話し終わったあとにいつも反省会が始まる癖
会話のあとが一番しんどい
誰かと話を終えたあと、安心するどころかズーンと重たい気持ちになることがよくある。自分では普通に対応したつもりでも、「あの言い方でよかったのか」「表情が険しくなかったか」「相手は傷ついていないか」なんて、帰り道から心の中の反省会が始まってしまう。司法書士という肩書きのせいか、対人関係には気を張ってしまい、なおさらだ。気を遣いすぎる性格が裏目に出て、誰かと話すたびに自分が小さくなっていく気がしてしまう。
あの一言で印象が悪くなったかもしれない
例えば依頼人との会話で、雑談のつもりで投げかけた一言が、後から妙に引っかかることがある。「こんなとこに事務所あるんですね」と言われて「田舎ですからね、すみません」と返したとき、なんだか卑屈に聞こえたかも、とか。相手は気にもしていないだろうに、こちらが勝手に自分を責めてしまう。そんな些細なことをいつまでも思い返しては、心のどこかで「また失点を増やした」と感じてしまうのだ。
帰りの車の中で始まる無限リプレイ
会話が終わると、エンジンをかけた瞬間から頭の中はリプレイ再生モードになる。さっきの表情、声のトーン、言葉の順番まで巻き戻して確認する。まるで野球部時代のビデオ反省会みたいだ。「なんであんな言い方したんだ」「あそこで笑ってごまかせばよかった」など、どれも今さらどうしようもないのに、心は止まらない。運転しているだけで汗ばんでくるのは、緊張のせいかクーラーが弱いからか。
言葉の選び方に過敏になりすぎる日々
言葉ひとつで信用を左右される職業だからこそ、何気ない会話にすら神経を使う。だがそれが過剰になると、話す前から「何を言ってはいけないか」のブレーキばかり働いてしまう。「余計なことを言ってしまわないように」が先に立ち、自然な言葉すら詰まってしまうこともある。結果として不自然な沈黙が生まれたり、よそよそしい印象を与えてしまうという悪循環に陥る。なんとも厄介な癖だ。
司法書士という立場が余計に気を重くする
専門職という肩書きがある以上、常に「しっかりしていなければならない」「言葉に責任を持たねばならない」という意識がつきまとう。依頼人や取引先との会話も、友人との雑談のようにはいかない。その緊張感のなかで、少しでも余計なことを言ったら信用を失うのではないかと、必要以上に構えてしまう。だからこそ、会話のあとにどっと疲れるのだ。
専門職のプライドと人間関係の狭間で
司法書士としての誇りはある。でもそれが時に自分の首を絞める。「くだけた会話」や「軽い冗談」が場を和ませることもある一方で、「軽率だ」と思われないか不安になることもある。結果、どちらにも寄り切れず中途半端な態度になってしまい、自己嫌悪に拍車をかける。人間関係においては、肩書きが足かせになることもあるのだ。
間違いは許されないという思い込み
一言のミスで訴訟問題に発展することもある業界だから、慎重すぎるくらいがちょうどいいのかもしれない。だが、その「間違いは許されない」という思い込みが、自分の言動を必要以上に縛ってしまっているのも事実だ。もっと自然に話せたら楽なのに、それができない。責任感が強すぎるのも、時には自分の敵になる。
話すたびに「これでよかったのか」と考えてしまう
何を言っても、後になってから「別の言い方があったのでは」「もっとわかりやすく説明すべきだった」と反省が始まる。その結果、次回からの会話にも自信が持てなくなり、さらにぎこちないやりとりになるという悪循環。仕事の成否とは無関係なところで、心だけがどんどん疲弊していく。
それでも話すしかない仕事だからこそ
司法書士という仕事は、書類と向き合うだけでなく、人と向き合う時間も多い。避けて通れない会話だからこそ、「もっと気楽に」「もっと雑でもいい」と自分に許してあげたいと最近は思うようになってきた。完璧じゃなくても、伝えたい気持ちがあればそれでいい。そう思えるようになるまで、だいぶ時間はかかったけれど。
言葉を使う職業の苦しみと向き合う
日々の業務では、説明責任や意思確認など、「伝えること」が重要な要素を占める。だからこそ「うまく話せなかった」という自己嫌悪は根深くなる。でも、そこに苦しんでいるということ自体、丁寧に仕事と向き合っている証でもある。だから少しずつ、自分を許すことも大事にしていきたい。
ミスを恐れるのではなく許容する勇気
どれだけ注意しても、すべての会話が完璧に運ぶことなんてない。むしろ「ミスを恐れすぎないこと」こそが、柔らかな会話を生むのかもしれない。言い間違えたら、素直に「あ、言い方変ですね」と笑えたらいい。そういう余白を持つことが、心を楽にするコツなのかもしれない。
「完璧じゃない自分」も含めて話していく
自己嫌悪が出るのは、それだけ「良くありたい」という気持ちがあるからだと思う。だけど、人間って結局不完全な生き物だ。完璧じゃない自分を見せたっていい。むしろ、そういう姿に安心する人だっているかもしれない。それを少しずつ信じられるようになったのは、歳をとったおかげかもしれない。
同じ悩みを抱える人へ伝えたいこと
話し終わったあとに反省会を開いてしまう癖は、簡単には治らない。でも、それは弱さではなく、むしろ優しさの証だと思う。他人にどう思われたか気にするのは、相手のことを大切にしているからこそ。そう思えたとき、少しだけ自分を許せるようになる。そんな気持ちを、今この記事を読んでくれているあなたにも届けたい。
会話のあと落ち込むのは優しさの裏返し
僕たちは皆、不器用なままでいい。気遣いすぎて疲れる日も、自分の言葉に凹む日もある。でも、それは相手を大切に思っている証であり、いい人間関係を築こうと努力している証でもある。そういう思いがある限り、大丈夫。少しずつ、心の反省会の時間を短くしていこう。
自分の気遣いを否定しすぎないでほしい
言葉に敏感な人ほど、人を傷つけないようにと細やかな気配りをする。その分、自己嫌悪にも陥りやすい。でも、その優しさがあるからこそ、信頼される司法書士になれるのだと思う。だからこそ、自分のそうした気遣いを無下にせず、もう少し肯定してあげてもいい。
完璧じゃないからこそ人間味がある
誰だって失敗するし、言い間違える。でも、だからこそ人は人を信用できるし、共感もできる。完璧じゃないからこそ、共に笑える瞬間が生まれる。それを忘れずにいたい。今日もまた何かを喋ってしまって後悔しているかもしれないけれど、そんな自分も誰かの心を動かしているかもしれない。