でひとり、黙って郵便物を束ねる手が止まる。今日もまた、連絡は来なかった。
紹介される側の気持ちって案外デリケート
紹介する側は、軽く言ったつもりでも、される側はその言葉を真剣に受け止めている。まるで水を一滴もらった砂漠の人間のように、その一言に全神経を集中させてしまうのだ。今までうまくいかなかった案件や、営業が空回りしていたタイミングでの紹介話ほど、その影響は大きい。ちょっとした希望にすがるようになると、自分でも驚くくらい脆くなっているのがわかる。
待ってる間に自信が削られていく
「あの人、忘れてるのかな」「いや、きっと忙しいんだろう」と自分をなだめる時間が続くと、自信がだんだんと削れていく。紹介されるに値しない自分なんじゃないか。そんな疑念がじわじわと心をむしばんでいく。名刺を整理しながら、「この人、どうして紹介すると言ったんだろう」と思い返してしまう。期待してはいけないと思っても、希望がないと前に進めないときだってある。
来ない連絡が心に与える微妙なダメージ
毎日「今日は連絡が来るかも」とスマホを気にしながら業務をこなす。けれど、何もない通知欄を見るたびに、少しずつ元気が削れていく。そのダメージは、派手じゃない分、じわじわとくる。事務員に愚痴るほどのことでもないし、かといって誰にも話せない。小さな期待と失望が積み重なって、じわじわと効いてくるのだ。
「気にしない」が一番難しい
「あんまり気にしない方がいいよ」――そう言われることもある。確かに、頭ではわかっている。でも、心はそう簡単に割り切れない。むしろ「気にしないように」と思えば思うほど、余計に気になってしまう。そんな未練がましさが、自分でも情けなくてまた落ち込む。強くなりたいとは思う。でも、この業界にいると、繊細さを捨てられないのも事実なのだ。
紹介するよの真意を考える
紹介すると言われたその言葉の裏に、どれだけの本気があったのか。あるいは単なる社交辞令だったのか。そんなことを考えても仕方がないとわかっていても、気になるものは気になる。特に独立して事務所を構えてからというもの、人の言葉に一喜一憂する癖がついてしまったように思う。ちょっとした言葉に過敏になりすぎているのかもしれない。
本気で言ってたのか社交辞令なのか
紹介話の中には、本気のものもあるし、そうでないものもある。ただ、こちらからすればそれを見極める術はない。笑顔で言われれば信じてしまうし、「来週あたり連絡いくかも」と言われれば手帳にその予定を書いてしまう。紹介話は“期待の芽”だ。それが本物かどうか、時間が経たなければわからない。だからこそ、紹介するという言葉には重みがあるのだ。
相手も悪気があるわけではないけれど
相手にも事情はある。忙しかったり、紹介したかった相手の都合が変わったり、そもそも忘れてしまったり。紹介を期待した側としてはモヤモヤするが、相手を責められるものでもない。こちらだって、同じように“忘れてしまった約束”があるかもしれないからだ。ただ、それでも言葉には責任があると思ってしまう。
言われた側は勝手に夢を見てしまう
紹介されるかもと期待した時点で、もう勝手に未来を描いてしまっている。「どんな依頼だろう」「ちょっとややこしい案件なら得意分野かも」なんて、一人で勝手に盛り上がる。でも、現実はそんなに甘くない。夢見た分だけ落差がきつい。誰も悪くないのに、誰かを恨みたくなる瞬間もある。それがまた自己嫌悪につながっていく。
紹介話が来なかった時の切り替え方
紹介話が来ないとわかったとき、どうやって気持ちを切り替えるか。これが実は一番難しい課題だ。割り切って忘れるなんて、そんな器用な性格ではない。むしろ、しつこいくらいに引きずってしまうのが自分の性分。でも、仕事は止まってくれないし、愚痴ばかり言っても変わらない。だから少しずつ、気持ちを整理する。
期待値を自分で調整する技術
期待しすぎないというのは、慣れていないと難しい。でも、「まあ来たらラッキー」くらいに思えるようになれば、心の安定は保てる。これも年齢と経験が教えてくれた知恵のひとつだ。紹介話が来るか来ないかで一喜一憂していた若いころと違い、今は「紹介がなくても自分で動ける」ことが強さになる。
依頼は自分で獲ってくるしかないという覚悟
紹介に頼るだけでは不安定だというのは、痛いほど思い知らされた。待っているだけでは、結局何も始まらない。だからこそ、自分の営業、SNSの発信、地元のつながり、全部を駆使して「自分から仕事を取りに行く」覚悟を持つようにしている。紹介はあくまで“副産物”と思えるようになると、少し楽になる。
それでも誰かを少しは信じていたい
いろいろ書いてきたが、それでもやっぱり、人の言葉を信じたい。期待しないようにしていても、心のどこかで「もしかしたら」という気持ちは消えない。完全に人を疑ってしまったら、この仕事はやっていけない気がする。だから今日も、スマホの通知をちらっと見て、「まあ、来ないよな」とつぶやく。それでも、明日は来るかもしれないと、少しだけ思いながら。