誰かと食べるごはんがこんなに遠いものになるなんて

誰かと食べるごはんがこんなに遠いものになるなんて

ひとりの食事が当たり前になった日々

気がつけば、ひとりで食べるごはんが当たり前になっていた。最初は「仕事が忙しいから」「予定が合わないから」と、言い訳のように自分に納得させていた。でもそれが何年も続いてしまうと、それがもう生活の標準になる。食卓には誰もいない、テレビの音だけが流れている。箸を動かしながら、ただ空腹を満たすだけの時間になってしまった。

気づけば誰とも食卓を囲まなくなった

昔は、職場の人や友人と「今度ごはんでも行きましょう」と軽く言えていた。だけど今はその言葉が出てこないし、誘う相手も浮かばない。司法書士という仕事は基本的に一人で完結することが多い。気を抜けば誰とも会話をせずに一日が終わることもある。ごはんを一緒に食べる人がいる日常って、意外と奇跡みたいなものだったのかもしれない。

時間がないと言い訳していたのは自分かもしれない

「忙しいから」が口癖になっている。だけど、仕事の合間にスマホをいじる時間はあるし、ネットでだらだらニュースを読んでる余裕もある。誰かを誘って一緒に食べる30分を「無駄」と切り捨てていたのは、結局自分自身だったのかもしれない。仕事のせいにして、人間関係から逃げていたのかと思うと、少し胸が痛む。

「ごはん行きましょう」が言えなくなる瞬間

誘うという行為に、いつの間にか勇気が必要になった。相手に気を遣わせるんじゃないか、忙しいと思われているかもしれない、そんな余計な思考が先に立つようになった。若い頃のように無邪気に声をかけられなくなったことに、自分の年齢と孤独を実感する。

忙しさの中で失っていく人付き合い

昔はもっと気軽だった。電話一本で「今日どう?」と呼び出せたし、何の予定もなく居酒屋に集まれた。でも今は、相手のスケジュールを考え、こちらも仕事に追われ、なかなかタイミングが合わない。そんな日が続くうちに、連絡先の画面を開くことさえ億劫になってしまう。関係は少しずつ、静かに遠のいていく。

誘う相手も誘われる自分もいなくなった

気がついたら、誰からも誘われなくなっていた。そして、自分からも誰かを誘わなくなっていた。「誰かとごはんを食べる」ことが、特別で、どこか非日常になっていたのだ。ひとりの食事に慣れすぎると、他人との距離感を戻すのが難しくなる。昔は気にせずできていたことが、今は緊張すら伴う。

コンビニ弁当が主食になっていく理由

手軽で早くて安い、それがコンビニ弁当の魅力。だけど気づけば、その便利さの裏にある孤独が、生活に染み込んでしまっていた。あの「温めますか?」の一言に、時々妙なあたたかさを感じてしまうことすらある。

手軽さと孤独のトレードオフ

電子レンジに突っ込んで2分で完成する食事。誰にも気を遣わなくていい、誰にも話しかけられない。そんな「気楽さ」に逃げていた部分があった。疲れて帰ってきた夜、ただ何かを口に入れて寝たいだけのとき、コンビニは優しい。だけどそれが何年も続くと、食べること自体が“行為”になってしまって、味わうことを忘れてしまう。

誰かが盛ってくれた味噌汁が恋しくなるとき

たまに実家に帰って、母親が作ってくれた味噌汁を飲むと、胸にじんわりくるものがある。具だくさんで、温かくて、何の変哲もないけれど、誰かが自分のために作ってくれたごはんって、こんなにも違うものかと驚かされる。あの味噌汁に勝るコンビニ商品は、いくら出しても買えない。

食事は人と心をつなぐ場だった

昔は、ごはんを食べることがコミュニケーションの場だった。誰かと笑いながら、今日あったことを話しながら食べる時間が、自然に存在していた。その時間が、いつのまにか「非効率」に感じられるようになっていた。

昔の職場で感じた何気ない温かさ

まだ司法書士になる前、法律事務所の事務員だった頃。昼休みには皆で仕出し弁当を囲んでいた。おかずを取り合いながら、たわいもない話をするその時間が、なんだかすごく心地よかった。今思えば、あの「普通」の時間が、実はとても贅沢だった。

昼休みに囲んだ仕出し弁当の思い出

誰かが「これちょっと辛いね」と言えば、自然と笑いが起きた。誰かのごはんを一口もらったり、お茶を注いであげたり、そういうちょっとしたやり取りが、日常の中に人の温度を残してくれていた。その頃のごはんには、人の気配がちゃんとあった。

野球部の遠征帰りにみんなで食べたカレー

高校時代、遠征の帰りに食べた駅前のカレー。汗まみれで疲れていても、誰かと一緒に食べるごはんは妙に美味しかった。たぶん、カレーの味というより、隣に座っている仲間がいて、同じ空腹を共有しているというだけで、満たされるものがあったのだと思う。

これからの食卓に願うこと

別に豪華なレストランである必要はない。カップラーメンでもいい。誰かと顔を見ながら、ごはんを食べるという時間が、少しでも戻ってくるといいなと思う。そのためには、自分から動くしかないのかもしれない。

仕事の合間に誰かと食べる一杯のラーメンでもいい

忙しい毎日でも、誘ってくれる人がいるなら、断らずに行ってみようと思う。遠慮せず、自分からも「ちょっと一緒にどうですか」と言ってみる。そんな小さな勇気が、また誰かとごはんを食べる日常を取り戻すきっかけになるかもしれない。

それが贅沢であることを忘れずにいたい

ごはんを誰かと食べるって、当たり前じゃない。タイミング、相手、体調、心の余裕…全部がそろって、初めて実現する奇跡のようなもの。今後もし、そんな時間がまた訪れたときは、ちゃんと味わいたい。食べ物だけじゃなく、その場の空気ごと、大切にしたいと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓