静かすぎる夜にふと思うこと
一日の仕事を終え、事務所の明かりを落とすと、静寂が一気に押し寄せてくる。聞こえるのは時計の秒針と、遠くから聞こえる車の音くらいだ。忙しい日々を乗り越えた達成感よりも、誰とも会話せずに過ぎていった時間のほうが重く心に残る。地方で司法書士をやっていると、刺激も少なく、外とのつながりも自然と限られてくる。事務所の履歴はパソコン一つで消せるけれど、自分の中の孤独は、リセットの効かないファイルみたいに、ずっと心に居座っている。
履歴を消す癖がついたのはいつからか
特にやましいことをしているわけでもないのに、ブラウザの履歴を定期的に消すようになったのは、もう何年も前のことだ。たぶん、自分の行動を誰かに見られるのが恥ずかしいのではなく、見られないことが分かっていても、何となく後ろめたさを感じるからだと思う。深夜に見ていた野球の名場面集や、誰かの幸せそうなブログ。どれも他人から見ればなんてことのない履歴だけど、自分にはそれが妙に切なく感じる。履歴を消すことで、余計な感情まで一緒に消しているような気がするのかもしれない。
誰かに見られるのが怖いわけじゃない
実際、僕のPCを覗く人なんていない。事務員の彼女だって、自分の仕事が終わればそそくさと帰っていくし、僕の個人的なスペースには誰も踏み込まない。でも、だからこそ逆に履歴を消したくなる。人に見せられない自分というか、誰かに知られたくない時間の使い方というか。孤独って、誰にも邪魔されない安心感の裏側で、自分の弱さと常に向き合わなきゃいけない。
単に何もなかったことにしたいだけかもしれない
履歴を消す理由は、もしかすると「そんな夜はなかった」と思いたいだけなのかもしれない。何も検索しなかった夜、誰かと話していた夜、そんなふうに塗り替えたくなる。だけど、どんなに履歴を消しても、思考の痕跡や、孤独を埋めるために見ていたコンテンツの記憶は消えない。心の中の履歴だけは、何度消してもまた浮かび上がってくる。
忙しさに紛れて孤独を忘れようとしている
平日は登記や相談対応であっという間に終わる。電話、書類、確認、また電話。事務員との会話は業務的なやりとりがほとんどで、雑談を挟む余裕もあまりない。ひとつの案件が終わっても、すぐに次の仕事が押し寄せてくる。その忙しさに自分を溶け込ませることで、孤独を直視せずに済んでいるだけなのかもしれない。けれど、ふと手が止まった瞬間に、やっぱり寂しさは静かにそこにいる。
ひとり事務所の沈黙が重たい
事務員が休みの日は、より一層静かだ。音楽をかけても、外の音に耳を傾けても、どこかで「一人だな」という感覚が消えない。誰かが隣にいるだけで安心できるあの感じ、もう何年も味わっていない。会話のない時間は、昔は集中できてありがたかったのに、今は少しだけ怖い。沈黙が長引くほどに、心の中のノイズが増えてくる。
たった一人の事務員に甘えきれない現実
ありがたいことに、真面目でよく気がつく事務員がいてくれる。でも、彼女に仕事の苦しさや孤独まで話すことはできない。仕事とプライベートの境界線は、崩しすぎるとお互いに居心地が悪くなる。だからこそ、感謝していても、どこかで距離を置いてしまう。結局、自分の弱音は、自分で処理するしかない。
ありがとうと言うタイミングも見失う
いつも助けてもらってるのに、「ありがとう」の一言が言えないまま終業時間になる日が多い。忙しさを言い訳にしているけど、実際は言葉にするのが気恥ずかしい。昔の部活の頃は、怒鳴ることも褒めることも自然にできていたのに、社会に出てから、特にこの仕事を始めてからは、言葉がどんどん不器用になってきた気がする。
元野球部だったことを思い出す瞬間
たまにテレビで高校野球を見ていると、グラウンドの匂いや、汗の中にあったあの一体感を思い出す。泥だらけでボールを追いかけていた頃は、孤独なんて考える暇もなかった。誰かと肩を並べて、同じ目標に向かって声を出していたあの時間。今思えば、あの頃の「疲れ」は、幸せだったのかもしれない。
声を張っていた頃とのギャップ
今は書類に向かって静かに作業する日々。誰かに大きな声を出すこともなくなった。気づけば、怒ることも笑うことも減っている。声って出さなくなると、本当に出しにくくなるんだなと感じる。昔は通る声が自慢だったのに、今じゃコンビニで「温めてください」が聞き取ってもらえないことすらある。
誰かと向き合うことの難しさ
野球部の頃は、仲間と喧嘩してもすぐにぶつかり合って、また笑い合ってた。でも、大人になってからの人間関係はそう簡単じゃない。とくにこの仕事は、距離感が命みたいなところがあって、深入りもできなければ、無関心すぎてもいけない。気を使いすぎて疲れて、結果ひとりでいたほうが楽って思ってしまう。けど、それがまた孤独を深くしていく。
履歴書に書けない感情が増えていく
司法書士としてのキャリアはそれなりに積んできた。でも、履歴書に書けない日々の感情や、失敗、葛藤のほうがよっぽど自分の核になっている気がする。誰にも話せなかった依頼者とのやりとり、無力感を味わった事件、深夜に一人で泣いた夜。そういうことを、人はどこに記録しているのだろう。
どこにも残せない失敗と後悔
案件のミスじゃなくても、「あの対応でよかったのか」と思う夜がある。書類は完璧でも、心の中で「あれでよかったんだろうか」と繰り返す日がある。そんな自問自答を抱えていても、翌朝にはまた依頼者が来る。誰も僕の気持ちの履歴なんか見ていない。でも、自分では鮮明に覚えている。
それでも今日も登記簿は作らなきゃいけない
どんなに気持ちが乱れていても、どんなに孤独を感じていても、登記は待ってくれない。義務感でやっているわけじゃないけど、「やらなきゃ」という気持ちが体を動かしている。きっとそれが、司法書士という仕事の怖さでもあり、救いでもあるんだろう。
孤独はいつも静かにそばにいる
孤独というのは、必ずしも悪いものではない。誰にも邪魔されずに考える時間をくれるし、成長するきっかけにもなる。でも、やっぱり長く付き合えば付き合うほど、重くなる。履歴を消しても、部屋を片付けても、誰かとLINEしても、根っこの孤独はそう簡単にどこかへ行ってくれない。
誰にも邪魔されないという自由
一人の時間は、自由だ。何を見ても、何を食べても、誰にも文句を言われない。でもその自由は、同時に「誰も気にしてくれない」という孤立でもある。自由と孤独の境界線は思っているよりも薄くて、自由でいようとすればするほど、孤独を濃くしてしまう。
だけど、それは寂しさと紙一重
自由に生きたいと思って司法書士になった。でも、今の自分はただ「一人でやっている」だけなのかもしれない。履歴が消せても、孤独は消せない。だからこそ、せめてこうして文章にして誰かと共感できれば、それだけで少しは救われる気がする。