LINEを開いた瞬間に心が沈んだ
ある夜、寝る前にふとLINEを開いた。通知は20件以上。でもすべてが「仕事」だった。クライアントからの連絡、役所からの進捗確認、銀行の担当者からの質問、事務員からの報告…。ふとスクロールして気づいた。「雑談」が一つもない。以前はたわいないスタンプを送りあっていた友人、母からの料理写真、甥っ子の成長報告、そんなものはすっかり流れ去っていた。まるでスマホの中まで職場にしてしまったような気分になり、妙な孤独が押し寄せてきた。
お客様の名前がずらりと並ぶトーク履歴
スマホのLINE一覧を下から順に見ていくと、個人名がズラッと並ぶ。でもそれは「知人」や「友人」ではない。「●●様」「○○銀行 担当△△」「●●市役所□□課」…そんなトークばかり。誰にも頼まれてないのに、トーク名もわかりやすく変更して、事務管理の一環として分類してきた結果だ。まるで自分のスマホが案件フォルダになったような状態。人との会話が管理対象にすり替わったとき、少しずつ何かが削られていたのかもしれない。
家族や友人の名前はどこに消えたのか
気づけば、友人とのトークは「最後のやりとり:2021年10月」などと表示されていた。コロナをきっかけに連絡が減り、忙しさを理由に自分からも音沙汰なし。親からのLINEも、返信が事務的すぎて疎遠になっていたようだ。友人の結婚式のグループLINEも、既読スルーが続いて自然消滅。「忙しいから」が口癖になっていたが、本当は「心を開く余裕がなかった」だけだったのかもしれない。
自分の人生を業務用端末で消費している感覚
ふと、これはもう「自分のスマホ」ではないなと思った。個人の連絡端末じゃなくて、完全に「業務用」。LINEもカレンダーも、全部仕事用の記録装置。最近では、自宅の冷蔵庫に貼るメモもLINEで事務員に送ってしまっている。そんな自分にちょっと笑いながらも、悲しくなった。いつの間にか「便利」が「息苦しさ」に変わっていたのだ。
既読スルーも未読も許されないプレッシャー
クライアントに対して既読スルーができないのは当然のこととしても、土日でも早朝でも「返信して当然」の空気にいつの間にかなっていた。いや、誰も強要してないのは分かってる。でも自分の中の「ちゃんとしなきゃ」が、LINEに縛られている。未読のままだと落ち着かず、既読をつけたら即レスしないと気まずい。そのプレッシャーが、1日に何度も心を締めつける。
スタンプすら送れない仕事用LINEの味気なさ
LINEのスタンプなんて、最後に使ったのはいつだろう。事務員には敬語、クライアントには文面に誤字がないように推敲して送信。業務効率のためにショートカットを登録している自分が、LINEにスタンプを貼ってふざける余裕など持てるはずもない。昔は「やっぱりねこ」が好きでよく送ってたのに…。今や、絵文字すら「砕けすぎかな」と警戒して使わなくなった。
気軽なやりとりなんて一度もなかった
司法書士という仕事柄、「LINEでの連絡」がどんどん定着してきて、むしろ電話より気軽に相談が来る。でもその「気軽さ」は相手の話であって、こちらには重圧でしかない。ひとつのミスが信用を失う。だからこそ、一件一件、丁寧に返信してしまう。軽いやりとりすら「記録に残る連絡手段」に変わってしまったいま、LINEに「気楽さ」を求めるのはもう無理なんだろう。
朝一番の通知が怖くなった理由
朝、目が覚めると同時にスマホの通知が鳴る。その音がもはや「起床の合図」になってしまった。カーテンを開けるより先に、通知バッジを消すことが朝のルーティン。休日も祝日も関係ない。何なら正月にも「急ぎです」のLINEが届いたことがある。もう何が「非常時」なのか、自分でも判断がつかなくなってきた。
目覚ましより早く鳴るクライアント通知
以前、朝6時半に鳴ったLINEがあった。まだ布団の中で、夢と現実の狭間にいたときだった。「今日の登記、9時半には完了できますか?」というメッセージ。半分寝ぼけながらも「はい、対応可能です」と打ち返した。その後、内容にミスがあって結局修正依頼が入り、朝から事務員と二人でバタバタ。ミスをしたのは自分だ。でも、誰かが「少しは寝かせてくれ」と言ってくれる日が来てほしいと思った。
寝ぼけ眼で返信してミスしたあの日
その朝の件は、いまだに思い出すたびに冷や汗が出る。確認不足で申請書に誤字があり、登記官からの電話で発覚。クライアントには平謝り。結局、当日中に修正し直し、再申請。お詫びのメールもLINEも送り、なんとか納めたが、事務所の雰囲気は一日中どんよりしていた。事務員には申し訳なかった。でも、「誰のせいでもない」って思える余裕は、その日はなかった。
対応が早くて助かりますの一言が苦しい
よく言われる。「返信が早くて助かります」「すぐ対応してくれるので安心です」と。でも、裏を返せば「早く返さないとダメな人」になってるということでもある。もし今日、3時間返信しなかったら、それだけで「不安にさせた」と思われるかもしれない。その期待に応えることが、自分を締めつけてるとわかっていても、なかなか変えられない。
心が休まる時間がLINEの外にしかない現実
もうスマホを見るだけで「仕事の画面」だと感じるようになった。だから休憩時間は、スマホを逆さにして伏せておく。ラジオを流しながら目を閉じて、せめて脳内だけでも「登記」から解放されようとする。でも、通知音が鳴ると反射的に身体が動いてしまう。まるで訓練された番犬のように。悲しいけど、それが今の自分だ。
電源を切る勇気もない小心者の自分
いっそ電源を切ってしまえばいい、と思うこともある。でも、「その間に何かあったら…」という不安が先に立つ。緊急対応が必要な案件、役所からの急ぎの確認、書類不備の連絡…いろんな「万が一」が頭をよぎる。小心者の自分は、電源を切るどころか、マナーモードにすらできないのだ。24時間稼働の「個人事務所」という名の一人ブラック企業。
返信が遅いと感じられる恐怖と自己嫌悪
「今すぐでなくてもいいですよ」と言われたメッセージにも、結局すぐ返してしまう。自分の中の「理想の司法書士像」が、即レス・即対応・ミスゼロという過剰な設定になっていて、それを裏切るのが怖いのだ。だから返せない時間があると、自分を責めてしまう。たった1時間でさえ、まるで「怠けていた」ような罪悪感が胸に残る。
仕事とプライベートの境界線が消えた
スマホを持っている時間、つまりほぼ一日中、仕事がそこに存在している。個人事務所を構えている以上、そういうもんだと割り切っていたはずが、ある日ふと「これは本当に望んだ形なのか?」と疑問が湧いた。誰とも雑談しない日。誰からも「最近どう?」と聞かれない夜。LINEの履歴が仕事だけになるとは、開業当初は思ってもみなかった。
LINEを使うたびに仕事を思い出す
LINEのアイコンを見るだけで「登記」「報告」「納期」などの単語が頭に浮かぶようになった。昔は好きな子とやりとりしてドキドキしていたのに、今じゃLINEを見ると胃が痛くなる始末。ツールは変わってないのに、使い方が変わればここまで印象が違うのかと思う。もはやLINEは、通知の形をしたタスク管理表になってしまった。
休憩中も夕飯中も通知が頭から離れない
お昼にコンビニ弁当を食べながらも、LINEの通知が気になる。家で鍋を一人つつきながらも、ふとLINEを確認してしまう。完全に「オン」と「オフ」が分けられない。自分でもよくないとは思ってる。でも、止められない。ある意味、仕事に依存してるのかもしれない。LINEを通して「必要とされている」と思いたいのかもしれない。
メッセージ通知の音に条件反射するようになった
通知音が鳴るたびに「また何か来たな」と反応する。反射的にスマホを手に取り、内容を確認する。そしてまた1件、業務が増える。どんなに丁寧に業務をこなしても、「次の用件」は常に待っている。それが司法書士という仕事だとわかっているけれど、それにしても、ちょっとだけ「気楽なやりとり」が恋しくなった夜だった。