心の拠り所が欲しいと思った日
ある日の夜、事務所からの帰り道、ふと「誰かに聞いてほしいな」と思った。誰かにというのは、友人でも恋人でもなく、「ただ黙ってそばにいてくれる存在」だ。司法書士という仕事柄、いつも冷静で、法的根拠に基づいた判断を求められる。だけど人間だってことを忘れてはいけない。忙しさに流される中で、僕はいつの間にか心のよりどころを見失っていた。そんなことに気づいてしまった日のことを書いてみたい。
孤独を感じるのは仕事が終わった後
仕事中は、登記簿をめくったり、お客様の話を聞いたり、電話に出たりで、自分のことを考える暇なんてほとんどない。だけど一日が終わって、事務所の鍵を閉めたその瞬間に、ふっと心に隙間風が吹く。その風が妙に冷たくて、なぜか無性に誰かに会いたくなる。だけど、誰に?そう思った瞬間に「誰もいない」という現実に気づく。45歳独身、元野球部、田舎で司法書士。肩書きはあるが、心の居場所はない。
忙しさに追われている間は平気なフリができる
朝から相談、午後は登記申請書類のチェック、夕方には役所回り。タスクがあるうちは、ネガティブな感情も棚に上げていられる。でも、それが一段落した瞬間に「なんでこんなに疲れてるんだっけ」と気づく。決して肉体的にハードではないはずなのに、どっと押し寄せる重さ。気力が削がれているのは、たぶん「支え」がないからだ。誰かの一言とか、気遣いとか、そういうものが、こんなにも大事だなんて昔は思いもしなかった。
静けさが押し寄せる夜の時間
夜の静けさは、時に暴力的だ。テレビも消して、スマホも閉じて、何も音がしない部屋にいると、心の声が聞こえてくる。「疲れたな」「誰かに褒めてほしいな」「ちょっとだけ甘えたいな」。そういう声を聞くのがつらくて、僕は無理に寝る準備を始める。でも、眠れない。布団に入っても、結局スマホでニュースを見て、誰かのSNSを流し読みして…気づけばもう午前1時だ。
なぜかコンビニに立ち寄ってしまう癖
夜になると決まってコンビニに寄ってしまう。特に買いたいものがあるわけでもない。晩飯も家にあるのに、つい立ち寄ってしまう。「社会との接点」がそこにある気がして。たかが100円のアイスを買うだけでも、「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と言ってもらえる。それがどこか救いなのだ。自分がここにいていい存在だと思わせてくれる、小さな儀式みたいなものだ。
人との接点を求めているのかもしれない
昼間は依頼人と会話することもあるけど、それは業務上のやり取りであって、感情のキャッチボールではない。「自分」がそこにいない感じがする。だから、無意識に人と接したくなるのだと思う。レジでの一言、郵便配達の方との挨拶、近所のおばちゃんの「暑いですね」。そんな何気ないやりとりに、僕の心は飢えているのかもしれない。
店員さんの「ありがとうございます」が沁みる
特に疲れている日は、レジでの「ありがとうございます」が妙に染みる。若い店員さんの丁寧すぎる接客が、逆に泣きそうになることもある。こっちはクタクタで、心も乾いていて、そんな時に「ありがとうございます」と微笑まれたら、「こちらこそありがとう」と言いたくなる。だけど言えない。恥ずかしくて言えない。だから、心の中で何度もつぶやく。ありがとう、ありがとうって。
事務所の机に座るときの空虚感
朝、事務所に来て、机に座る。パソコンを開いて、昨日のメールをチェックする。ルーティン。でも、ふと「あれ?何か足りないな」と感じる日がある。誰かと話したいわけでも、特別なことがあるわけでもない。ただ、空っぽ。まるで書類の山の中に、感情を置いてきてしまったような感覚だ。必要とされるのに、誰からも求められていないような、そんな矛盾がそこにある。
自分で選んだ道なのにときどき不安になる
司法書士として独立したとき、「自由になった」と思った。でも、自由には責任と孤独がついてくる。それを理解していたつもりだったけど、いざ実感するときつい。お金の心配も、人間関係のストレスも、すべて自分で処理しなきゃいけない。誰かに相談したくても、同業者には弱みを見せられない。だから、独立したはずなのに、何かに縛られている感覚だけが残る。
契約書には支え合いも絆も書いてない
僕らの仕事は「文言」がすべてだ。契約書には、支え合うとか、助け合うとか、そんな感情的な言葉は出てこない。だけど、本当に人を動かすのは、そういう「見えない部分」だ。だからこそ、自分の人生にはそういう絆が欲しくなる。契約にはできないけど、心でつながれる何か。肩書きじゃなく、実績でもなく、「一緒にいると落ち着くね」って言われるような存在が、僕にもほしい。