契約書だけが味方だった日々
誰も僕の話を聞いてくれない
地方で司法書士をやっていると、相手の反応がとても曖昧なときがある。依頼者は「先生にお任せしますよ」と言ってくれるが、それが実は何も理解していないことの裏返しだったりする。何度説明しても、「そんな話ありましたっけ?」と言われる瞬間の、あの無力感。結局、言った言わないの世界になると、僕の声はどこにも届かない。話し相手が少ない日常の中で、自分の言葉が虚空に消えていくような感覚に苛まれる。
打ち合わせは頷きだけで終わる
打ち合わせの最中、依頼者がずっと頷いている。話を理解してくれていると思っていたら、終わってから「ところで、いつ手続き始めるんですか?」と訊かれる。さっき説明したのに、と思いながらも、表情を変えずに答え直す。このやり取り、何度繰り返したことか。まるでキャッチボールをしているのに、ボールが返ってこない感覚。元野球部としては、こんな虚しいプレーはない。
理解してくれてるようで何も伝わってない
「なるほど」「はいはい」「わかりました」。そう返事をもらえると、安心してしまう。でも、あとで書類の内容に驚かれたり、「聞いてない」と言われたりすると、こっちが狼狽する。まるで録音機に向かって独り言を繰り返しているみたいだ。相手が理解したかどうか確認せず、ただ反応だけを信じて進めてしまう自分にも反省はある。でも、一方通行の会話の辛さは、積み重なると精神的に効いてくる。
あとで「そんなこと聞いてません」と言われる恐怖
怖いのは、こっちが正確に伝えたはずの内容が、何も伝わっていなかったかのように扱われるときだ。「言いましたよね?」と反論しても、「いや、記憶にないですね」と返される。その瞬間、心がヒュッと冷える。こちらに悪意がないのに、まるで嘘をついているみたいな空気になる。録音しておけばよかったと毎回思う。でも、それってもう人間関係じゃなくて、監視の世界だよな……と情けなくなる。
契約書だけはちゃんと覚えていてくれる
人の記憶は曖昧だけど、紙に書かれた文字は残る。契約書だけは、僕の言ったことをそのまま記録してくれるし、あとで文句を言われても「ここに書いてあります」と堂々と言える。心のどこかで「この人にはきっと伝わってる」と信じたい気持ちはある。でも、裏切られるたびに、やっぱり契約書がいちばん信用できると思い直す。寂しいけれど、それが現実だ。
書いたことは書いた通りに残る
手続きの説明をするとき、口頭ではどうしても誤解が生まれる。でも契約書なら、文章として正確に残せるし、後から「そんな話はなかった」と言われても冷静に対応できる。正直、契約書に頼るようになったのは、一種の防衛反応だったのかもしれない。人の言葉が信用できなくなっていくなかで、文字だけが自分を守ってくれる。そう思うと、パソコンの前に座る時間が、妙に落ち着くようになった。
主張の拠り所があるだけで安心できる
契約書があるだけで、精神的な負担がかなり軽くなる。あの紙があるから、自分の説明を何度も繰り返さなくて済むし、何より相手の「聞いてない」という一言から守ってくれる。以前、相続登記の件でトラブルになりかけたことがあった。でも契約書の一文を見せたら、相手も納得してすぐに収まった。その瞬間、「紙が味方してくれる」ってこういうことかと実感した。
自分の声を紙に預けている感覚
紙に書くという行為は、ただの記録ではない。あれは、自分の声を未来に残すことだと思っている。相手の態度が変わっても、状況がひっくり返っても、契約書の中の自分の言葉はブレない。まるでタイムカプセルのように、過去の自分が今の自分を守ってくれる。そんなふうに考えると、契約書の重みが変わって見える。
それでも信じてしまう自分に疲れる
何度裏切られても、なぜか人を信じてしまう。毎回「この人は大丈夫だろう」と思ってしまう。そして、また「そんな話聞いてません」と言われて落ち込む。契約書を交わすことの大切さは十分わかっているけれど、それでも人間関係の一瞬の温もりに期待してしまう自分がいる。そのたびに、自分が甘かったと自己嫌悪に陥る。
つい口約束で済ませたくなるときがある
長く付き合っている顧客だったり、表情の柔らかい人が相手だと、「まあいいか」と契約を省略したくなる。でも、それで痛い目を見ることは一度や二度ではない。「信頼してたのに」と嘆いても、相手には通じない。結局、口約束は泡のように消える。人情で生きたいのに、現実はそうはいかない。そのギャップが毎日の疲れに直結する。
「この人は大丈夫」という勘の危うさ
第一印象で「この人は信用できそう」と思うことがある。でも、そういう相手に限ってあとでトラブルになる。不思議なものだ。人を見る目がないのか、自分の判断が鈍っているのか。どちらにしても、あとから後悔するのが常だ。だからこそ、感覚ではなく仕組みに頼るべきなのに、それがなかなか徹底できない。
一度裏切られると疑心暗鬼が止まらない
たった一度のトラブルで、すべての信頼関係が崩れる。次に来る依頼者にも身構えてしまう。「この人も、最後には手のひら返すんじゃないか」と思いながら話す自分が嫌になる。契約書を盾にしている自分は、どこか冷たいのかもしれない。でも、疑いながら仕事を続けるより、安心して働ける環境を作る方が、自分にとっても相手にとっても誠実だと信じたい。
契約書と過ごす時間が一番落ち着く
最後に、ふと気づくと、誰かと話しているより契約書を作っている時間の方が落ち着く自分がいる。寂しい話かもしれない。でも、その静かな時間に救われているのも事実だ。紙と向き合い、文言を整え、誤字を見つけ、説明を添える。その地味な作業の中で、「誰にも聞かれない言葉」が確かに形になっていく。それが今の僕の支えなのかもしれない。