誰にも頼れない感覚に押しつぶされそうになる日
司法書士という仕事柄、責任は常に自分に降りかかる。書類のミス一つで依頼人との信頼関係が揺らぐ。田舎の小さな事務所では、頼れるのはほとんど自分ひとり。事務員は一人だけで、気軽に「これお願い」と言える雰囲気でもない。そうなると、全部自分で抱え込むクセがついてしまう。いつの間にか、「俺がやらなきゃ」という気持ちが積もりに積もって、押しつぶされそうになる。そんな日が、月に何度もある。
仕事が回らないのは自分のせいなのか
仕事が立て込んでいるとき、つい「自分の段取りが悪いんじゃないか」と思ってしまう。スケジュールを何度も見直して、時間の使い方を反省して、それでも回らない。そんなときは、まるで自分が無能かのように思えてくる。だけど本当は、単に仕事量が多すぎるだけなのに、それを認めるのが怖いのかもしれない。弱音を吐くことすら「甘え」と感じてしまうのは、野球部時代のしごきの影響だろうか。
事務員に頼めない小さな気遣いの積み重ね
事務員さんはよく働いてくれている。けれど、あれこれ指示を出すと申し訳なく思ってしまう。昼休みの電話対応や、遅くまで残ってくれることもあるから、これ以上負担をかけたくない。結果、自分でやった方が早いと判断してしまう。たとえば、郵便物のチェック一つでも、ふとしたミスが怖くて結局自分で確認する。こういう「小さな気遣い」が積み重なって、自分で自分の首を絞めている気がする。
「ちょっと聞いていい?」が重く感じる瞬間
事務員に「これ、どうしましょうか?」と聞かれることがある。普段なら何でもないその一言が、忙しさのピークに聞かれると、妙に重く感じる。「今それ言う?」と苛立ちがこみ上げてしまう自分に、あとで自己嫌悪する。本当は教える時間を作らない自分が悪いし、余裕があれば優しく対応できたはずだ。だけど、心の余裕は毎日削られていく。結局、誰も悪くないのに、なぜか自分が苦しくなっている。
頑張っていることが伝わらない寂しさ
誰かに「頑張ってるね」と言ってほしいわけじゃない。でも、たまには労いの一言が欲しくなるときもある。仕事が山積みで、電話もひっきりなし。夕方にようやく一息ついた瞬間、「これ、急ぎでお願いします」と言われる。こっちだって限界なんだよと叫びたくなる。でも、それを顔に出せない。言えない。結果、また一人で抱えることになる。だから、どんどん孤独になっていく。
誰かが見ててくれるという幻想
「頑張っていれば誰かが見ててくれる」。そんな言葉を信じてきた。でも現実はどうだ?見てるどころか、頼ってくるばかりじゃないか。正直、虚しくなることもある。「この仕事、俺じゃなくてもいいんじゃないか?」とすら思ってしまう夜もある。だけど、それでも仕事は続けなきゃいけないし、生活もある。結局、自分で自分を奮い立たせるしかないのが現実だ。
元野球部の癖で「人の分まで走る」が抜けない
高校時代、野球部でよく言われていた。「チームメイトのミスをカバーするのが真のエースだ」と。あの頃の教えが、今も体に染みついているのかもしれない。誰かができないなら、自分がやる。誰かが休んでるなら、自分が倍動く。気づけば、全部自分で背負ってしまう癖が抜けていない。あの頃はそれで仲間に感謝されたけど、今は感謝もない。けれど、なぜかやめられない。
独りでやってるつもりになってしまう理由
「俺だけが頑張ってる」そう思ってしまうのは、実は自分の中にある思い込みが原因なのかもしれない。他人を信用しきれず、全部自分で管理しようとする。失敗を恐れる気持ちが強すぎて、任せることができない。そうしているうちに、気づけば「自分しかやってない」という感覚が出来上がってしまう。でも本当は、周りもそれぞれの形で頑張っている。ただ、それが見えていないだけなのかもしれない。
地方という環境が生む孤独感
地方の司法書士という立場は、かなり孤独だ。都会のように、同業者が集まって情報交換したり、飲みに行ったりする場が少ない。相談できる相手が身近にいないというのは、想像以上に心を蝕む。週末も地元の用事や雑務で潰れ、気づけば心が閉じていく。たまに東京の友人に連絡を取るが、感覚のズレに余計に疲れてしまう。孤独が常態化すると、自分が空っぽになっていくような気がする。
相談相手がいない作れない探せない
相談したいと思っても、そもそも相手がいない。昔の同級生は別の業界に進んでいて、話が合わない。仕事の内容を話しても理解されず、結局は「大変だね」で終わる。同業者に相談しても、ライバル視されてしまうこともあるし、愚痴を言うのは恥ずかしい。だからこそ、つい自分の中で消化しようとする。でもそれが一番危ないんだと、最近ようやく気づいてきた。
都会ならもうちょっと違ったのかもって思うとき
ふと、都会で開業してたらどうなってただろうと思うことがある。勉強会や懇親会に参加できて、同業者と悩みを共有できてたかもしれない。孤独に耐える必要が少なかったかもしれない。でも、都会は都会で競争が激しいし、家賃も高い。そう思って自分を納得させるけど、それでも羨ましくなる時がある。環境の差に、不公平を感じるのも無理はないだろう。
自分を責める癖が強くなっている
「どうしてこんなに疲れるんだろう」と思ったとき、真っ先に浮かぶのが「自分が悪いんじゃないか」という考えだ。気遣いが足りないのか、能力が足りないのか、時間管理が下手なのか。そうやって自分を責めることで、なんとか理由をつけて納得しようとする。でも、本当はただキャパオーバーなだけ。もっと他人に頼ってもいいのに、それができない。それが一番の問題だとわかっているのに、変えられない。
優しさが裏目に出ることばかり
優しくしようと思って対応したことが、かえって自分を追い詰める結果になる。依頼人の無理なお願いを断れず、後でスケジュールが崩れる。事務員の休みを優先して、自分が無理をする。そうしても誰にも気づかれず、評価もされない。じゃあ、もう少し冷たくすれば楽になるのか?いや、それができたらとっくにやってる。人に優しく、自分に厳しく。そんな生き方しかできないのが、俺の弱さなのかもしれない。
「あの人はうまくやってる」と思い込んで落ち込む
SNSで見かける他の司法書士の投稿。「今日はこんな案件を無事完了」「午後からゆっくりコーヒー」。それを見るたびに、自分が情けなくなる。自分は全然余裕がないのに、どうして他の人はあんなに上手くやってるんだ?でもよく考えてみれば、それは見せ方の話であって、現実ではない。わかってはいるのに、比べてしまう。人と比べて疲れるのは、自分が頑張ってる証拠だと、せめて言い聞かせる。
それでもやっていくための小さな工夫
限界を感じることはあっても、辞めるわけにはいかない。だったらせめて、少しでも気を楽にする方法を見つけていくしかない。大きな変化じゃなくていい。ほんの小さな工夫でいい。無理を続けるのではなく、無理を減らす。そんな意識が、少しずつ自分を救ってくれるようになった気がしている。
ほんの少しだけサボってみる勇気
昔の自分なら考えられなかったけど、最近は意識して「サボる時間」を作るようにしている。たとえば、昼休みにスマホをいじるだけで終わらせず、散歩してみたり、本を読んでみたり。仕事を詰め込むことだけが正義じゃない。少し肩の力を抜くことで、むしろ午後の集中力が戻ることもある。「頑張らない勇気」も、今の自分には必要な要素なんだと、ようやく理解できてきた。
同じように頑張ってる誰かの存在を思い出す
ふとした瞬間、昔の同期や、今も地元で頑張ってる知り合いの顔が浮かぶことがある。みんな表には出さなくても、しんどさを抱えながら頑張ってるんだろうなと思うと、少しだけ心が軽くなる。「俺だけじゃない」そう思えるだけで、ずいぶん気が楽になるものだ。だから最近は、自分からも「大丈夫?」と声をかけるようにしている。たまに返ってくる「ありがとう」が、心に沁みる。