なんで自分だけ進めてない気がするのか

なんで自分だけ進めてない気がするのか

気づけば取り残されたような気がしていた

ある日、ふと立ち止まった瞬間に気づく。「あれ?自分だけ取り残されてないか?」。そんな気持ちになることが、司法書士という仕事を続けているとよくある。まわりの士業仲間が独立して活躍していたり、昔の同級生が家族を持って子どもの運動会に出ている姿をSNSで見たりすると、自分は何も変わっていないどころか、むしろ後退してるんじゃないかとさえ思えてくる。気づいたときには、焦りと虚しさが静かに心を蝕んでいた。

焦りの正体は誰かと比べてしまう癖

誰かと自分を比べる癖が、この焦りの正体だ。比較というのは、意識していなくても無意識にやってしまう。たとえば元野球部の仲間が「子どもとキャッチボールした」とか「マイホーム買った」とか、そういう投稿を目にすると、自然と自分の今と比べてしまう。「あいつは家族がいて幸せそうだな」「俺はまだ弁済額で頭抱えてるのに」と。気づけば、勝手に他人の人生と競争して、自分を責めている。

同期の活躍がまぶしすぎて見えない

開業したてのころは、同期と一緒に勉強会をしたり、登記の進め方を相談し合ったりしていた。でも年数が経つと、同期のなかには支店を出す者や、YouTubeで発信を始める者もいて、「ああ、すごいな」と思う一方で、「自分はまだ一人でヒーヒー言ってるだけか」と劣等感を感じるようになる。まぶしい人を見ると、つい自分の暗がりが際立ってしまって、視界がにごる。

比べたくないのにSNSで比べてしまう

SNSは便利なようで、心を蝕む凶器にもなる。「今日は役所でトラブル解決できた」とか、「お客様に感謝された」とか、そういった投稿を見かけると、自分が苦しんだ一日がまるで無意味だったように感じてしまう。しかも、投稿者は悪気がない。むしろ前向きな投稿なのに、勝手に自分が負のフィルターで受け取ってしまう。比べないようにしようとしても、画面を開いた瞬間に心は揺れてしまうのが現実だ。

司法書士という職業のタイムラグ

司法書士の仕事は、派手な成果が見えにくい。書類を丁寧に作成して、登記が無事に完了して、報酬をいただく。その繰り返し。誰かに「すごいね」と言われる機会も少なく、何かを発信しても反応は控えめ。それでも毎日淡々と積み重ねていくしかない。この“成果が遅れて見える”職業特有のタイムラグが、焦りや取り残され感を生んでいるのかもしれない。

開業してもすぐに結果は出ない現実

開業当初は「1年後には軌道に乗ってるはず」と思っていた。でも現実は違った。営業に行っても門前払い、チラシをまいても反応ゼロ、紹介もなかなかこない。気づけば月の売上が5万円で、家賃も払えない日々。こういう経験をすると、「他の人はうまくいってるのに、自分だけが…」と錯覚する。でも実は、みんな最初は同じように苦しんでいたはずなんだと、あとになってようやく気づく。

地味な仕事ゆえに成果が見えにくい

司法書士の仕事は、目立たない。たとえば相続登記の依頼があったとしても、誰かに感謝されたりニュースになるような派手さはない。書類を地道にそろえて、法務局に行って、終わったら静かに請求書を出すだけ。自分が役に立っているという実感が、日々の業務のなかで埋もれていってしまう。成果が目に見えにくいからこそ、「自分は何をしてるんだろう」という虚しさがふと湧いてくる。

誰も褒めてくれない世界に慣れるまで

会社員時代なら、上司や同僚が「よくやった」と声をかけてくれることもあった。でも独立すると、誰も褒めてくれない。ミスしたら叱責はあるのに、うまくいったら「それが当然」という世界。最初はそれが寂しくて、どこかで承認欲求を求めてしまう。でもやがて、誰も褒めてくれない世界に慣れてしまう。その過程で、取り残されたような孤独感がじわじわと広がるのだ。

事務所のなかで感じる孤独

日中は依頼者とのやりとりや書類作成に追われて、時間があっという間に過ぎていく。でもふと時計を見たときに「今日一日、誰とも心から話してないな」と気づくことがある。事務員とは最低限の業務連絡だけ、電話も事務的なやりとりばかり。誰かと「気持ち」を共有することがない日が続くと、心の中にぽっかりと穴が空いたような感覚になる。

一人の事務員に支えられている日々

事務員が一人いるとはいえ、その方もフルタイムではなく、基本的には淡々とした事務作業が中心。もちろん頼れる存在だけど、すべてを共有できるわけではない。事務員の前で弱音を吐くわけにもいかず、どこか「代表」としての顔を演じてしまう自分がいる。感謝はしているけど、それと孤独感はまた別の話で、何とも言えない心の隙間は埋まらない。

話す相手が少ないことの影響

話す相手が少ないと、思考が内向きになる。「これでいいのか」「自分は何をやってるんだろう」と、堂々巡りの思考にハマっていく。誰かに話すだけでスッとする悩みも、吐き出す相手がいないとどんどん重くなる。特に独身だと、家に帰っても誰かが待ってるわけじゃない。たまにコンビニのレジで「温めますか?」と聞かれるだけでも、ほっとする日がある。

業務の相談より先に聞いてほしい弱音

「この登記の進め方って合ってるかな?」といった相談も大事だけど、それよりも「最近ちょっとしんどくてさ」と言える相手が欲しい。業務のことじゃなくて、人としての疲れをわかってくれる人。そういう関係が一つでもあるだけで、どれほど救われるか。でもこの仕事をしていると、そんな弱音を吐く場所すら失いやすい。だからこそ、心のなかで「取り残された感」を強くしてしまうのかもしれない。

「取り残されたくない」と思う気持ち

誰かと比べたくない。自分は自分のペースでいい。そう思いながらも、「それでもやっぱり取り残されたくない」という気持ちが消えないのが本音だ。昔の自分が思い描いていた“未来の自分”と、今の自分があまりにも違っていて、戸惑っているのかもしれない。だからこそ、こうして立ち止まり、振り返り、少しずつでもまた歩き出すしかないのだ。

過去の自分が思い描いていた未来とのギャップ

20代のころ、「40代には落ち着いてるんだろうな」「家族がいて、休日はキャッチボールでもしてるんだろうな」なんて思っていた。でも、現実は違う。仕事に追われて、独り身で、キャッチボールの相手もいない。それでも、過去の理想と今の現実が違っていても、否定することはない。今を生きている自分だって、それなりに頑張ってきた証だ。

地元で一人きりの夜にふと考えること

地方で一人事務所をやっていると、夜の静けさが心に沁みる。駅前の居酒屋の灯りを横目に、自転車を漕いで帰る途中、「こんな人生でよかったのかな」と思う夜もある。でも、そういう夜があるからこそ、翌朝にはまた書類を手にして仕事に戻れるのかもしれない。前に進んでいる実感はなくても、足を止めてないだけでも、十分立派なんじゃないかと自分に言い聞かせている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓