会話がない日々に心が耐えられなくなった日

会話がない日々に心が耐えられなくなった日

会話のない日々が当たり前になっていた

朝から晩まで誰とも話さずに終わる日が増えてきた。気づけば、それが当たり前になっていた。司法書士という仕事柄、黙々と書類を作り、登記申請をこなし、電話が鳴るのを待つだけの時間が多い。特に来客がない日などは、ほとんど誰とも目を合わせることもない。こういう生活に慣れたつもりだったけれど、ふとした瞬間に、心がどこか薄暗く冷たくなっていくのを感じるようになった。音のない生活は、思っていた以上に心を蝕むものだ。

声を発しないまま終わる一日

声を出さないまま一日が終わることがある。正確に言えば、テレビには話し声があるし、事務員との会話もゼロではない。ただ、そのどれもが「心のやりとり」とは程遠く、形式的な連絡事項や、天気の話を一言交わす程度だ。コンビニのレジでも「お願いします」「ありがとう」だけで済んでしまう。こんな日が続くと、まるで自分が存在していないかのような錯覚に襲われる。自分の声すら、他人に届いていないような感覚が積もっていく。

事務員との会話は業務連絡だけ

事務所にはひとり事務員がいるが、話す内容はほとんどが業務連絡だ。「この書類、FAXしておきました」「この登記、補正ありました」――それだけ。もちろんそれはそれで大切なやりとりだが、心を通わせる会話とは違う。昔は、ちょっとした世間話や休憩中の雑談もあった。でも、お互いに忙しくなりすぎたのか、それとも気を遣いすぎる関係になったのか、自然と言葉数は減っていった。沈黙が続く職場は、心にも静寂を染み込ませる。

誰かと雑談できる余裕がどこにもない

「仕事中に雑談なんて」と思われるかもしれないが、ほんの少しの言葉のやりとりが救いになることがある。けれど、現実にはそんな余裕すら感じられない。業務は増え続け、効率だけが求められ、無駄な会話を削るのが“賢いやり方”とされる風潮すらある。そんな空気の中で「最近どうですか?」なんて声をかけるのは、どこか場違いに思えてくる。結果、会話はますます減っていき、心の距離は静かに広がっていくのだ。

静かすぎる事務所に響く自分のキーボード音

朝9時。事務所のシャッターを開けて、PCの電源を入れ、椅子に座る。キーボードを叩く音だけが、空間を支配する。たまにプリンターが動き出す音に少しホッとする自分がいる。ラジオやBGMをかけても、逆に孤独が強調されるだけで、心の芯まで届かない。こういう空間に何年も身を置いていると、音があることよりも「誰かの存在」を求めていたのだと気づかされる。ただ誰かと同じ空間で、何気ない言葉を交わせる、それだけで十分だったのかもしれない。

無音が集中力を奪っていく矛盾

静かであることは集中に向いている。そう思っていた時期が自分にもあった。ところが、あまりにも静かすぎると、逆に心が散ってしまう。周囲の音がなさすぎて、自分の思考の音ばかりが反響してしまうのだ。たとえば、昔の失敗や気まずいやりとりが、ふいに頭の中に浮かんでくる。そしてそれが止まらなくなる。仕事に集中したいのに、心が騒がしくなって、逆に何も手につかなくなってしまう。これでは本末転倒だ。

BGMを流しても気休めにしかならない

一時期はYouTubeの「作業用BGM」や「カフェミュージック」を流していたこともある。でも、それは「気休め」であって、孤独を癒すものではなかった。まるで、パーティーの録音を聞きながら一人で缶ビールを飲んでいるような、そんな空しさがあった。音があれば気が紛れると思っていたが、違った。自分が欲しかったのは“音”ではなく“対話”だったのだと、遅れて気づいた。

話し相手のいない時間が長すぎると不安になる

話し相手がいない時間が続くと、自分の存在価値に疑問を感じるようになる。朝から晩まで、何かを生産しているつもりでも、どこか空っぽな気持ちになる。おかしいな、独立して最初の頃はこんな感情なかったのに――と思う。おそらく、年齢を重ね、日常が単調になる中で、心のどこかが摩耗していったのだろう。気づかぬうちに、話すこと、聞いてもらうことが、自分を支えていたと知るようになる。

顧客対応の後の静寂が刺さる

たまに依頼人が事務所に来て、ちょっとした世間話を交える。そのときだけは、なんとなく生きている実感がある。でも、その時間が終わってしまうと、反動で静けさが倍増する。たとえるなら、宴の後の片付けの時間。にぎやかだった空間が、何事もなかったかのように元の静寂に戻る。あの瞬間の「ぽつん」とした感じが、時には心に刺さる。会話は短くても、心の余韻はずっと残る。

一瞬だけ賑わうけどそれだけ

相談対応のときは、自分でも驚くほどよく喋る。たぶん、普段話さなすぎる反動だろう。でも、終わればすぐにまた静寂。話した分だけ、空白が大きく感じられるのだ。「また来てくださいね」と笑って送り出したあと、ふっとため息が出る。「また話せるのは、いつになるのか」そんなことを考えてしまう。毎日来客があるような事務所ではないからこそ、たまの訪問が心の浮き沈みに影響してしまう。

電話対応すら終わると何も残らない

電話の呼び出し音が鳴ると、少しだけうれしい。誰かと話せるかもしれないという期待がある。でも、話す内容は「登記簿の取り寄せ方」「費用の確認」など、簡潔で淡々としたものばかり。受話器を置いた瞬間に、また無音の時間が戻ってくる。電話を取るのが好きなタイプではないけれど、いまはその時間すら貴重だと感じている。人とのやりとりが、日常のノイズになるということが、どれだけありがたいことだったのか。

声を出す機会があるのは他人の用事のときだけ

自分から話しかけることはほとんどない。話す必要があるのは、依頼人や役所、銀行など、仕事上の用事があるときだけ。プライベートで「ちょっと話したいな」と思っても、誰にも連絡しないし、連絡できる相手も少ない。たまにスマホを開いて、連絡先一覧を見て、何もせずに閉じることもある。話す理由がないと話しかけられない。そんな自分を情けなく感じる日もある。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓