事務所の椅子に座ると落ち着く理由
いつからか、仕事を始める前に椅子に腰を下ろす瞬間が一番ほっとするようになった。背中を預けると、今日も自分の場所がここにあるんだと実感できる。誰かに話しかけられるでもなく、家族が待っているでもなく、椅子だけが毎日同じ場所にあって、自分を受け入れてくれる。そんな存在が、今の自分にとってどれだけ貴重なものか、最近ようやく気づいた気がする。
誰にも邪魔されない安心感
この椅子に座っている間だけは、誰かに気を遣うことも、無理に笑う必要もない。司法書士としての肩書きを一旦置いて、人としてぼーっとできる時間がそこにある。世間の喧騒から切り離された小さな王国。それが事務所の机と椅子のあいだ。誰かが勝手に入ってくることもない。電話もFAXも鳴らなければ、ただ静かに座っているだけで救われる気がする。
買い替える勇気が出ない理由
この椅子、もう10年以上使っている。クッションも少しへたっていて、肘掛けは片方がギシギシ言う。でも替えようとは思わない。だって、新しい椅子になったら、自分の形がそこにないじゃないか。背中の角度も、少し左に傾いた座り癖も、全部が自分の過ごしてきた証みたいで、手放せない。誰かにとってはただの古い椅子かもしれないけれど、自分には居場所そのものだ。
背中を預ける場所がここしかない
背中を誰かに預けられる人生だったらよかったけれど、そんな相手もいない。だからこそ、この椅子に寄りかかる時間が必要なんだと思う。疲れて帰っても、家に人がいるわけじゃないし、夕食はコンビニ弁当が多い。でも、事務所に戻って椅子に座ると、何かが戻ってくる気がする。「今日もなんとかやったな」って、小さく呟ける相手が、たぶんこの椅子なんだ。
一人で仕事を回す日々の重み
司法書士の仕事って、他人から見たら「地味だけど堅実」なんて言われるけど、実際はなかなかの重労働。書類作成から提出、調整、時には裁判所対応もあって、一人でやってたらとてもじゃないけど回らない。うちにも事務員さんがいるけど、それでも日々のプレッシャーは消えない。全部が自己責任で、誰かが代わってくれるわけじゃない。そんな重みが、年々肩にのしかかってくる。
忙しいのに孤独な現場
仕事の量は減らないのに、人と話す機会はどんどん減っていく。お客様とは必要なことしか話さないし、事務員さんも気を遣ってくれるから、逆に雑談が生まれにくい。忙しく働いているのに、終わってみれば一言も誰とも会話していない日がある。帰り道にふと「自分は今日、生きてたって実感あったかな」と思う日もある。椅子だけが、無言で「おつかれ」と言ってくれる。
誰も褒めてくれないけど止まらない
頑張っても誰も見ていない。失敗したら自分の責任。でも止められない。そういう仕事だと思う。元野球部で「声を出せ!」と育ってきたタイプだったけれど、今は声を出す相手すらいない。事務所の中で、自分で自分を鼓舞しているだけ。誰かが「よくやってるよ」って言ってくれたら、それだけで救われるんだろうなと思う。でも言ってくれる人がいないなら、また椅子に座るしかない。
事務員さんの気配りに救われる瞬間
そんな中でも、たまに事務員さんがそっと机の上にお菓子を置いてくれる。別に「どうぞ」って言うわけでもなく、気づいたら置いてある。そういうさりげない気配りに、思わず涙が出そうになる。椅子と机と、そしてこの事務員さんの存在がなければ、たぶんもうとっくに心が折れていたと思う。誰にも見えない努力を、ほんの少しでも認めてくれる人がいる。それがありがたい。
愚痴を吐く相手がいないと椅子に話す
家に帰っても、話し相手はいない。テレビもつけずに、晩酌しながらスマホを見るだけ。だから、事務所に残って、椅子に向かって「今日はさあ、ほんと疲れたよ」なんて話す日もある。椅子はもちろん何も言わないけど、文句も言わないし、黙って聞いてくれる。そういう意味では、人よりよほど頼れる相棒だ。…なんて書くと、ますます独りが板についてしまっている気がするけど。
元野球部の根性だけでは乗り切れない現実
昔は「気合いと根性があればなんとかなる」と信じていた。野球部の練習で鍛えられた体力と精神力が、自分を支えてくれると思っていた。でも40代も半ばに差し掛かると、それだけではどうにもならないことが増えてくる。疲れが翌日に残る。集中力が持たない。なのに仕事量は減らない。根性だけでは追いつかない時代に、どうやって踏ん張るのか。今、それが自分のテーマかもしれない。
体力勝負はもう無理かもしれない
昔は夜中まで事務所にいても平気だった。だけど今は、22時を過ぎると目がショボショボしてくる。長時間の運転や、立ちっぱなしの現場確認もきつい。やっと終わったと思って座ったときのあの安心感たるや…。でも、同時に「もう無理が利かない年齢なんだな」と思い知らされる。あの椅子は、ただの椅子じゃない。戦い終えた自分を迎えてくれる、小さな避難所だ。
精神的スタミナが一番の課題
体よりも厄介なのは、メンタルの消耗だ。人間関係のストレス、書類のプレッシャー、完璧を求められる緊張感…。それが毎日続くと、心の余裕がどんどん削れていく。野球部時代は体力の限界を超えるまで走っていたけど、今は心が先に音を上げる感じ。そんなときは、椅子に深く沈み込んで目を閉じる。それだけで少しだけ回復する。「逃げる時間」が椅子にしかないのが情けないけど。
逃げたくても逃げられない理由
仕事を辞めたいと本気で思ったこともある。でも、この事務所を畳んだら、どこに行けばいいのか分からない。独立して10年以上、この椅子とともに積み上げてきた日々があるから。逃げ道がないというより、「逃げた先に何もない」気がして、踏み出せない。それでも時々、無性に遠くへ行きたくなる。だけど行けない。だから今日も椅子に座って、いつもの一日をやり過ごすだけ。
たまにはベンチに座りたい気持ち
昔はベンチに座るのが嫌いだった。試合に出られない悔しさがあったから。でも今は逆だ。誰かが試合に出て、自分はベンチで応援していたい気持ちもある。疲れた心と体を少しだけ休ませたい。だけど、今の自分にはベンチがない。椅子に座りながら、試合に出続けなければならない日々。だからせめて、この椅子だけは、自分にとっての“休憩場所”であり続けてほしいと思う。
居場所とは誰かに決められるものじゃない
人から見てどう思われていようと、自分が落ち着ける場所があれば、それが居場所なのかもしれない。家庭がなくても、友達が少なくても、誰かに「寂しい人ですね」と思われても、自分が自分でいられる場所があるだけで充分だ。誰にも見えないけれど、この椅子がその役割を果たしてくれている。
独身でも仕事場が支えになることがある
「独身で寂しくないんですか?」なんて聞かれると、答えに詰まる。でも、正直に言えば、寂しい。でも同時に、この仕事場があるおかげで、寂しさに押しつぶされずにいられるのも事実だ。決して賑やかではないけれど、自分の努力や存在が認められる場所がここにはある。それだけで、踏ん張れる気がする。
椅子に残る自分の形が証拠
この椅子のへこみや傷は、全部自分が積み上げてきた証だ。誰かと暮らすことで得られる温もりはなくても、この椅子には自分の時間が詰まっている。毎日座って、悩んで、頑張って、たまに泣いて。そんな日々の蓄積が、自分の居場所を形作ってくれた。だから今日もまた、椅子に座る。それが、自分なりの生き方なんだと思う。