名刺に独身と書いても驚かれない時代がきた

名刺に独身と書いても驚かれない時代がきた

名刺に書けないことが増えた

司法書士という肩書きが名刺に印字されていても、それが僕のすべてを語ってくれるわけじゃない。むしろ、年齢を重ねるほどに「名刺に書けないこと」のほうが多くなってきた気がする。たとえば独身であること、趣味が野球観戦だけであること、最近では食事もコンビニの冷凍うどんばかりであること。そんな僕の日常を、仕事の名刺は一切語らない。何も悪いことをしていないのに、名刺が妙に立派に見えてしまうのが逆に申し訳ない。ああ、名刺の裏に「現在独身です」と小さく書いておきたい。

役職も所属も形式だけ

もちろん「代表司法書士」として名刺に書かれている。でも、実際は事務員ひとりと僕だけ。派手な組織名でもないし、営業部も総務部も存在しない。僕がすべてを背負っているからこそ、肩書きだけがやたらと浮いて見える。たとえば銀行の担当者と名刺交換したとき、「おひとりでやってらっしゃるんですか?」と聞かれて、思わず笑ってしまった。「はい、あと一人の事務員と、あとは僕の精神力でまわしてます」と答えたけど、笑ったのはたぶん僕だけだった。

真面目に働くほど肩書きが空っぽになる

ふと思うのは、真面目にやればやるほど、名刺に書いてあることが自分から遠のいていく気がするということ。司法書士の仕事って、誰かの大切なことを淡々と処理していくものだけど、自分の人生にはまるで記録が残らない。結婚もしない、家族もいない、家も持ってない。唯一持っているのが「代表司法書士」の肩書きって、なんだか皮肉がすぎる。

誰かに認められるよりも誰かに笑ってほしい

そんな中で最近は、名刺を渡した相手に「独身なんですよ〜」って冗談っぽく言うようにしている。ウケるかウケないかはその場次第だけど、相手が少しでも笑ってくれたら、それだけでこちらの肩の力が抜ける。認められることより、笑ってもらうことのほうが、いまの僕にはずっと大事なことだと感じている。

独身歴が肩書きみたいになってきた

気づけば45歳、気づけば独身歴=年齢というやつ。友人の中には「シングルライフを満喫してる」なんて人もいるけど、僕の生活には「満喫」という二文字は存在しない。せいぜい「自炊してる」って言えれば上等。でも冷蔵庫の中には期限切れの納豆と、水で割るだけのカフェオレの素しか入っていない。こんな生活、いっそ「独身」と名刺に刷り込んでしまいたい。

仕事は増えても生活は縮む

開業したばかりの頃は、売上も少なかったけれど生活にまだ余白があった。でも最近は、仕事の量と反比例するように日常が狭まってきた。土日も電話が鳴る。連休は「いつも通りの仕事日」。生活は、仕事の合間に少し顔を出すだけの存在になってしまった。そんな日々を続けていたら、あれ、最後にちゃんと食事したのっていつだったっけ、みたいな状態になってる。

孤独の年数は勤続年数より重い

司法書士としてのキャリアはそこそこ積んできた。だけど、孤独歴も同じくらい積み上がっている。誰かに相談するでもなく、愚痴る相手もいない。話すのは事務員かクライアントか、自分自身の心の声くらい。勤続年数10年、孤独歴も10年。それでも、孤独のほうがずっしり重く感じる。積み上がったものは同じ「年数」でも、その中身はまるで違うのだ。

彼女はと聞かれるより肩こりはと聞かれたい

たまに昔の知人から連絡がある。「最近彼女できた?」というお決まりの質問が飛んでくる。でも正直、そんなことより「最近どう?肩こりひどくない?」と聞かれる方が、ずっとありがたい。恋愛より体調の方が、もはや人生にとってリアルなのだ。独身であることが異常じゃない。ただ、日常として自然にそこにあるだけ。そう思ってもらえる関係が、なにより救いになる。

自己紹介が年々むずかしい

昔は「司法書士やってます」「地元で事務所ひとつ持ってます」で話が済んだ。でも今は違う。話すことがどんどん減っている。結婚もしていない、趣味もない、ペットも飼っていない、というか部屋が散らかってて無理。いざ「あなたはどんな人ですか」と聞かれると、言葉に詰まる。僕自身の名刺が、年々白紙に近づいていくような気がしてならない。

話すことが仕事の話しかない

誰かと会っても、つい「最近は相続の案件が多くて…」なんて仕事の話ばかりしてしまう。もちろん大事なことだけど、それしかないのも寂しい。趣味の話や家族の話ができる人が羨ましい。でも現実は、休みの日は洗濯とスーパーの往復。その話をしたところで、相手が返す言葉に困るのが目に浮かぶ。だから今日もまた「仕事の話」でお茶を濁すのだ。

趣味も減り記憶も曖昧に

昔はプロ野球を観るのが好きだった。でも最近は、推しチームの選手の名前すらわからなくなってきた。ユニフォームも変わってるし、球場も行ってない。テレビもつけずに、スマホで登記情報を調べて終わる夜。何かを楽しむ余裕がないまま、年だけ重ねてきた気がする。そしてふと、今の自分に「楽しい」が残っているのか疑問になる。

名刺が語らない僕のこと

名刺には、名前と住所と肩書きが並んでいる。それが「僕」なんだと世間は思っている。でも、本当の僕はそこにはいない。休憩中に食べるチョコパイとか、朝ギリギリまで寝てることとか、夜中にYouTubeで野球の懐かしい試合を見て泣いてることとか。そんな「どうでもいい僕」が、実は一番本当の僕だったりする。名刺じゃ語れないけど、それでも僕は今日も、誰かに名刺を差し出している。

名刺に必要なのは人柄かも

最近ふと思う。名刺に必要なのは、もしかしたら肩書きより人柄かもしれないと。どんな立派な資格より、ちょっと笑えるひと言のほうが、その人の印象を残す。僕が「独身です」と言って笑われたとき、その瞬間だけは名刺よりずっとリアルな自己紹介だった気がする。だから今日も冗談っぽく言う。「名刺に独身って書いてないけど、実質それが一番伝えたいことです」と。

独身と書けば笑ってもらえる

もちろん本気で名刺に書くわけにはいかないけど、話のきっかけにはなる。「え、独身なんですか?」と驚かれてもいいし、「私もです」と返してくれる人もいる。少しでも笑いが生まれたら、それは立派な名刺効果。たとえ独身歴が長くても、それを武器にできるなら、悪くない。

苦しさも肩書きのひとつだと思いたい

誰だって苦しいことはあるし、僕も日々もがいている。でも、それを隠すのではなく、ちょっとだけ笑って言えるようになったら、それもまた「肩書き」なのかもしれない。僕は「司法書士」であり、「孤独担当」であり、「独身継続中」でもある。そんなふうに、苦しさにもちょっと名前をつけてみたら、少しだけ楽になれる気がする。

独身司法書士って案外キャッチー

「独身司法書士」って、よく考えたら覚えやすいし、ちょっと面白い。人の記憶に残るなら、それも立派なブランディング。笑われることもある。でも、笑ってくれる人がいるなら、それでいい。僕は今日も、名刺を差し出す。「司法書士」と書かれた紙の奥に、「独身」のにおいがほのかに漂うことを願いながら。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓